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冬の海辺

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「あそこが今まで続いているのも、側近連中が優秀であればこそ。どうせ今回の領主も、その側近の操られだろうさ。それに西の原はわざわざ畑に火をつけて焼くなんていう新農法を試して直轄の耕作地を全滅させたそうだし、しかもその上、新しい事業として取り組んだワインの醸造にも失敗してこの冬を乗り切れず、餓死者も出るかと言うほどの危うさだったらしいじゃないか。まぁ、それはなんとか回避できたようだが……そんな危機に安易に領民を陥れること自体、領主と言う権力にのぼせ上がった若者の浅はかさと言うものだろう」
「君らしい意見だがな。その意見も今回ばかりは翻さねばならんだろうよ」
「どういう意味だ?」
「その飢饉問題も含めてね。彼がこの半年ばかりで成し遂げたことが実に面白いのだよ。丁度読み終えたところだ、君も読んでみるといい」
 ほら、と差し出された分厚い書類の束を怪訝な顔で受け取って、ぱらりと捲り始める妻の顔を、ルーグは積んだ枕に背中を預けながら悠然とした視線で見守った。
 許婚として出会ったとき、妻はまだ十歳だった。今でこそ己が領主を名乗っているものの、領主の家系はもともと妻であるハルのもので、彼女と二つ下の妹を残して母親が死んだとき、後添いを娶ることをよしとしなかった先代の領主が、二人の娘のどちらかに婿を取り、その婿に領主の座を継がせることを決めたのだ。
 その縁談が、代々海原の領主に仕える下位貴族であるルーグの家に舞い込んできたとき、熱心だったのは彼の両親の方で、彼自身に結婚の意志はまったくなかった。ルーグは気楽な次男坊で、早くに嫁を貰って家を継いでいた兄とは正反対の物静かな性格をしており、外で剣を振り回すよりは部屋の中で静かに読書をしていたいと言う、典型的な学者肌でもある。揃いも揃って「花と刺繍が趣味だ」と言う、ただ笑顔がにこやかなだけの貴族の娘との婚約に躍起になるより、趣味の漁場調査をしたり、書庫の蔵書目録でも作っていた方がよほど気分も落ち着く。
 そんなだったものだから、恋愛などと言う色事方面にはほとんど興味がなく、その上結婚相手はまだ十歳と八歳の子供のどちらかだと言うのだから、話に乗り気になれなかったのも尚更だろう。
 いくら興味がないと言えど、己だって一人の成年男子である。女性の好みぐらいはある、と言うより、そんな幼児が相手では好み以前の問題だ。年端も行かない幼児をどうこうして楽しむような、そんな歪んだ嗜好だって持ち合わせがない。
 しかし、両親はこの話にやたらと乗り気で、己がそんな話に興味はないと何度言ったところで勝手に見合いの日取りまで決めてくる。そして、こうなれば己が自ら出向いて断るしかないと、意を決して乗り込んだ領主の館の庭で、ルーグはハルと出会ったのだった。
 当時からハルは可也のお転婆だった。男勝りで気が強く、勝気でなんにでも挑戦したがった。男の子の格好をして木に登り、きらきらと目を輝かせて木の天辺から海を見ている一見少年のような少女が己の婚約者候補だと言われたときは、正直度肝を抜かれたものだ。
 けれど、驚いたのと同じくらい……それ以上に、その存在は己の興味をかき立てた。
 両親はお転婆が過ぎる長姫より、たおやかで大人しくて顔立ちも美しい、王都製のビスクドールをそのまま人にしたような妹姫の方を己の婚約者にしたかったようだが、そんな何処にでも居そうな嫁に元から興味はない。
 お転婆のじゃじゃ馬と人が言う彼女は、当時から己には見えないものをしっかりと見ていた。
 その視線が何を見るのか、もっと知りたかった。
 あの日。
 木から滑り降りる彼女に手を貸した己を見て、彼女が紫紺の瞳をきらきらさせながら「お前、誰だ?」と己の名を問うたその瞬間に、運命は決まったのだ。
「商人の誘致に遺跡調査、オマケに領民との面会?……へぇ、これは面白い」
 書類を読み終えた妻が、出会った頃と変わらぬ強い光に満ちた紫紺の瞳を煌かせるのを見て、ルーグは笑った。
「だろう。君はそれをどう見る?」
 問うと、ハルは一瞬ルーグを見やってからぱらぱらと書類のページを捲り、顎に指先を当てて考え込むような仕草をした。
 頭の回転の速さを示すように、書面を読む妻の瞳の色がくるくると色を変えるのを見るのが、ルーグはとても好きだった。枕に頬杖をついてそのさまを見ていると、やがて妻は大きく息を吐き出して視線を細めながら、顎に当てていた指先で口元を覆う。
「……そうだな。商人の誘致は物納されている租税売却のため……ならわざわざ誘致する必要もないか。なにか新しい事業でも始めるつもりなのかな。西の原には定期船ぐらいしか利用がないが、船着場もある。どこぞと貿易でもするつもりかもしれない。それと遺跡の調査は、これは観光用かな。あの辺りは確かに未発掘の遺跡も多々あるし、全滅した耕作地から出た被害分を埋めるための窮策、と言うところだろうが……そういえば、古代アトレアの神殿遺跡もあの地にあったな。アトレア教会に聖地認定を申し立てて認められれば、アトレア教会最古の聖地とでも称して信者の巡礼なんかも呼べるし、そうなったら貴重な外貨も稼げる。そうか、そうなるとこれも立派な産業だなぁ……で、最後の領民との面会がよく解らないな。領民を通して領地を理解したいとの真摯な望みの表れとか?ルーグ、貴方はどう見てるんだ」
「商人の誘致と遺跡の調査は君の読み通りだろうがな。領民との面会については、少しばかり君とは読みが異なる」
「貴方の悪い癖が出たな。もったいぶらないで言え」
 もったいぶられるのは大嫌いだ、と頬を膨らませるハルに笑って謝ってから、ルーグは上掛けの上に手を組みつつ口を開いた。
「彼は多分、見定めをしているのだと思う」
「見定め?」
「そうだ。興味本位でどんな人物と面会しているのか、少し調べてもらったんだがね。これが古くから領内で働いている土地の人間ばかりなんだ。彼が領主に就任したばかりの頃、西の原の事業を切り回していた自分の親族を、全員解雇したことは覚えているかい?」
「ああ、覚えているとも。……だが、あれはただ単に、今まで自分をないがしろにしてきた親戚への八つ当たりではなかったのか?」
 己が言うことに怪訝に眉をひそめたハルに聞くと、ハルは首筋に手を当てて曖昧に頷いた。
 噂の新領主はたしか妾の子で、正式な後継者と認められるまでかなり親戚連中から冷遇されていたはずだ、と言う妻の見解があまりにも「らしい」もので、ルーグも思わず苦笑する。
「八つ当たりとはまた君らしい見解だが、多分、違う。彼は恐らく、純粋に親戚を「役立たず」とみなして切り捨てたんだろう。事実、あそこの収益は管理人が居なくなってからの方が上がっているとのことだ。管理人不在の葡萄園の方が儲かるなんて、一体どれほどの金額を噂の親戚連中が着服していたのか知りたいものだが、まぁそんなことはこの際どうでもいい」
 少なくともこの屋敷がもう二軒は建つ程であろうが、とおどけたように肩をすくめた夫がおかしくてハルが笑うと、ルーグは笑うな、と妻を叱りながらも満更でもなさそうに、妻の手から書類を受け取りながら先を続けた。
作品名:冬の海辺 作家名:ミカナギ