カトレアクラブ
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「ねぇ、お母さん。わたしはどうやって産まれたの?」
六畳の和室。秋の虫の周波数の高い鳴き声と、雨戸が風で揺れる音が漂う。
そこには雨戸の隙間から除く月光と、幼い恵理香の視線があった。
まだ幼い恵理香はうさぎのぬいぐるみの耳を手で引っ張りながら聞いた。
「あらあら。どうしてそんなこと聞くのかしら?」
乾いた洗濯物を畳んでいる母は、恵理香に背中を向けながら聞き返す。畳んだ服を四枚重ねて箪笥に仕舞う。
服を畳む音はしないが、箪笥は引き出しを開け閉めする度に木の軋む音がする。そこまで周波数の高くない、人間の悲鳴のような不快な音。
「今日、あきちゃんが言ってたの。『あたしはかみさまの子なんだよ』って。でも神様なんて本当にいるの? えりかもかみさまの子なの?」
そうよ、と母は声色を変えずに即答した。
「お母さんも神様にお願いして、お母さんのお腹の中に恵理香ちゃんの魂を入れてもらったのよ」
「たましい?」
「そう。魂っていうのはね、最初は花の種みたいに小さいけれど、お母さんの体から栄養をもらっていく内にどんどん大きくなっていって、最終的に赤ちゃんの体になるのよ。だから神様から魂をもらうと、お母さんのお腹はどんどんおおきくなってくの」
「そっかぁ。じゃあやっぱりえりかも神様から産まれたんだ! よかったぁ〜」
恵理香はうさぎのぬいぐるみをぎゅうっと胸に抱きしめる。母は手を止めて恵理香に顔を向け、聞いた。
「秋奈ちゃんは、誰からその話を聞いたの?」
「あきちゃんのお母さんだって」
「……そう」
一瞬だけ顔を歪めた母は、体を戻して作業を続けた。箪笥が再びきい、と悲鳴を上げた。
「えりかは、神様からたましいもらえないの?」
「えりちゃんはまだ子供だから無理よ。しっかりと勉強して大人になって、ご飯を自分で作ったり、お仕事もちゃんとできるようになれば……」
母は息が詰まったように話を止めた。作業中の手も固まったように動かなくなってしまった。タイミングを見計らったかのように外の虫も一斉に鳴き止み、まるで恵理香一人を除いて地球の時間が全て止まってしまったのかのように思えた。
「いえ……大人になっても無理かもしれないわ」
ものの五秒ほどで母は再び口を開いた。しかし手の動きは止まったままだった。
雨戸がカタカタと揺れた。まるで風と会話をしているかのように。
「どうして? えりかは――神様から魂をもらっちゃダメなの?」
母は再び口を閉じ、すぐには答えなかった。戸惑った恵理香はぬいぐるみを横に投げ、母の背中に向かって声をぶつけるように問うた。
「えりかは……赤ちゃんを産んじゃいけないの?」
「いいえ。そうじゃないのよ……。恵理香は何も、悪くないの……」
母は慎重に言葉を選んでいるかのように一言ずつ会話を繋げていく。
「神様が……いなくなってしまったから……」
「え……?」
「もういないのよ。神様は。もう――」
いなくなってしまった――。
鈴虫がりん、りん、と再び鳴き始めた。
「……?」
どういう意味かさっぱり分からない母の言葉に、恵理香の思考は完全に停止した。四つん這いになって上半身を支えていた腕を引き、元の姿勢に戻ろうとすると、母が急に振り返って、座ったまま恵理香の体を抱きしめた。母のやわらかい胸が恵理香の頬に触れた。恵理香の視線は母の振り返った際に崩れた洗濯物の方向へと向けられた。
「神様は殺されてしまったのよ。天狗に、天狗に殺されたの……。村から神は消え去った。まだそこまでは良かったのかもしれない……。でも――村人が新しい神様を作りだそうとしたのが間違いだった。神は元々一人しかいないのよ。だから、あの子は神なんかじゃない。あれは、あんなものは――」
独り言のように早口で何かをつぶやく母の手は、震えていた。小刻みな振動が、恵理香の小さな背中へと伝わってくる。
恵理香の心臓に母の心情を訴えかけるように。
母は、力を抜きながら大きくため息をついて最後に一言、今まで聞いたことのないぐらい低い声で、
「――悪魔だ」
と言った。
恵理香の頭の中は白い空間にいくつものクエスチョンマークが浮かんでいた。
母は言った途端に恵理香から離れ、何事もなかったかのように再び洗濯物を畳みだした。
箪笥の引き出しの木の軋む音。
雨戸の揺れる音。
外にいる虫の鳴き声。
恵理香の脈拍の早い心臓の音――。
疑問は山ほど残ったままだったが、尋ねることはとてもできなかった。子供の誕生に関しての話は、その日以来絶対に口にしないようにした。恵理香も聞きたくなかったし、母も自分からそういう話題をしてくることは一切なかった。
恵理香が四歳の頃の話である――。