トワイライト
感謝しやがれ。そう言うと、ハルはぎこちない動きで顔を上げた。微笑む。
「かばってもらうのは当然だ。なんといってもバディだからな」
「っだ、この!」
腕を振り上げた俺から逃れ、立ち上がろうとしたハルの襟首を掴んで引き戻す。真っ向から言うのは気が引けた。なので、まあ、ほっぽり投げていたラケットを拾うふりをして、顔をそらした。
「俺はよ、てめえが寄生されてようがされてまいが、どうだっていいよ」
ラケットのネットで、ぽかんとさらされた馬鹿面を小突いた。
それから俺たちは、即席のコートにもう一度立ち、やっぱり馬鹿笑いしながらラリーを繰り返した。
死にゆく星で、初めて人を好きになった。
別にいいんだ。俺はもう、本当にかまわないんだ。
おまえが隣に座って、一緒に馬鹿笑いしてくれれば、もうそれでいいんだ。
「あ――」
軽いシャトルが大きく弧を描き、海面に呑み込まれて行った。
試合終了の合図。結局、正の字で点数は残さなかった。これで仕納めだ。勝ち負けなんてどうでもいい。
俺たちは向かい合い、形式上の礼と握手を交わした。喉が渇いていたが、濾過水はさっき飲み干してしまった。別にいい。仕納めなんだ。
「そういや、どうなんだよ。桜の植林」
ラケットを支えにしゃがみ込んだ俺に、手のひらをうちわにしていたハルが答える。
「順調だぞ。今度はほら、八幡さまの裏山、けっこう伐採されてただろう? あそこに植えようって話になって」
「へえ」
「あと、老木の補強なんかも始めてな。倒壊した民家の木材とか、物干し竿とかかっぱらってきて、添え木代わりに使ってるんだ」
「ウンチはウンチなりに、役に立つことしてんだな」
「略すな殺すぞ」
この町一面が桜の木だらけになるのは、悪くない光景だ。思い描いて少し、心がゆるんだ。きっときれいだろう。春も夏も、秋も冬も。
ああ、死にゆくのが星じゃなく、人間だけだったらいいな。
「さっき言ってたこと――」
ハルがつぶやいた。どことなく、気まずげに。
「おれも同じだから」
「は? なに?」
「自分だけとか思ってたら大間違いだから。ムカつくから。いい男気取りムカつくから」
「だから、なにがだよ」
「……だから!」
やけにでかい態度で、ハルは俺の前にしゃがみ込んだ。優等生にヤンキー座りは似合わねえぞ。なんてからかう暇もなく、両腕が伸びてくる。頭をがっと固定された。
「おれも、おまえが寄生されてようがされてまいが、人間じゃなくなろうが、“ビジター”になろうが、ヤリチンになろうが単細胞生物になろうが、別にかまわない」
おい、このやろう。
「かまわないぞ。……本当に」
ハルは繰り返した。ふと、俺をにらみ据える目が細くなる。俺はラケットを置き、諸手を挙げた。
ハルの片手が離れる。伸びる。
俺の体の脇、腰につけたホルスターに。
銃把に。
「何が見える?」
あんまりにも熱心に瞳を覗き込んでくるので、問いかけてみた。
ハルは答えた。ささやくように。
「……光」
そうして彼の手は、銃把に触れることなく、離れた。
胸元に頭から突っ込んできたハルは、あたり憚ることなく泣き出した。勢いに噎せた俺にかまうことなく、俺の胴をぎゅうぎゅうと締め上げ、わんわん泣いた。ごめん。ごめん、アカヤ。ごめん。おれのせいで、おれのせいで、…………
「かばうのは当然だろ、バディなんだからな」
――これは誰の言葉だろうか。
俺か? 俺に寄生する“ビジター”か? 誰の言葉で、誰の想いだろうか。
端から赤味がかってゆく夕焼け空を見上げ、数度まばたいた。ちかり、ちかり、網膜の奥で光が光暈(ハレイション)する。なあ、おまえは誰だ?
