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カトレアクラブ

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 なるほどね、と言って恵理香は料理が無数に並べられたラックの方へと移動した。
「キリストの顔って、本当にあんな顔なのかしら?」
「う〜ん……わからないけど……。逆にそれがはっきり分かってちゃ、絵にする意味がなくない?」
 確かにあやめの言う通りである。
「でもさ――あのキリストの顔って、男にも見えるし、女にも見えるよね。あたしだけかな?」
「え、ほんとに?」
 恵理香は再び掛け時計の上に視線を送る。
 確かに、とがったあごや、高い鼻は男らしいが、髪の長さや憂いを帯びた目は、女性にも見える。
 「本当だ……。でも、伝記の中ではキリストは男性でしょう?」
 「そうだけど……。あたしはこう思うんだ」
 トレーにバターロールを三つ置きながらあやめは続ける。恵理香はコッペパンを一つ載せた。
「ルオーはキリストがどんなことをした人なのかそこまで興味がなかったと思うの。それに聖書にもそこまで関心がなかった――というより、彼独特の感性で読んでいたのかもしれない。だから、ルオーにとってのキリストは、男性でも女性でもない、もしくは両方の性をもった人間だと思って、あんな風に描いたんじゃないかな」
「それって――アンドロなんとか、っていうやつ?」
「違う違う。それはプラトンの『饗宴』のアンドロギュヌスでしょ」
 あやめはそう言ってサラダをお椀に盛った。恵理香は焼きそばを皿に載せた。
「知らないけど……。結局キリストは男と女、どっちなの?」
「あたしはね、どっちでもあったんだと思う。両性具有みたいな」
 ふーん、と恵理香は聞き流して、フォークとコップを取った。あやめはスープも選んでいた。
「あ! 恵理香とあやめじゃん! こっちこっち〜」
 テーブルの方から二人を呼ぶ声が聞こえた。視線を送ると、手を振っている二人の生徒が見えた。ちょうど二人は四人掛けのテーブルに座っていたので、そこに座らせてもらうことにした。
 「オハヨー! あれ、恵理香、朝風呂浴びた?」
 二人を呼んでいたのは、同級生の望と尚子だった。
 「うん。シャワーだけどね。寝てる間に汗かいちゃったから」
 「あらあら。激しい夢でも見たのかしらぁ? 年頃の娘は嫌ねぇ〜」
 くねくね体を揺らしながら、望は意味不明なことを言った。あやめも遅れて近くにやってきた。
 「あら? あやめも一緒だったのね。……恵理香、気をつけてね。あやめは、女の子の裸を見ちゃうと、鼻血が出ちゃうような危ない子だから。……覗かれたりしなかった?」
 望が眉を下向きに曲げた心配した表情をしながら、甘い声で言った。
「ちょっと、何言ってるのよっ。あたしがどうして覗き魔になってるのよ。それにあたしの身体だって歴とした女の子の身体なんだから、他の女子の裸を見たぐらいじゃ鼻血なんて出しません!」
 あやめは口をへの字に曲げて恵理香の隣に座った。乱暴にトレーをテーブルに置いたため、コップに入ったお茶が少しこぼれた。
「ほーう。……てことは、男子の裸を見たらどうなっちゃうかな〜?」
 尚子は挑発してるような嫌らしい視線をあやめに向けた。するとあやめは見る見る内に顔を真っ赤にし、頭から湯気が出ていそうだった。
「やだわぁ、尚子ったら。破廉恥なこと言うから、純粋で清純なあやめが恥ずかしがってるじゃなぁ〜い」
「いやいやぁ、きっと男子の裸体を想像して興奮しちゃってるんだよ」
「ち、ち……違うってばぁ!」
 あやめは椅子をガタンと倒して立ち上がり、真っ赤になった顔で大声を出した。近くのテーブルに座っていた生徒が何事かと目を向けた。
「――まぁまぁ、落ち着いて。ご飯食べよ」
 恵理香は立ちあがってあやめを宥め、両肩に手を置いて、座るように指示した。椅子を直してあげるとすぐに座ったが、顔は下に向けたままだった。恵理香は座って二人を睨み付けた。
「……ちょっと、からかいすぎたかな」
「いじめは良くないわぁ。あやめさん、ごめんなさいねぇ」
 あやめは少し顔を上げた。目が少し潤んでいた。
「いいの。気にしてないから……」
 そう言ってあやめはフォークを握って、サラダを食べ始めた。とりあえず大事にはならなくてよかったと思い、恵理香もコッペパンの真ん中を割り、焼きそばを中に入れて口に頬張った。
 二人は別に悪い人ではないし、いつもくだらない冗談やあり得ない話などで笑わせてくれるのだが、時々今みたいに度が過ぎたことを言ってしまうことがある。恵理香も今日のあやめのようにからかわれることはよくあるが、別に自分は二人より劣っている部分は何もないので、勝手に言ってろという感じに聞き流している。
 けれど、あやめはなかなかそうはいかない体質らしい。それに、今回はすぐに収まったからよかったが、彼女は意外と短気で、一回怒り出すと手に負えなくなる。もしこの場でそのような状況になっていたら、周囲に座っている生徒が全速力で逃げ出すほどだ。感情的にも、言動的にも、被害的にも大変危険だからだ。
 よくぞ中学時代に停学にならなくて済んだと、恵理香は感心した。
「あやめ、ごめん。 えっと……じゃあ、お詫びに後でなんかコンビニで買ってやるから、今回は許してくれないかな?」
 ボーイッシュな口調と短い髪の尚子はあやめに向かって拝むように両手を合わせてウィンクした。
 あやめは黙ったまま鼻をすすった。
「ん〜、それじゃあ、私からは、今度渋谷に行ったときにでも、何か買ってきてあげるわぁ」
 男性を魅了するような揺らいだ声でしゃべる望は、東京の街に似合いそうな、いわゆる今風の髪型と化粧をしている。茶色い髪がいくつにも巻かれていて、濃いアイシャドウとつけ睫毛で、瞳を一、五倍大きく見せている。
 あやめはやっと顔を上げて二人に向け、落ち込んだ表情が一瞬のうちに輝いた歓喜の表情に変わって、
「絶品ソフトクリーム! それと……ピンクスパイダーの香水!」
 と叫んだ。大きく開かれた瞳が、二人に向かってきらきらと輝いている。
 圧倒された二人は目をぱちくりさせながら、顔を見合わせた。
「絶品ソフトクリームって、あの、やけに馬鹿高いアイスだろ……?」 
「ピンクスパイダーの香水といったら……相場は五千円前後くらいかしらねぇ〜」
 二人は小声でそう言いながら、視線をあやめに戻す。
「買ってくれるんでしょ? ねぇ?」
 あやめはにこにこと子供が描いた絵のようなスマイルを、二人に向ける。
「……しょうがない」
「悪いのはあたしたちだしねぇ。しょうがないわぁ」
「やったぁっ!」
 二人は渋々承諾して、コンソメスープを口に運んだ。あやめは右手にフォークを持ったまま、両手を上に上げた。
 まさか、尚子に買ってもらった絶品ソフトクリームを私に渡すんじゃないだろうな……? と不安に思いながら、恵理香は焼きそばパンを食べ終えた。

作品名:カトレアクラブ 作家名:みこと