魔法使いの夜
「どうしたの? ぼく」
「ごほっ、ごほっ、ごほごほ……」
女の人が声をかけてくれた。でも咳がひどくて答えられない。
それからどうなったのかよく覚えてないけど、その女の人の家にぼくは連れて行ってもらった。
その人はぜんそくのことをよく知ってるみたいで、ぼくのおなかにクッションをあててくれた。クッションを抱きかかえるようにしてソファーにすわると、ぼくは息がしやすくなった。女の人はしばらくぼくの背中をさすってくれて、それから吸入器を出してきた。十五分ほど吸入するとずっと楽になった。
「すみません。どうもありがとう」
ぼくはやっと声を出すことができた。
「これ飲んでみて。にがいけどよくきくわよ」
茶色い変なにおいのお茶のようなものをだしてくれた。一口飲むと本当ににがい。でもがまんして飲んだ。
「ぜんそくの子があんまりむちゃしちゃだめよ。外で遊ぶのはもちろんいいことなんだけど」
顔をあげて見ると、短い髪を金色にそめたちょっと男っぽい感じの人だ。背がすらっと高く、やせているので男の人にも見える。着ているものは黒いセーターと黒いジーパンだった。
(もしかして、この人……)
ぼくの胸をちらっと不安がよぎって、心臓がどきどきしだした。
「さっき、神社にいたでしょ? 昨日はもとの小学校にいたわね」
ぼくはあんまり意外だったので、返事ができなかった。
「昨日、久しぶりにこの村に帰ってきたの。十二年前に飛び出して……。小学校、廃校になっちゃったのね」
「ごめんなさい。男の人だと思ってました」
ぼくはどうしてそうしたのか自分でもわからなかったけど、立ち上がって頭を下げた。顔がほてって赤くなっているのがわかる。
「いいのよ。わざと男の格好してたんだから」
「どうしてですか?」
「恥ずかしくてね。昔、すっごくぐれてみんなを困らせたから」
「ママ」
そのとき、小さな女の子が部屋に入ってきた。フランス人形みたいにかわいい子だ。ぼくをみて急いでお母さんのうしろにかくれてしまった。
「人見知りなの。この子もぜんそくで……」
「ああ、それで吸入器が」
「そう。さっきのお茶も漢方なんだけど、この子がんばって飲んでるのよ」
女の子はぼくをじっとみている。
「よろしくね。ぼくはジュンていうんだ」
すると女の子はちょっとはにかんで笑った。
「あら、あこは自分の名前、お兄ちゃんに言わないの?」
お母さんに言われてもじもじしている。
「この子はあこっていうの、三歳よ」
「ママ、お花は?」
「ほら、そこに飾ってあるわよ」
「ほんとだ。とってもきれい。ありがとう、ママ」
テーブルのうえに白い椿の花が飾ってあった。
「この花ね、あの神社の裏山に咲いてるの。この子が昼寝してるあいだにとってくる約束だったの」
ぼくは軽くうなづいた。少しの沈黙のあと、ぼくは思い切って聞いてみた。
「あの、防空壕のなかにはいりましたよね」
「あらやだ、みてたの? あそこコウモリいるでしょ。今も巣があるかどうか確かめたのよ」
「そうなんですか」
「女のくせにおかしいって思ったでしょ。わたし、子供の時から背が高くて男勝りだったの。いつも男の子とばかり遊んでたから、あんなところへっちゃらなの。それにね、あのコウモリがきっかけで、わたしコウモリが好きになって……」
そうして別の部屋からコウモリのはいったかごをもってきた。
「わあ」
「これは冬眠しないのよ。食べ物も果物でね」
コウモリはよく慣れている。ぼくもかごの外からえさをやってみた。
「コウモリってさ、不思議っていうか気味が悪いっていうか、あんまり人からよく思われていないでしょ? 嫌われ者のわたしにふさわしいのよ……」
「どうしてですか?」
「いろいろあってね。結局、自分の弱さかな」
「はあ……」
ぼくはなんのことかわからないのであいまいな相づちを打った。すると、花をみていた女の子がお母さんに抱きついた。
「あこ、ママ大好きだもん」
「ありがと、あこ」
「ぼくもあこちゃんのママ大好きだよ。ぼくのこと助けてくれたんだもん」
あこちゃんはにっこり笑うと、今度はぼくのとなりにすわった。
しばらくして、ぼくの呼吸が落ち着いてくると女の人はいった。
「もう、大丈夫かな。車でおくるわ」
「すみません。ご迷惑おかけして」
「やだ、ずいぶん大人びたこというのね」
女の人はくすっと笑った。ぼくは車に乗せてもらった。あこちゃんはお母さんのとなりには乗らず、ぼくのとなりに座った。
「あこ、お兄ちゃんのこと好き」
なんだかくすぐったい感じがした。