小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

冬の海辺

INDEX|3ページ/7ページ|

次のページ前のページ
 

「その後、領地の管理は一切彼が行っていたのだがね。やはりあの土地の広さだ。領主一人で全てを管理するのは無理がある。能率も悪い。と、なればやはり誰か自分の代理人を置いて、その代理人に事業の管理を任せるのが適当だが、親戚は当てにならない……と、くれば答えはひとつだろう」
 ここまで言えばもう解るだろう、と答えを促してやると、聡明な妻は瞬きをひとつした後で少しの間沈黙し、やがて信じられないと怪訝な顔をしながら、確認するかのようにおずおずと夫を見上げた。

「……まさか領民に領地の管理をさせるつもりなのじゃないかと?」
「その通りだよ。ようやく答えにたどり着いたなぁ」

 ルーグが笑うと、妻は「そんなことはあり得ない」とぶるぶると首を横に振った。
 書類を寄越せ、と手を伸ばすのに渡してやると、ページをぺらぺら捲りながら呆れたように息をつく。
「そんなことがあってたまるか。聞いたことがないぞ、平民が領主代行なんて。文字もかけない農民に、領主代行など勤まるかどうかも解らないではないか」
「毎日毎日そこで実際に働いている人間に、そこで働く方法を教える教育が必要なのか?それに前例がないからやってはいけない、なんて法律はない。君だってパルメシアでは初めて宮廷伺候に参加を許された女性じゃないか。君が私の代理で王宮に上がるまで、パルメシアの宮廷伺候に女性が参加するなど前例がなかったことなんだよ」
 言えば、妻はぐっと言葉に詰まった。
 この王国に置いて、貴族の女性に求められるのは政治的手腕や聡明さではなく、夫の一歩後ろを歩む奥ゆかしさと厳しい貞操と、貴族の子女に相応しい、行き過ぎない程度の教養である。政治の表舞台に立てなくなった領主が摂政を据えるにしても、親族の中で一番信頼できる男性……普通は兄弟や従兄弟などだが……を任命するのが習慣で、己のように妻を摂政に据えた者は前例がない。ましてや領内だけではなく、重大行事を執り行う場である宮廷にまで己の代理として妻を……女を赴かせるというのは、領内はともかくとして、領外から決して少なくはない批判と反発を買ったものだ。
 だが、その反発に構わず妻を摂政に据えた旨を報告する手紙を国王に書き、「君のやりたいようにやっておいで」と妻に持たせて館から送り出した一昨年の宮廷伺候で、妻は自らその場所に参加する権利をもぎ取って帰ってきた。
 跡取り息子が成人するまで、正式に妻を摂政と認めると言う国王直々の署名まで入った書状まで、お土産として携えて。
 恨めしい視線で己を見上げる妻の頬に、ルーグは笑いながら手を伸ばした。
 言いくるめられて悔しい、と言う表情をありあり滲ませる妻の、多少日に焼けてこそいるものの充分すべらかな頬を撫でながら、諭すように言う。
「彼は見定めているんだ。自ら領地を任せるに足りる人物をね……で、今までの話を踏まえた上でもう一度聞くが、本当にその領主の名前に覚えはないのかい?」
「貴方の読みが正しいと前提するなら非常に面白いが……あ!」
 まだ納得しかねる、と言う表情で悔しそうに書類を睨んでいたハルの目が、件の領主の名前を文字列の中から拾い上げた途端に見開かれた。
「この名前は、そう言えば聞いたことがあるな……去年、だったか?隣のアニス共和国で伝説だと思われてた遺跡を発掘したとかいう考古学者が、こんな名前じゃなかったか」
