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グッバイブルーバード

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 明日から夏休み、明日から宿題、明日から姉と弟と一日中一緒。おれの憂鬱な気持ちを代弁するように、窓の外は入道雲がもたらす雨がばらばらと降り始めた。激しいそれは一過性のものとはいえ、こう喧しく降られると鬱陶しくてたまらない。弟はアイスを齧りながら「やっぱり努力値の振り方が……」などとぶつぶつ言っている。なんだ、努力値って。おれにはよくわからない。独り言は程々にしないと人が離れていくぞ。
 やることもなくテレビを付け、平日昼間のつまらないワイドショーを眺める。雨はまだ止む様子がない。
 そういえば、海辺で出会ったあの子はどうしただろうか。青い鳥を探していると言っていたが、この天気じゃそれもやめて家だか宿だかに帰っていることだろう。或いはどこかで雨宿りをしているか。おれの靴は彼女には大きかったが、歩きづらくないだろうか。
 ほんの僅かな時間だが関わってしまった以上気になってちらちらと窓の外を見る。彼女はいわゆる不思議ちゃんというものなのだろうが、何となくそれとはまた別の、それこそ人間ではなく宇宙人みたいな印象の女の子だった。浮世離れしているというか、この世の生物ではないような。ところで世間の不思議ちゃんは皆青い鳥を探しているのだろうか。おそろしいものだ。
 溜息をつきながらソファの背もたれに体を沈めたおれだったが、ぴちょ、とシャツが背中に触れた途端声こそ出さなかったが背筋をぴんと伸ばし硬直してしまった。汗でぬれたシャツがクーラーで冷えている。それに段々寒くなってきた。そろそろ着替えないと風邪をひいてしまう。
 やれやれと再び鞄を手に自室へ向かおうとしたおれに、帰宅しリビングに現れた姉が「あんた、さっき女の子といたでしょ」と開口一番言及してきた。まさか見られていたとは。
「だれなのあの子、彼女?」
「えっ兄ちゃん彼女いたの!」
「そんなわけあるか! 探し物してるみたいだったから話しかけただけ! つーか姉ちゃんどこ行ってたんだよ」
「私は除光液持って帰ってくるの忘れたから買いに行ってたの。それで探し物は見つかったの? あんなところでなに探してたの」
 ねえねえ、と詰め寄られ昔からこの女に弱いおれは後退さるしかなく、足がテーブルにぶつかり逃げ場がないことを悟った。姉のマスカラとアイライナーで縁取られた目は人工的に大きく見せられていて少し怖い。
「あ、青い鳥だよ! ヘンゼルとグレーテルの!」
「青い鳥?」
 なにその子ども騙し、と鼻で笑った弟がアイスの棒を齧る。これが子ども騙しじゃなく本当にあったことなんだと言うと、なにそれへんな人、と言ったきりさっさとDSの世界に戻って行った。姉のほうも同じことを言いたいらしく、あまり関わらない方がいいんじゃない、と冷蔵庫からミネラルウォーターのボトルを出しながら振り返った。ネイルで彩られた長い爪が「ああ、それと、」とおれを差す。どうでもいいが尻でドアを閉めるな。
「あんた、それチルチルとミチルよ」
「えっ」
 よほどおれは間抜けな顔をしていたらしい。ぷっと馬鹿にするように笑った姉は恥かいたわねと茶化してきた。通りであの子も不思議そうな顔をしていたわけだ。まったく、おれの知識も底が知れている。


 夏休みの醍醐味といえばアルバイトやボランティア活動、この長期休暇でしかできない自転車で日本縦断旅行、夏祭りにひと夏のアバンチュール、等々。やろうと思えばできないこともないが(最後のやつはとっくにゴミ箱に捨てている)、どちらかといえば家でジャンプを読んでいるほうが幸せな人種なので、おれは夏休み初日の今日は寝て過ごすことにした。始めからエンジンフルスロットルでは最後までもたない。
 昼すぎまで惰眠を貪ることほど充実した一日はないだろうと思うのだが、不思議なことにそれをよく思わない人間が家には一人いて、午前中のうちに姉の言い付けで弟が起こしに来た。おまえはおれの言うことは聞かないくせに姉の言うことは聞くんだな、という嫌味を込め弟を睨みつけると「涎拭いたら」と指摘され何故か泣きたくなった。弟に責任転嫁するなんて、自分で自分が情けない(おれの言うことは聞かない件については納得していないぞ)。
 おれのような人間は大抵昼まで寝て、夕方頃になるとなんて時間の無駄遣いをしたんだと後悔する。「まっ、まさかタイムリープ!?」などと言ったところで突っ込みがあるわけでもなく、また時をかける少年であるはずもないので今日をやり直すことはできない。そう思うとこのまま寝続けることがなかった現実に感謝すべきか。姉よ弟よありがとう。
 眠っている間に誰かから遊びの誘いでもなかっただろうかと携帯を開いてみるが、昨日まで学校があったのだ、昨日の今日ですぐ友人と会って「遊ぼうぜ!」ということがあるはずがない。それはよほどの暇人だ。彼女? なんだそれは、食べ物か。
 姉が茹で冷やしてくれていた素麺で朝食兼昼食を摂る。窓から差し込む光は今日もピーカンいい天気で、おれはそれだけでうんざりした。出かけたくない、と心底思う。うんざりしながら素麺をすするおれの手元に差し出されたメモには、洗剤や牛乳といった日用品、食糧が箇条書きにされていた。おれがどれだけ馬鹿でもわかる。おそらく園児でもわかることだろう。おつかい、だ。しかも母の字で、ご丁寧に宛名まで書いてある。もちろん宛先はおれ。
 これだから夏休みというものは。
 メモを突っ込んだ財布と携帯だけをズボンのポケットに入れ自転車にまたがる。バスを使えば快適だが、運賃が支給されないのであればつらくても自転車を使う。とりあえず図書館かどこか金のかからないところで時間を潰して、落ち着いた頃に帰ろう。早く帰宅すると次に何をやらされるかわからない。
 さて、おれは今までずっと忘れていたことがひとつある。それは夏休みの宿題でもアイスの残り本数でもない。ずばり、〝チルチルとミチル〟だ。
「うわ……見ちゃったよ」
 気付かなければ済むものを、おれはうっかり、おそらく無意識のうちに意識して、海沿いの道路から海岸を見てしまった。見て見ぬふりができればよかったのだが、へんなところで律儀なおれは結局また昨日と同じ道を辿るのだ。
 昨日青い鳥を探していた少女は、今日も同じ場所で鳥を探していた。
「こんなところには鳥なんていないって」
 おれの声に気付いた少女が振り返り、わずかに瞠目して見せる。そうして慌てて足元からおれが昨日貸した靴を持ち上げ、頭を下げながらそれを返してくれた。彼女の足には白い華奢なサンダルが履かれている。裸足はやめたようだ。
 おれはそれを受け取り、改めて少女に青い鳥などいないことを伝えた。純粋な心を打ち砕くようで悪いが、こんな真夏に帽子もかぶらずいつまでもないものを探していたら、そのうち必ず体調を崩してしまう。下手をしたら命を落とすかもしれない。彼女が何者かは知らないが目的を知っている以上、もしそうなったらおれは寝覚めが悪い。
 少女(仮にコガネちゃんとしよう)はおれの言葉に憂いの表情を見せ、しかしすぐスケッチブックに何かを書き始めた。繊細な文字がおれに見せられる。
『それでも見つけたいのです』
「幸せになりたいから?」
作品名:グッバイブルーバード 作家名:橙子