夏少年
部活を掛持ちしている君は、休日の活動にだけ顔を出す。いつも廊下を走って、そのまま部室のドアを開けるから、そのときは風が吹くんだ。
君が来ると風が吹く。
太陽と、土と、何かシトラス系のボディーウォーターに霞んだ汗の匂いを連れて来る。
左肩にエナメルバッグとテニスラケット。右肩には自慢のデジタル一眼。日に焼けた素肌のせいで、そのワイシャツは白さを増して見える。
僕はそんな君を見つめているから、そのうちどうしたって目が合って、君は笑う。
長めの前髪を軽く掻き上げて、特徴的に掠れた声で、久し振り、と、一言だけ君は言う。
僕は頷いて、それが僕らの一週間振りの会話になる。
決して親しいと言えるような間柄ではなくて。
クラスが同じなわけでもなくて。
ただ君が選んだ兼部先に僕が所属していただけで。
そこでほんの少し話をすることがあるだけで。
ほんの少し声を聞くことがあるだけで。
ほんの少しその横顔を見ていられる時間があるだけで。
ほんの少し君に触れられる瞬間があるだけで。
そう。それだけ。
それだけ、だけど。
気づいたら、どうしようもないくらいに、
惹かれていたんだ。
「――」
背後をトラックが通り過ぎて行った。その音に重ねるように君を呼んだ。
掻き消されてほしかった。
掻き消されても、気づいてほしかった。
波 の 音 だけ。
砂浜に今日一番の足跡を残した君は、立ち止まって、振り返った。
「・・・・・・ぁ、」
風に乱れる髪を左手で気にしながら僕を見つめて、その目を少し細めて、口を開いた。
「・・・悪い。起こした。」
ばつが悪そうな表情。思わず苦笑してしまう。
疑問形じゃないんだ。僕が言い訳するより先に、自分のせいだと思ってくれてる。
そうなると君のせいにしてしまうのは可哀想な気がして、僕は首を横に振った。
「ううん。違うよ。初めから早起きするつもりだったんだ。写真、撮りたくて。」
おはよ、と付け足す。微笑んでみる。お前あんまり笑わないよなって、この前君に言われたから。
君は少し驚いたように瞬きして、でもすぐにおはようと笑ってくれた。
「やっぱ日の出って、何枚か欲しいよな」
俺もそのために起きたんだよねーと自分のカメラを構えて、海や浜辺に向けてカシャカシャと適当に試しのシャッターを切る。
と思ったら、君はそのまま急に僕を振り返った。
「何?・・・・・・あ」
どうしたのかと軽く首を傾げながら、シャッター音を聞いた。つまり僕は、試し撮りの材料にされたんだ。
「ずるいよ。不意討ち。」
ムッとした表情を向けると、君は楽しそうにニヤニヤ笑った。
「へへ。まだ寝ぼけてんじゃねーの?鈍いぞ。」
自然体でいいじゃん、と、小さな画面に表示されている撮ったばかりの一枚を満足げに評価してから、
君は、何でもない事のようにサラリとそれを言った。
「でもさ、ずるいとか言うけど、お前だっていっぱい撮ってるじゃん?俺に内緒で、俺のこと。」
・・・・・・え?
「自分じゃ気付かなかったんだけどさぁ、こないだ部活中にマネの子が教えてくれてさ。そう言われてみれば、いつも視線感じてたかもーとか、思ったり。」
う、わ。
耳の奥で、血液がドクドクいってる。君の顔が見られない。
どうしよう。
だってばれてるなんて、思わなかった。
「まぁ確かに、部室からテニスコートめっちゃ見えるもんな。どう?俺ら、いい被写体になってる?」
暗い海にカメラを向けて、君はサラサラと言葉を続ける。マトモな事を言える自信は無かったけど、ストップをかけないと、もうダメだった。
「・・・あ、あの、ちょっと、待って。」
「んー?」
「あ、いや、撮ってていい、けど・・・」
目なんか合わせられないって。
「そう?」
「うん・・・。」
君がまた海に体を向けたのをチラリと確認する。情けなく震えそうになる声だけはせめて何とかしようと、ひとつ深呼吸をした。
「あの・・・ごめんね。」
波打ち際の辺りに視線を据えて言う。白く砕けて、砂浜を黒に染めては引いていくゆっくりとした波の動きは、僕を落ち着かせた。
それなのに君はおかしな即答を返してくる。
「なんで謝んの?別に、お前悪いことしてなくね?」
君は、本当にそう思っているのか、それとも、僕にそこまで言わせようとしているのか、どっちなんだろう。
仕方ないから、小さく息を吐いて僕は言った。
「だって、部活中の君を写真部の部室の窓から勝手に撮ってたんだよ?隠し撮りみたいなもんで・・・て言うか、隠し撮り、なんだけど。」
だからごめん。いい気分がすることじゃないよね。ネガごと全部渡すから、許して欲しい。君がテニスをしてる姿はとても生き生きしていて、
最高の被写体だったんだ。カメラを向けずにはいられなかったんだ。
この期に及んで嘘をつく。
被写体なんて。
君が、僕にとってただの被写体であるかのような言い方をして。
「ごめんね。」
それっぽく謝罪の言葉を並べている。バカみたいだ。