カトレアクラブ
4
時刻は九時を過ぎていた。
あくまで目安として決められている学校のスケジュールだと、一時限目が始まるのは九時ちょうどからだが、時間に多少ルーズな恵理香はそんなことなど全く気にせずに部屋のリビングでソフトクリームを舐めていた。向かい合って同じように体内時計がいかれているあやめも、ソフトクリームの先を口に入れた。
ひんやりとした濃いクリームが舌に乗り、喉へと進むように口の中で溶けていく。
「ん〜。確かに絶品というだけはあるかもね〜。コクがあるというか、味わい豊かというか。――でも、さすがにあの値段は割に合わないと思うなぁ」
「まぁねぇ。確かにおいしいけど、五百円も払って買うほどのものじゃないね。百円アイスを五種類買った方がマシかも」
二人は『絶品ソフトクリーム』の批評をしながら、その丸くなった先端を口に入れ、冷たい感触と濃厚なクリームを味わっている。
「質より量って人にはまず向かないわね。それか、ダイエット中にどうしても甘い物が食べたくなった時にいいかも」
「でもアイスって、カロリー結構高くない?」
「そうじゃなくて、たとえばどうしても我慢出来なくてアイスを食べちゃったとするでしょ? でもそれが安いアイスじゃ食べてもいまいち満足出来なかった〜ってことがあるかもしれない……。それがもしコレなら、味はいいわけだから一個でも充分満足するはず。二つ目を食べたくなっても値段が値段だからまず買おうと思わないしね。うん、これはダイエットに使えるわ!」
それよりもどうにかして食欲を抑えられる方法を考えた方が得策なのでは? と、恵理香は思ったが口にせず、替わりにソフトクリームを口に入れた。
コンビニで『絶品ソフトクリーム』を買ってもらった後、尚子と望は校舎の外へ散歩に行くと言ったのでその場で解散し、恵理香とあやめは自分たちの部屋へと戻ってきたのだった。
「話は変わるけどさ――、どうしてあの二人、あんなに仲がいいのに別々の部屋なんだろ」
「え? 一緒じゃないの?」
「えりちゃん、唇の下にクリームついてる」
あやめに言われて下唇を舌で舐めると、生暖かいバニラの味がした。尚子と望が同じ部屋でないと聞いたことに少し驚いてしまったのだ。
「なんかねー、聞いた話によると、望は他の子と二人部屋に住んでるんだけど、その相手の子とはほとんど口も聞かないらしいの。同級生なのかまでは知らないけど、仲が悪いってわけでもないらしいから、完全に他人、みたいな」
「じゃあ尚子もそんな感じなの?」
あやめはソフトクリームのコーンの部分を囓る。軽いサクッという音が部屋の中に響いた。
「ううん。それがね――尚子は個室らしいのよ」
「尚子が個室!?」
「えりちゃん、今度は鼻についた」
恵理香は確認せずにテーブルに置いてあるティッシュを手にとり、手を滑らせて鼻の頭についているであろうクリームを拭き取った。
「あの尚子が、なんで個室に……?」
「わかんない。それは誰も知らないらしいのよ」
個室は基本的にちゃんとした理由がなければ、長期間使用することは出来ない。一週間程度の短期間なら、同じ部屋の相手と喧嘩したとか、試験にとことん集中したい生徒等のために使わせてもらえるが、それ以上使用すると、自動的にロックが掛かってしまい、許可を得ないと強制的に追い出されてしまうのだ。許可を得るのはそこまで大変ではないが、なんとなく一人がいい等と言うような理由ではもちろん却下されてしまう。
「だとすると……二人の関係に何かあったから部屋を別にしているのか、尚子一人に何か一緒の部屋になれない理由があるってことかなぁ?」
恵理香もコーンの端を囓った。心地いい音と共に細かい破片が机の上に落ちた。
「たぶんね。もっと探れば分かるのかもしれないけど、それ以上は聞いちゃいけないと思ったの。なんというか――友達としてね」
「それが正しい判断だと思う」
あやめは頷き、コーンの一番下の部分を口の中に入れた。恵理香も円錐の形になったコーンを頬張り、口の中でクシャリとつぶした。
「……あやめは、どうしてまた私と同じ部屋にしようと思ったの?」
冷蔵庫から紙パックの林檎ジュースを取り出してきたあやめに向かって恵理香は聞いた。
「どうしてか聞きたい――?」
コップに注ぎながらあやめは聞き返す。恵理香はうん、と言って頷いた。
「えりちゃんと仲直りして、もう一度やり直したかったの」
「やり直したかった……?」
「そう。あの時は怒ってたから、えりちゃんにもひどいこと言っちゃったかもしれないけど……正直に言うとね、あたし――えりちゃんと離れちゃったのが辛くてしょうがなかった」
あやめはコップに半分ほど注いだ林檎ジュースを、ぐいと首を後ろに曲げて一気に飲み干した。
「たぶん――美咲ちゃんに嫉妬してたんだと思う」
恵理香は黙ってあやめの俯いた顔を覗いていた。
「そうだ! えりちゃん、確か体育のスポーツ基礎取ってるよね? 今から一緒にレポートやらない?」
あやめは急に顔を上げ、寂しげな声からいつもの明るい声に戻して言った。スポーツ基礎とは、体育の選択科目の一つである。
「え、でも別々にやった方が――」
「スポーツ基礎ならDVD観なくても教科書に全部答え載ってるって友達が言ってたの! それに体育の先生はレポートの答え合わせなんか絶対にしない人らしいから!」
まぁ確かに中学の時も、体育のレポート形式の授業はすごく楽だった覚えがある。しかし、採点の仕方が教師によって異なることなど、恵理香は中学三年間全く知らなかった。相部屋の美咲がかなり真面目な子だったからかもしれない。
各階に授業の自販機は二台設置されている。だから全ての棟を合わせれば、七十台近い自販機が存在することになる。いったいこの学校はあんな安い学費をどう使えばこんなシステムを維持できるのだろうか。
スリッパのまま二人は自販機からレポートとDVD二枚を取り、部屋に戻った。今頃になっても眠そうに目を擦りながら、パジャマ姿で部屋から出てくる生徒もいた。
「リビングじゃバレると怖いから、えりちゃんの部屋でやらない?」
「え、というか本当に大丈夫なの? こんなことで退学とかなったら私、あやめのこと一生恨むからね」
「大丈夫だよ。一生恨むとか、えりちゃん怖い……」
苦笑いするあやめを一瞥し、恵理香はカードを当てて自分の部屋にあやめを入れた。掛け布団が乱れたままだったので、急いで畳み、ベッドも畳んでソファーにした。寝室のベッドは折りたたむと二人掛けのソファになり、カードをロックする機械がある棚の上のモニターを見るのに、ちょうどいい高さになるのだ。
ソファの下に収納された小型のテーブルを引き出して広げ、レポート用紙とシャープペンをその上に置いた。二枚の用紙がぎりぎり重ならずに並べられた。
「問題数少ないから、ちゃちゃっと終わらしちゃお」
あやめは脇に挟んでいた教科書を広げ、自分の膝の上に置いた。恵理香もモニターの下にある本棚から「スポーツ基礎」の教科書を出して膝の上に広げた。
DVDをプレーヤーに入れ再生したが、二人はその映像を見向きもしないで黙々とレポートを解いていった。