「泣くんじゃねえ」
別にいいんだ。俺はもう、本当にかまわないんだ。
俺は有森アカヤだ。隣の席で馬鹿笑いしてる、安住ハルを好きになった有森アカヤだ。
「泣くなよ」
最後くらい笑ってろ。さっきみたいに。最後の最後でボロが出るなんて、まだまだ甘い奴だ。
俺はかまわない。捨て鉢じゃなくそう思う。間に合ってよかった。おまえじゃなくてよかった。おまえがまだ生きられる、それだけがただ嬉しい。
「ふざけるな」
泣きはらした真っ赤な目で、迫力もあったもんじゃないガンが飛んでくる。
「おれにおまえを見送れって言うのか」
「見送ってくれねえのかよ、薄情だな」
「薄情なのはおまえだ! おれ、を……おれを……」
――置いていくのは、確かに心残りだが。
「おまえとろくせえんだから、どうせすぐ寄生されちまうだろ」
だけどと、釘を刺すのは忘れない。なんといっても俺は掃討班班長だったんだ。なあ、頼むから。
「少しでも長く生き延びろ」
死にゆく星の上、それでも生きていてくれよ。
ぶるぶる震える手で俺の上着を握りしめ、ハルは喘ぐように息を吸い込んだ。そして、また泣き叫んだ。喉も裂けよとばかりに。腹の底から力を迸らせるように。
光に導かれ、人はどこへ行くのだろう。何を求めて進むのだろう。誰が手招いているのだろう。
これはまことに勝手な俺の解釈だが、それはもしかして、さみしさとか、恋しさとか。そんなものが光からあふれ、網膜に焼きつき、ささやきかける。傍にいて、一緒に来て、と。
それじゃあ抗えるわけがない。自慢じゃないが、俺は母ちゃんには頭が上がらなかったのだ。アカヤ、早く帰ってきなさい。そう言われてしまえば、考えるより先に足が動こうってもんだ。
だけどそれはもう、母ちゃんじゃない。俺は見ていた。抜け殻みたいになって、いくら呼んでも振り向きもせず行ってしまった両親を。友達を。みんなを。
えげつないやり方だ。いけ好かない。“モノリス”、おまえは人を喰らいたいんだか仲間を増やしたいんだか知らないが、これはあまりにむごいじゃないか。
人の気持ちも言葉も、シャトルみたいにふわふわ軽くて頼りない。それでもみんな必死で走って受け止めて、相手に届くようにと打ち返しているんだ。少しでも長くラリーが続くようにと願いながら、汗だくで走り回っているんだ。
ちかり、ちかり、光がハレイションする。
ハロー、ハロー、きこえますか? 光の中で手招きする、君は誰?
「……アカヤ」
ああそうだ。名乗りもしない相手にくれてやるものなんて、何一つないよ。
「いつか、おれを呼んでくれるか?」
「あん?」
「おまえが呼ぶなら、それまで我慢して生きてやる」
とんでもなく上から目線だ。だが、まあいい。後追いなんてされたらことだ、いくらでも呼んでやる。
頷くと、ハルははっと目を瞠り、もごもごなんか言い出した。
「……なんか、あれだな」
「なんだよ」
「いや、だから、あれだ」
「あれって何だっつーの」
「言いにくい。なんか恥ずかしいし」
おい。何を言うつもりだ、この野郎。ハルのなまっちろい顔が、徐々に赤らんできて、
「アカヤがおれのものみたいで――」
「てめえが俺のものなんだよ!」
どっちかっつーとそっちだろう!
「あ、そうなのか」
「そうだ」
「そうか」
「……そうだ」
ああちくしょう。なんだこのこっ恥ずかしいやり取り。
「なら、大丈夫だな」
ハルはそう言い、真っ赤な目じりと頬をこすって微笑んだ。