「そうだ。その前は難攻不落と謳われていたパルメシアとアニス共和国を繋ぐ、古代海底迷宮の踏破にもたった一人で成功している。ほら、彼が迷宮を制覇した際に残した目印を基にして、パルメシアとアニス共和国が共同で迷宮内の魔物の駆除と整備をするからと国王から使いが来たもので、うちからも随分金を出しただろう。それでこれから危険な海峡を通ったり、二倍も三倍も遠回りした陸路を行かなくても両国間の行き来が可能になると、一時期偉い話題になったじゃないか。思い出したかい?」
「なるほど。そういえばどこかで聞いた名だと思っていた。……同姓同名の別人と言うわけでもなかろうな」
「珍しい名だからな。それはないだろうよ。……どうだ?それだけ考えても、若いだけじゃない。頭のある領主だ。面白いじゃないか」
「ああ、面白いな。非常に面白い……なるほど、ルーグが興味をそそられるわけだ。来年の伺候で会えるだろうか」
 ルーグが言うと、ハルは頷いた。
 その顔が「操られの領主になど興味はない」と余りこの話に乗り気ではなかった先ほどまでと打って変わって、きらきらとした好奇心に満ち溢れていくのを見て、ルーグも少し笑う。
「多分、会えるだろう。尤も、それまで私の命があるかどうかは疑問だが」
 おどけると、妻の眉がきゅっと釣りあがった。
 ばしんとベッドに持っていた書類を叩きつけて、視線を鋭く細める。
「何を弱気な。貴方らしくもない。結婚の宣誓違反は地獄行きだぞ。忘れたわけではないだろう?貴方は自分が死ぬより先に私を看取らなければならないはずだ」
「逆も誓ったはずだぞ?まぁそんなのは冗談だ」
 忘れろ、とルーグが手を振るのに尚も何か言い募ろうとしたハルの口を止めたのは、控えめなノックの音と、今年四つになる彼らの息子を連れてきた、と言う教育係も兼ねた近従の、凛とした声だった。
 二人が顔を上げると同時に扉が開いて、廊下でうずうずと扉が開くのを待っていたらしい小さな男の子が一人、竜巻のように部屋に飛び込んでくる。
「ルーディ!」
「母様!おかえりなさい!」
 ぱっと顔を輝かせ、立ち上がって出迎える妻の膝に、幼い息子がむしゃぶりついた。
 未だに少女の面影を残す妻の顔が、このときばかりは母親の顔になるのを見て、寝台から動けないルーグも目を細める。
「一月も留守にしてすまないな。さぁ、母様にお前の顔をよく見せておくれ……おや。たった一月の間に背が伸びたか?お前」
「ちょっとおっきくなったって、グラシャルも言うよ。母様にもそう見える?」
「見えるとも!こんなに大きくなるなんて、良い子にしていた印だな。ああ、約束の土産はたんと買って来たぞ。あとで運ばせるから、一緒に楽しもう……さぁ、お父様にもご挨拶しなさい」
 母に示されて、息子が寝台の上の父親を見る。
 病が移るといけないからと、父親がこの部屋にいるときは入室も許可されないことが多いので、いいのか、とおずおず不安そうに見上げる息子にルーグが両腕を広げてやると、ぱっと笑顔になった息子は遠慮なく寝台の上の父親の腕の中に飛び込んできた。
 父の腕にこのときとばかりに甘える息子と、ここぞとばかりに甘やかしている父である夫の姿を見て、ハルの目も僅かに和んだ。
 混ぜろ、とでも言うように再び夫が居る寝台の縁に腰を下ろし、息子が占領している夫の腕を片方とって、その骨ばった指先にゆっくりと口付ける。
「……西への航海を取りやめて、暫くは屋敷に居ようかな。久々に長く一緒にいたい気持ちになった」
「馬鹿を言うな。ルーディにはまだまだ手も金もかかるぞ」
 領主の代行、と言うより現在ではすでに領主そのものの扱いを受けているハルには、夫が臥せっているからと言う理由では放り出すことを許されない仕事が山ほどあった。
作品名:冬の海辺 作家名:ミカナギ