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冬の海辺

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 ――……一年。





 年明けを間近に控えた冬の日。
 小島の海際に立つ館。そこの主が仕事や来客との謁見に使用する執務室で、黒髪の子供が一人遊んでいた。
 この館に置いては領主のみが座ることを許される、豪奢な金細工が美しい舶来品の椅子によじ登ったり、その背もたれの上に腰掛けてみたりと、高価な椅子でやりたい放題に遊んでいる子供を咎める人間は、室内は愚か館の中にすら居はしない。

 と、その時のことだ。

「おや、ルーディ。母様はどこだい?」

 コンコン、と軽いノックの音と共に廊下へと通じる扉が開いたのに、子供はふいと顔を上げた。
 見れば、ドアを開けたのはがっちりとした体格を持つ雲をつくような威丈夫で、己も見慣れた母親の側近の一人である。
 呼ばれた名前と共に問いかけられれば、子供……ルーディは椅子の背もたれに腰を預けた、一見危ういような姿勢で微妙なバランスをうまく取りつつ、けらりと酷く呑気に笑った。
「もーすぐ来るよ。母様が、グラシャルが来たら座って待ってるようにって言ってた。座る?」
「俺がその椅子に?とんでもない」
 ルーディが軽く遊び道具にしている椅子を指して聞くと、グラシャルと呼ばれた大男はブンブンと大げさなぐらい首を横に振って否定の意を示した。
 手に持っていたパルメシア国王の紋章が刻印されている筒を無造作に卓に投げ、椅子の背もたれに腰掛けているルーディの方に歩み寄る。両手を差し出せば、少年は素直に男の両腕へ体を預けた。一度ふわりと軽々抱き上げられた子供の体は、黄金の椅子の背もたれから、本来尻を落ち着けるべき場所である柔らかそうな赤ビロードのクッションの上に、丁寧にそうっと移される。
「俺相手と言えども、冗談は選んで言え。いや、冗談でもその椅子を、お前が他人に勧めてはならん。この椅子は大海を駆け抜ける、『東の海原』の領主のみに許される座なのだから」
「他人って、王様でもこの椅子には座れないの?僕と母様がお船に乗ってても?」
「例えお前とお前の母が居らぬときに王がやってきて、『その椅子に座りたい』と言った所で誰が許すものか」
 きちんと椅子に座らされた己の前に跪くグラシャルを見て、ルーディはきょとんと首をかしげた。
 ルーディの問いかけに、グラシャルは深い息をついて再び首を横に振る。
「この館の誰も王に忠誠など誓わんよ。我らが永遠の忠誠を誓うのは、お前の体に脈々と受け継がれる海の覇者の血にのみ……今この世に置いては、お前の母様とお前にだけだ。今はこうしていられるが、もう十年もたってお前が成人し、母様の跡を継げばこんな口も利いてはおられぬ。どれ、練習してみるか。えー、御館様に置かれましては、本日はお日柄もよく……」
「……五歳の幼児に向かってそんな気持ち悪い口の利き方をするな、この阿呆めが」
 そうして、グラシャルが椅子に座ったルーディの前に改めて膝を着きなおし、頭を深く垂れて恭しく何かの口上を述べかけたその時。
 遮るように背後からかかった呆れた声音に、グラシャルは息をついて振り返った。
 見ればいつの間に来たものか、深い藍色の髪を首の中ほどの長さでばっさりと切り、白いシャツの上に翠のベストを羽織ったその下は、貴族の子女が好んで纏う華美なスカートではなく、実用本位な黒い乗馬ズボンと言う、およそ貴婦人とはかけ離れた格好をした女が一人。開け放たれたままの扉に寄りかかりつつ立っている。
