グッバイブルーバード
ごめんと謝罪すると、首を振ったコガネちゃんはおれのパーカに袖を通した。彼氏シャツならぬ彼氏パーカ。当然初めての経験だ。半袖であるのが少しマイナスであるが、少々てれてれとしているコガネちゃんがかわいらしいので問題ない。
手を伸ばしフードをコガネちゃんの頭にかぶせ自転車の後ろに乗るよう促す。すっかりそこに乗ることに慣れたコガネちゃんは荷台部分に横向けに腰かけ、サドルに跨ったおれの腰にしっかり腕を巻き付けてきた。これが少しずつ培ってきた信頼の証であるなら嬉しいが、おれの心臓は祭りの鳴り物に負けないくらいうるさくなる。事故らないようにしっかりハンドルを握り、なるだけ意識をコガネちゃんから逸らすようにした。
予想通り(予想なんてレベルでもないが)、彼女は夏祭りなるものを知らなかった。太鼓や鐘の鳴り物や提灯の明かり、参道から境内まで続くずらりと並んだ露店の眩しさに文字通り目を輝かせている。新しいおもちゃを与えられた子どものように興奮した様子でおれの手を引っ張るので、おれは手を繋がれたことなどそっちのけで彼女の望む通り人混みに飛び込んだ。
綿菓子、たこ焼き、お面や金魚すくい。縁日には付き物のオーソドックスな露店を梯子しては「これはなんですか」と輝く目で問いかける。おれの財布は底なしではないが、両親からありがたくもお小遣いなるものを頂いていたのでコガネちゃんが興味を持つものを次から次へと購入していく。そのたびはっと我に返り申し訳なさそうに肩を落とすので、おれはその落差に噴き出しそうになった。
おれも楽しいからいいんだよ。幼子に言い聞かせるようにやさしく言うと、その表情が一転再び明るいものに変わる。それだけでああ来てよかったと心から思った。
赤く艶やかなりんご飴をかりかりと齧りながら露店の様子を見て回るコガネちゃんだったが、その足がふと止まったせいでおれが彼女を数歩追い抜く形になった。繋いだ手の先に石像があるようにぴくりとも動かず、ただ一点をじっと凝視する彼女の視線をたどる。
オレンジ色のやわらかい光の中で、青い鳥がきらきら輝いていた。
「……おっちゃん、これもっとよく見ていい?」
「おう、いいよ」
露店に寄り断ってから工芸品を手に取る。スカイブルーの着色ガラスで作られたそれはまさしく青い鳥だった。手のひらの上で両の翼を広げている。透明な青い鳥は今にもその翼をはためかせ大空へ飛び立ちそうだった。
コガネちゃんの視線はおれの手の上にいる青い鳥だけに注がれている。あまりの熱視線にガラスが融解しそうだ。おれは彼女にそれを押し付け尻のポケットに手をかけた。ここでおれが出来ることはひとつしかない。
「おっちゃん、これいくら?」
――青い鳥を手に入れたコガネちゃんは、縁日もそこそこに海に行きたいとおれに強請った。その表情が固いので、ああ目的は達成されたもんな、とおれの心も固くなった。
彼女はその青い鳥をどうするつもりなのだろうか。
彼女は本当に人魚で、恋する男を殺すのだろうか。
どれも口にすることができず、黙ったままでコガネちゃんと共にいつもの海岸へ向かう。触れているはずの背中はまるで氷を押し付けられているような感じだった。
到着した浜辺で、彼女は砂の上に置きっぱなしにしていたスケッチブックを取り上げ文字を書きだした。それを見せながら青い鳥をおれに差し出す。
これはあなたのものです。
「おれの?」
こっくりと大きく頷いたコガネちゃんがおれの手に青い鳥のガラス細工を握らせる。状況がわからない。おれはてっきり、彼女が青い鳥を探しているのは好きな男にプレゼントするためだと思っていたのだが、まさかその好きな男――彼女が恋に破れた場合殺害する男は、おれだというのか。だとすれば、おれが死ぬ必要も、彼女が泡になってしまう必要もないのではないか。
なぜならおれは、少なからず彼女に好意を抱いているだろうから。
はっきり恋をしているとは言えないのが情けないが、出会ってまだ半月ではこれが恋愛感情であると自分でなかなか把握できない。それでも彼女と共に青い鳥を探した半月はとても楽しく、これから先もコガネちゃんと共に過ごしたいと思った。
しかしコガネちゃんは首を振り、スケッチブックに「わたしの好きだったひとはもう死んでいるのです」と書いた。そして新しいページに長い文章をいくつも連ねていく。
わたしが恋をしたひとは、この海岸沿いにある総合病院にいました。何年も前の話になります。幼いわたしが浅瀬で人間に見られるとも知らず遊んでいると、偶然外に出てきていた彼がわたしに声をかけてきました。とてもやわらかい声でした。
心臓の病気である彼はあまり外に出られないと言っていましたが、その時々出られる日にだけ、わたしは浅瀬に遊びに行って彼とお話ししました。それだけで嬉しかったのです。でも彼は、あるとき突然来なくなったのです。
わたしは彼に会えなくなったことが悲しくて悲しくて、毎日泣いて過ごしました。そして十五歳の誕生日に、魔女にお願いをして人間にしてもらったのです。恋をしている相手がもういないだろうと思いながらも、それでもわたしはこの目で本当のことを確かめたかったのです。
おれは泣きだしそうな顔をしてスケッチブックを見せるコガネちゃんに呼吸が止まる思いだった。彼女は、このきれいな少女は、自分が泡になることが決定されている未来を知りながら人間になることを望んだ。それほどまでに彼女はその男に想いを寄せていたのだ。
青い鳥を探していたのは、せめて男がいた病室に青い鳥を届けることで、あの世でも彼が幸せになれるようにとの本当に美しい心からの行為だった。
「――それで、なんでおれに、」
喉が渇いて仕方がない。そういえばコガネちゃんは、今夜会ってからまだ一度も足に水をかけていないが大丈夫なのだろうか。
コガネちゃんはおれの手の上から青い鳥を撫でてからスケッチブックを開いた。
あなたと過ごすうち、青い鳥を見つけたらあなたに貰ってほしいと思い始めたのです。あなたは何も知らないわたしにたくさんの楽しいことを教えてくれました。いつもわたしにやさしくしてくれて、わたしはとても嬉しかったのです。だからこれからがあるあなたに、幸せになってほしいと思いました。
心臓が収縮する。おれはようやく自分が息を止めていたことに気付いた。そうでもしないと胸の辺りがぎゅうっとして、痛くてたまらなかったのだ。
おれは気付けばコガネちゃんの肩を掴んでいた。瞠目する青い瞳が見上げてくる。
「これからがあるなんて言うな。そりゃ確かに人間になる理由になった奴はもういないけれど、これから新しい恋をして、そいつと結ばれれば泡にならなくても済むだろう。魔女がなんだ、今すぐここに引きずり出してこい、おれが説教してやる。あんたが死ぬことなんてないじゃないか。だってそうだろう、こんなに、」
こんなに素直できれいな心を持った子を、おれは未だかつて知らない。
もう五十にもなるのに子どもの前でいつまでもいちゃいちゃする両親だとか。
毎日睫毛バシバシで容姿を繕っておれをパシリにする姉だとか。
兄に対してこれっぽっちも尊敬の念を見せない態度のでかい弟だとか。
作品名:グッバイブルーバード 作家名:橙子