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グッバイブルーバード

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 にわかに信じがたい話ではあるが、もし本当に彼女が人魚姫であるなら、彼女は人を殺さなければ死んでしまう。この場合おれが取るべき行動は次のうちどれか。
 一、彼女を説得して犯罪を食い止める。
 二、どこかの誰かには悪いが彼女のために死んでもらう。
 三、彼女のこともすべて忘れなかったことにする。
 なんということだ、どれも残酷じゃないか。
 おれは今日も今日とて打ち寄せる波に足を浸している少女を日陰から眺め、どうするべきかと悩んでいた。青い鳥は依然その影すら捉えられていない。
 やれやれと溜息をついていると、拾い集めたビーチグラスで両手でいっぱいにしたコガネちゃんが駆け寄ってきた。日に焼けない白く華奢な手の中できらきら輝くガラス片を見ていると何だかどうでもよくなってくる。ひとつ摘んで太陽に透かしてみると、中で光が屈折してやわらかく光った。ひどくきれいだ。
「こんなにどうするんだ?」
 おれの問いに腰かけたコガネちゃんは首を傾げてみせ、すぐにその首を左右へ振った。特に目的があったわけではないらしい。スケッチブックにのたくった字を書く。思えば、彼女の字が下手なことや何もかもが初めてだという様子は当然のことだったのかもしれない。人魚姫は海の世界しか知らない。
 なんだかかなしそうだったので。
「おれが?」
 コガネちゃんにはすっかりばれてしまっていたらしい。女の子に心配されて情けないなと思ったが、本当に気遣ってくれているような視線におれは何でもないと首を振りコガネちゃんの手にビーチグラスを戻した。
 もしかしたら彼女は泡になってしまうかもしれない、そうすればこうしてビーチグラスを集めることもできなくなる。おれはどうしても、このビーチグラスを何らかの形で残したいと思った。
 どうにか保存ができないだろうかと思ったおれは、ちょっと待ってて、と家へ戻り父親の工具箱からラジオペンチとニッパー、余り物らしい針金をビニール袋に突っ込んだ。次に台所で竹串と、裁縫箱からこれまた余り物の紐を調達する。袋の中でがちゃがちゃと工具がぶつかり合う音に気付いた弟が怪訝そうにこちらを見たが、すぐ興味をなくし部屋の奥へ引っ込んでいった。今はそんな態度がありがたい。
 おれもよくこんなことを思いついたものだ。海岸に戻ったおれが持っている道具を見て不思議そうな顔をするコガネちゃんの手からピンク色のよさそうなビーチグラスを受け取る。工作は得意じゃないが嫌いではない。ビーチグラスにラジオペンチで針金を適当に巻きつけ、余った先端を竹串にもくるくると巻きつける。竹串を引き抜きその隙間に紐を通せば、簡単にビーチグラスのペンダントが出来た。小学生レベルの工作だが、一時期姉がこういったことに凝っていたのでよく覚えている。
 それをまるで魔法でも見るかのように見つめていたコガネちゃんに渡すと、おれとペンダントを見比べた彼女が自分の顔を指差した。わたしにですか、ということなのだろう。他に何があるというのだろうか。
 おれは生まれてこの方女の子に何かをプレゼントするのは初めてだ。しかも手作りだなんて、気持ち悪いにも程があるだろう。しかしコガネちゃんは自分の拾ったビーチグラスがこんなものになると思っていなかったらしい、さっそく首からぶら下げたビーチグラスを手に握り嬉しそうに笑ってみせた。その笑顔に胸の辺りがぎゅっと縮まる。
「――明日は夜来るから」
 往復する途中に見た掲示板で気付いたが、そういえば明日は市内の稲荷神社で夏祭りがあるのだ。
 コガネちゃんのことだから、きっと夏祭りなんてものは知らないだろう。彼女がいついなくなってしまうのかおれにはわからないが、少しでも長い時間を彼女と過ごしたかった。まだ人間の世界のことを知らない女の子にもっと色々なことを教えたい。これが好意と呼ぶならそれでいい、おれはコガネちゃんをこのまま泡になんてさせたくない。
 コガネちゃんはぱちぱちと瞬きを繰り返し、そうしてやさしく笑い「迎えに来てください、待っています」とみみずの字で書いた。
 稲荷神社の夏祭りに足を運ぶなど何年振りだろう。昔は親に連れられ盆踊りに参加したり、着たくもない浴衣を着させられ仏頂面になったりしたものだ。近年では規模も縮小され縁日が行われるだけだが、ちょっとした花火大会も開催されていて小規模なりに頑張っているようだった。
 姉弟はそれぞれ友人と待ち合わせがあると早々に出て行き、おれもしばし遅れて支度を始める。暗がりでもわかるようにとデジタルの腕時計を手首に巻いていると、不意にテーブルに置いていた携帯を母の指がつついた。まさか中を見られるのかとぎょっとする。
「なっなに、」
「んー、昨日までは見なかったものがくっ付いているなあーって思って。きれいね。手作り?」
 おれの携帯をひょいと持ち上げた母がストラップをまじまじと見つめる。ライトに翳したりひっくり返したり。それはおれがコガネちゃんと別れてから自室で作ったものだ。彼女が拾ったシーグリーンのビーチグラスをペンダントを作ったときと同じ要領で針金を巻き付けた簡素なもの。
 おれはかっと顔に熱が集まるのを感じた。ずっと秘密にしていた宝物を発見されたような妙な気分になる。羞恥と焦燥がない混ぜになり、握った手にじんわりと汗が滲んだ。
「母さん、あまりからかってやるな」
「ええー。だって父さんも気になるでしょう? 最近忙しいみたいだし、今日だって夏祭りに行くだなんて。ね、ね、彼女でも出来た? かわいい? 紹介してよお」
「知らん! もうおれ行くから!」
 父の助け船に遠慮なく乗り、携帯を奪い返したおれはリビングから逃げるように出る。いくつになっても仲がいい両親の笑い声が追いかけてきて、抱えていた胸の熱がすうっと引いていった気がした。呆れを通り越しもう諦めている。
 夜、日が落ちてからコガネちゃんに会うのは初めてだ。こんな闇夜に青い鳥が飛んでいるとは思えないという理由や、あまり遅くまで女の子と二人きりで過ごすのはいけないんじゃないかという考えのもと、おれは夜になるまでには彼女と別れ帰宅するようにしていた。それに彼女も家(あるいは宿)に帰らなければならないだろうし。――彼女が人魚であるかもしれない今となっては、そんなこともうどうでもいい気がするが。
 ぽつぽつと道路脇に立つ街灯くらいしか光源のない真っ暗な海辺でも、コガネちゃんの姿ははっきり見て取れた。不思議な色をした髪やワンピースが自ら光を放っているようにぼんやりと彼女の姿を映し出す。人魚というよりまるで恒星のようだ。神秘的というより他にぴったりな言葉が思いつかない。
 おれを見つけたコガネちゃんが浜から道へ登って来る。こんばんは、と口ぱくで頭を下げる少女に、この子は本当に礼儀正しい子だなと思った。
 昼間はさほど目立たなかったが、この暗闇で光る髪と服はどうにかしなければ。おれは悩んだ末に、Tシャツの上にはおっていたパーカを彼女に手渡した。直前まで男が着ていた服を勧められるなど不快で仕方がないだろうが、ここで家に取って返すとまた両親に(というか母親に)何を言われるかわかったものじゃない。
作品名:グッバイブルーバード 作家名:橙子