 眇められた紫紺の瞳の、心底呆れたような表情に、グラシャルの口から知らず知らずの苦笑が洩れた。
「おいおいおい。自分の片腕に向かって阿呆とは酷いな。何れ来るだろう未来のために練習をしていただけじゃないか」
「阿呆を阿呆と呼んだまでのことさ。練習せずとも十年後には、お前はもう隠居の身だ……で、何の用だグラシャル。私が海に居る間、なんぞ面白いことでも起こったか」
 日焼けした全身にふわりと潮の香りを引き連れて颯爽と室内に歩んできた女……ハルは、椅子にちょこんと座っている息子の方へと歩み寄りながら部下に向かって、いささかきつい台詞と共に端的な質問を投げた。
 問われた家臣であるグラシャルは、立ち上がって主に通路を譲りながら顎を撫でつつ、ハルが息子を軽々と抱き上げ、館の主のみが腰を下ろすことを許されるその椅子に無造作に腰を下ろし、息子をその膝に落ち着かせるのを待ってから口を開く。
「面白いことは特にはないな。今年の冬は暖かいというだけで、領地も商売も平穏なものだ……今日はお前が居なかった間に、王城からの使者が持ってきた書状を届けにきた。そこに置いてある。勝手に読め」
 顎で差す卓の上には、国王直々の書状が中にあることを示す国王印の封蝋がされた黒筒が、酷く無造作に転がされていた。
 本来そんな扱いをしてはならぬはずのそれであったが、館の主は別段叱るでもなく、側近がそれを卓に転がしたのと同じくらいの無造作さで黒筒に手を伸ばし、いささか乱暴な手つきで封蝋を破って中の書状を広げる。
「で、軟弱王はなんだって?」
 母親の腕に甘える息子をあやしながら、視線だけを動かして書面を読む主にグラシャルが尋ねると、ハルは暫く黙った後で盛大に溜息をついた。
「……今年の宮廷伺候にはルーディを連れて出席するように、だとさ。そういえばもう年明けなのだな」
 去年の宮廷伺候のすぐ後に夫が死に、息子が四つでこの家が持つ侯爵の位を引き継いでから、もうじき一年がたつ。
 時の経過のなんと早いこと、と読んだ書状をひらりと卓に投げてハルが髪をかきあげれば、その様を見ていたグラシャルが低く声を上げて微笑んだ。
「一年の半分も海に居れば、時がたつのも早く感じるだろう。やれやれ、我が乳兄弟さまはそこらの男より働き者でいらっしゃるからな。陸での仕事も海の仕事以上に頑張ってくれれば、俺も楽が出来るんだが」
「働き盛りが何を言う。私が海に居られるのも、そなたが屋敷と領地の管理をしっかりとしていてくれればこそ。同じ乳を飲んで育った我が愛しの兄上であれば、私がその働きに心の底から感謝しているのが分からないとは、まさか言わないだろうな?」
 側近の言葉に嫌味をこめた口調で笑い返してから、ハルは息子を膝の上に乗せたまま、ふぅ、と息をついて椅子の背もたれに体を預けた。
 椅子の肘掛に頬杖をつきながら、上目遣いに側近を見上げる。
「しかし宮廷伺候か……ルーディを連れて来いと言うのは、子供を盾にとって私の頭を抑えつけたい宮廷の意図が見え見えで、正直気が進まないな。なんとか辞退できないものだろうかね。夫の喪に服しているからとかなんとか、理由をつけて」
「そういう台詞は一年前に言っておくべきだったな。この一年散々仕事をこなしておいて、今更夫の喪に服するために館に篭ります、ではさすがに分が悪い……それに、ルーディを一度宮廷に連れて来い、と言う命令は、ルーグが死んでルーディが書類上正式な侯爵になった直後からのものだ。これ以上職務上の不在と予定の変更を理由に国王命令無視するのも、正直得策とは言えん。……こうなってみるとアレだな、やはり一年前、嘘でもルーグの喪に服すとかなんとか書いた書状を、国王に送ってればよかった」
作品名:冬の海辺 作家名:ミカナギ