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落日の彼方に

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 哀しみと憂鬱に曇らせた、きみの貌を見るたびに。きみが伸ばす、美しく輝く触指が、ぼくの隅々までを暴こうとするたびに。そこから伝う、物言わぬきみの想いのひとかけらを、ふいに拾い上げてしまうたびに。
「きみと……心交わすことは、できないのだろうか」
 地球への陵辱は、七日間で終わった。ぼくへの陵辱は、いまだ続けられる。深く深くぼくを抉れど、きみはいまだ、きみの望むものを得られない。
 ぼくは、足裏に力を込め、わずかだけ、前にいざった。
 天使が身を竦める。拍子に、拘束する蔦がゆるんだ。ぼくはどうにかもう一歩、足を踏み出す。竦めた身を大げさなほどに震わせ、天使は後退る。
「……何を怯えている」
 天使は答えない。ぼくの言語を、そもそも解していない。これほど何度も侵しているというのに、きみは何一つ、ぼくを解せない。ぼくも何一つ、きみを解せない。
 だからおそらく、これは希望。人類の希望。ぼくの存在意義。
 ――ぼくたちは互いに、わかりあうことを望んでいるはずなのだ。
「孤独なきみよ。かつて人類がきみへ与えた仕打ちを、ぼくは、しかと憶えている」
 きみがまるで夢物語のように、この惑星を訪れた時。
 ぼくたちは、拒んだのだ。きみとは言葉が通じなかった。だから心も通じないのだと、きみを拒んだ。持てる限りの力でもって、七日の間中、大地を焦土へ変えながらも、きみを拒み通したのだ。
「きみが何を求めているのか、ぼくには知るよしもない。だからこれは、ぼくの憶測であり、勝手な願望だ。――きみには、この惑星を侵略する気などなかった」
 きみはひとり。広がる星の海に、無限数に近い末端を有していようとも、それらは結局きみ自身。きみへと回帰する、命も知性もないただの無機物。
「きみは、人類を、心持つぼくたちを、ただ知りたかっただけだ」
 高次知的生命体。きみに知性が、心があることなど、誰もがわかっていた。伝え合う手段がなかった、ただそれだけのことで。
「ぼくたちは互いに、わかりあうことを望んでいるはずだ」
 ぼくはきみが、きみはぼくが、何を思うのか知りたいと望んでいるはずなのだ。
 困惑と恐怖に身を竦ませ、きみは薄汚れたコンクリの上で途方に暮れる。光の蔦を、申し訳程度にぼくの体に絡ませ、それでも内部に潜り込ませた繊維は、急くような速さでぼくの心臓を、脳みそを探り出す。
「こんなもので……」
 視界の隅で揺れる、きみの欲求。手を伸ばし、鷲掴んだ。
「こんなもので、何がわかる」
 初めて自ら触れた蔦は、とくとくと脈打っていた。血が通っていた。
「知りたいのならば、手を伸ばせ」
 手本のように、ぼくは、腕を前へ突き出す。天使がまた一歩後退る。その一方できみは、ぼくを探ることに躍起になっているだろうに。腑抜けた侵略者。嘆きの天使。ぼくの、ただひとりの――
「ぼくたちはわかりあえる。だってぼくたちは、この宇宙にたったふたりきり。いいか、きみにはぼくしかいない。ぼくに、きみしかいないように」
 もう、いいではないか。途方もない時間、ぼくたちは共に無益に過ごした。ただひとつの望みだけを、心の奥底、がんぜなく燻らせながら。
 ぼくはいま一歩、前に踏み出した。天使は、動かない。
「臆病者め――これほど深くぼくを暴いておきながら、肌の触れ合いには怖気づくのか」
 嬲られ続けた体は、腕一本掲げているのも苦しかった。それでもぼくは、伸ばし続ける。
 ぼくの指の先、天使が震えていた。熱病に冒されたような目で、ぼくを見ていた。憂鬱そうな様子より、ずっと美しかった。
「さあ、その手を伸ばせ」
 垂らされた天使の片腕が、ぴくりと跳ねる。言葉を解して――いや、解さずとも伝わるのだ。今は、そう信じるほかない。
 天使の片腕が、また跳ね、そうして――
「怯えたように探るだけでは、ぼくがどれほどきみを求めているかなど、わかるはずもない」
 ゆっくりと――
「その手で触れろ。その手で掴め」
 差し伸ばされ――
「ぼくが欲しければ……ぼくを知りたければ!」

 ず っ と

 ――触れた。

 さ が し て い た
 
「……あっ……」
 
 ひ と り ぼ っ ち で

「あ……ぁ…………」

 さ み し か っ た ――

 手を重ね。
 近く、何よりも近く、顔を寄せ合い。
 天使の手のひらからは、何も、何も伝わりはしなかった。覚悟はしていた。それでも。
 天使は涙をこぼしていた。ぼくは、覗き込むような心地で、うるんだ瞳を見つめる。手のひらに代わり、その瞳が、物言わぬ天使の心を伝えていたのだ。
 ゆっくりと、ぼくの中から蔦が退いてゆく。構いはしない。手と手を重ね、瞬きもせず、ぼくたちは見つめあう。探りあう。
 きみの瞳は、果てない宇宙につながっているのだろうか。
 伝うきみの、哀しみと憂鬱。孤独と絶望。この惑星と、人類と出会えた歓喜。わかりあえなかった後悔。
「だが、ぼくがいる」
 最後の一人になってしまったけれど、ぼくが。すべてを託された希望が。
「ぼくはきみを――」
 指が絡んだ。
 伝わる確かな言葉など、何一つないというのに、この想いは何か。
 ぼくたちは、触れた。たしかに振れあったのだ。




 ぼくはひとり。この惑星でただひとり。
 きみはひとり。この宇宙でただひとり。
 きみとぼくは、おそらく互いにどうしようもなく孤独で、さみしくて、だから。
 手を――
作品名:落日の彼方に 作家名:リョウ