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カトレアクラブ

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 部屋に戻って制服に着替え、リビングのテーブルが置かれた絨毯の上に座った。よく考えると、床に直接座るのだから、これはテーブルというよりちゃぶ台である――と思いながら、恵理香はその白いちゃぶ台の上に置かれたマグカップを口に持っていった。生ぬるいミルクは空っぽの胃を混乱させた。テレビには朝のニュース番組が映されている。「人気芸能人の、まさかの破局!?」等と言った、恵理香にとってはどうでもいい情報ばかりがだらだらと流れている。
 今朝の夢は実に不快だった。幼い頃の記憶の反復であり、一番思い出したくないものだった。
 あれは――子供の天狗だった。
 それ以来時々悪夢として、夢の中であの光景が繰り返されるのだ。
 記憶は、自分勝手な機能だと思う。嫌でも忘れたいことほど鮮明に覚えているし、絶対に忘れたくない幸せな日々ほど、時間が経つにつれ薄らいでいってしまう。嫌な記憶が忘れられないのは抗体のようなもので、また同じことが万が一起きたときに冷静に対応できるようにするからなのかもしれないが、それでも何も異常がないときや関係のない時に思い返され、不快な気分になるのはどう考えても精神的に良くない。
 恐るべき記憶能力をもった人間よりも、記憶を自分自身でコントロール出来る人間の方が、明らかに天才として評価されるだろう。大きな部屋があっても、無駄なものも多く詰められていたら広い意味がない。多少狭くても、無駄が一切ない部屋の方が実用性に優れている。
「えりちゃん、どうしたの?」
 いつの間にか制服に着替えたあやめが隣に座っていて、考えにふけっていた恵理香はびくりと肩を震わせた。
「ううん、何でもない。……それよりも、カトレアクラブの新入部員って、いつ頃発表されるの?」
 恵理香はブレザーの袖のボタンを指でいじりながら聞いた。
「今週中には発表されるらしいよ。日にちまで発表しちゃうと、パパラッチみたいな生徒が活発に動くからじゃない?」
「徹底しているのね。そもそもどんな活動をしてるの?」
「それも分からないみたい……。生徒会みたいなもの? 音楽祭の主催もカトレアクラブだし……。もしかして、アイドルを目指してたりとか? 目指せ、第二のおニャン子みたいな……」
 あやめの中のアイドルは、二世代ぐらい古いなぁと思いながら、恵理香はネクタイを巻いた。
 聖白百合学園の制服は、赤を基調としたチェックのスカートに、薄いピンク色のワイシャツ、渋めの緑色のネクタイに、紺色のブレザーと言った、創立してまだ間もない学校なだけに、時代をわきまえたデザインだ。
 恵理香は、中でもネクタイが指定というところが気に入っている。高校生にもなってリボンを胸元につけるのは、なんだか幼稚だと思うからだ。といっても、夏場は暑いからクールビズのようにネクタイも外して生活しているが。
「あやめ、ネクタイ曲がってる」
 恵理香はあやめの胸元を掴み、ネクタイを正した。
「あ、ありがと……」
 何故だかあやめは頬を赤らめた。
「じゃあ、ついでにさっきのこと、教えてもらいましょうか」
「さっきのこと?」
「私が怒りそうなこと、したんでしょ?」
 傾げた首を固定したまま、あやめの表情は苦笑していった。
「……言っても怒らない?」
「怒らないようなことなら」
「じゃあダメっ! 言わない!」
 あやめは体を背け、両腕で自分の顔を隠した。
「――まぁ、いいわ。そのうち分かることでしょ」
 恵理香は諦め、テレビのラックの隣にある、冷蔵庫を開けた。
「あ……!」
 あやめが思わず声を出したことで、彼女が何をしでかしたのか大体予想がついた。冷蔵庫の中には、扉側にはマヨネーズと二リットルの林檎ジュース、紙パックに入った牛乳に卵が四つ。冷蔵庫本体の方にはタッパーに入ったご飯が三つにヨーグルトと果物のゼリーがそれぞれ三つずつ。板チョコが二つに何故だかじゃがりこのチーズ味も入っていた。
 恵理香は首を後ろに回してあやめを見る。あやめは胸のあたりで両手を握りながら、冷蔵庫を見つめている。口が開いたままだ。
 顔を戻し、冷凍庫を開ける。扉側には冷えピタシートが箱のまま入っていた。本体の方には、市販の氷の袋しか入っていなかった。
「あぁ……そういうことね」
 恵理香が昨日の夜、コンビニで買ってきたハーゲンダッツが姿を消していた。
 「ご、ごめんなさいっ! かならず弁償しますから!」
 恵理香は冷凍庫の扉を閉め、やれやれと目を閉じながらため息をついた。
「……私がこれぐらいで怒るわけないでしょ、もう」
 え……? と、あやめは口に出さずに表情で聞いた。
「そんな、買ってきたアイスを取られたぐらいで怒るとか、どんだけ心が狭いのよ」
 あやめの表情は見る見る内に笑顔に変わっていき、欲しいものをだだをこね続け、やっと親が買ってあげると言った瞬間のようだった。
「というわけで、朝ご飯食べたら、コンビニで『絶品ソフトクリーム』買ってくーださーいね〜♪」
「えぇっ! 心が広いんじゃないの!? というかあれって一つ五百円近くするじゃ――」
 「窃盗犯に反論する権限があると思って?」
 恵理香は笑顔であやめをすごめる。あやめは黙って下を向いたままゆっくりとうなずいた。
 「さぁ〜て、そろそろお腹もすいてきたことだし、朝ご飯でも食べに行きましょうかぁ!」
 すっかり上機嫌になった恵理香は立ち上がり、両腕を上げて体をうーんと伸ばした。あやめもため息をつきながら立ち上がり、テーブルの上に置かれたマグカップを台所の方へと持って行った。恵理香の飲み残しが入ったマグカップも一緒に持って行ってくれた。
 
 再びエレベーターを使って一回に降り、食堂へ二人で向かった。天井の高い食堂は、二百席近くあるテーブルが置かれ、コンビニよりも安い上にバイキングだから好きなものが食べられるため、ほとんどの生徒が毎日利用している。そのためお昼時は席が空かないほど生徒で埋め尽くされる。
 今日は、半分ほどのテーブルが空いていた。
「今日はなんだか、空いてるね」
「そう? 時間がいつもと違うからじゃない?」
 恵理香は壁に掛けられた大きな掛け時計に視線を送る。短い針が八時を示し、長い針が数字の3に今にも重なろうとしている。壁には他にも、大きな絵画が何枚も飾られてある。恵理香は美術には詳しくないので、どれが誰の何という絵画なのか、皆目分からなかった。
「ねぇ、あのキリストの顔の絵、あるでしょ?」
 あやめがそう言いながら指さす方向に、恵理香は視線をずらす。あやめが指していたのは、時計の上にある、横に長い絵画だった。
 真ん中に髪の長い人物の顔と、その両脇に天使の羽をつけたような銅像が描かれている。遠くから見れば陰影がはっきりとした写真のように見えるが、近くで見ると、荒いドットのように何十色もの色が重なっており、色の多彩さと人間の眼の騙されやすさが実感できる。
「あれって、キリストの顔なの?」
「そう。ルオーって人が書いた、『キリストの顔』、もしくは『キリストとドクトゥール』って絵よ」
 あやめは知ってて当然のような顔をしながら言った。
「どうしてそんなに詳しいの?」
「だって、あたし選択授業で美術とってるから。それの最初の授業で習ったの」
作品名:カトレアクラブ 作家名:みこと