息衝くオトコ
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「もー、何この消費税って。表示されてる値段に勝手に含まれてるなんて、知らなかったよ。今まであんまり気にしてなかったけど、レシート見てビックリだね。ひどいな! 腹が立った。自動的に五パーセントも取られてる」
酒屋で焼酎を買った此島理(このしま ただし)は、白い紙きれをひらひらさせて、本気で立腹していた。左手に提げられたビニール袋からは、コツコツとガラス瓶がふれ合う音が聞こえる。
「何をいまさら……」
「いまさらって。いつからこんなことになってるの? 前は、レジで徴収されてたのに。表示金額に、消費税は含まれてなかったはずだ! レジで増えた金額見て、取られてるって実感できてたのに」
「何? お前は消費税に腹立ててるわけじゃなくて、表示の仕方が気にいらないの?」
「両方。消費税を徴収されるのも、表示金額に含まれてるのも、どっちも」
苦笑いをして小さなため息を吐いた吉田幸一(よしだ こういち)は、ポケットから潰れたタバコのパッケージを取り出した。残っていた最後の一本をくわえて、ライターを擦った。
「どっちもって。消費税反対ならちゃんと選挙に行けよ。表示金額に消費税が含んであるのは、役人方のほんの少しの優しさだろうよ」
そう言って、ゆっくりと紫煙を吐き出す。後方から視線を感じて振り返ると、此島は目をまん丸にして吉田を見ていた。つられて吉田も目を見開く。
「なんだ。どうしたんだ?」
「選挙権って二五歳からじゃないっけ?」摩訶不思議なものを見つめるように、吉田の顔を凝視していた此島は、「あれ? 違った?」と黒目を上へと動かした。
「それ、本気で言ってるよな……お前だし。お前だもんな。それで、全ての説明がついちまう」
吉田は一人で首肯し、空になったタバコのパッケージを握りつぶした。コンビニに寄ってくぞ、と声をかけて、車通りのない道をすたすたと横断して行く。吉田の後ろから「あー、今の言い方、バカにしてるよねー」と、間延びした此島の声が追いかける。
「バカにはしてない。お前は、お前だからな。お前の世界は、それでいい気がする」
急いで横に並ぶわけでもなく、ただ付いて来ている此島に聞こえるように、あごを上に向けて話した。口元が緩む。吉田には、此島が悩んでいるのが手に取るようにわかるからだ。
「意味が分からない」
「いいんだ。お前と会話が成り立つようになったら、俺も終わりだと思うから」
コンビニのドアを押して、店員に嫌な顔をされた。取手の横に『引』と書かれた銀色のプレートに目が止まり、吉田はばつが悪そうに肩をすくめ、ドアを引いてコンビニの中に入って行った。
此島にイライラさせられたことは、一度や二度ではない。なぜいつまでも此島とつるんでいるのかと問われたら、吉田は迷わず「何でだろう」と返事をする自信がある。だが、友達かと訊かれれば「そうだ」と答えるのだ。
「ああ、二十歳だ。お酒は二十歳になってからって」冷蔵ケースに貼られた啓発ステッカーを指差して、「選挙も二十歳になってからだ」と此島が嬉しそうに言った。
「そうだな」
酒は二十歳でも選挙は違うかもしれないじゃないか、と喉元まで上がってきた言葉は出さずにおいた。吉田はペットボトルの炭酸飲料を一本選んで、レジに向かった。タバコの銘柄を伝え、お金を払いコンビニを出た。
吉田が清算をしている間に外に出ていた此島に、
「衆議院の選挙に出馬できる年齢だ、二五歳は。俺たちは、投票権はもう持ってるんだ」と言った。
「惜しかったな。――うん、これは知っておくべきだな」
「うん、これは知っておいた方がいいだろうな」
何が惜しかったのか理解に苦しんだが、詮索はやめた。吉田は嫌味を込めて言ったつもりだったが、此島は気にしている素振りはない。それどころか、「護身のためには、これは知っておかないとな。ありがとなー、幸一」と、歯を見せて笑いながら礼を言った。
「どういたしまして。これで選挙に行けるな。消費税と全面戦争だな」
吉田は、半笑いでからかって言ったつもりだったが、此島は意外にも闘志を漲らせた目をしていた。右手に拳なんかも作っている。そして、もちろんだと気合い十分で頷いた。
大学院に進学した吉田は、夏休みを利用して帰省していた。この時を逃すと、次にいつ機会が訪れるかわからなかったため、考えるより先に行動に移した。手に届く範囲にあった服をスポーツバッグに詰め、そのまま電車とバスを乗り継ぎ帰ってきた。片道およそ三時間。新幹線も飛行機もいらない距離だが、年々足は遠退くばかりだ。
吉田が家に着いてゆっくりする間もなく、尻のポケットに入っていた携帯電話が震えた。見なくても発信元はわかっていた。此島からだと確信があった吉田は、「ほいほい」とおどけて電話口に出た。
「おかえりー。幸一」
「相も変わらず、情報が早いな。今回は、誰から聞いたんだ? 家に着いてから、まだ一時間も経ってないぞ」
町中の人が此島の味方だ。人が多いとは言い難い田舎だが、これほど老若男女問わずにみんなから好意を持たれている此島は、かなり特異だ。この辺りで『此島さんとこのせがれ』を知らない人に出会うのは、特別天然記念物の動物に出会うよりも確率が低いかもしれないな、と吉田は思った。
「幸一、郵便局の前を通っただろ? さなえがそこで働きだしたんだ。覚えてるだろ? 中島さなえ」
「おお、さなえか。で、仕事をしながらも外を歩く俺を見つけて、お前に報告したのか。ここに帰ってくると、おちおちタッションもできないよな」
途中、乗り継ぎのバスを待つ間に、吉田は母親に連絡をした。今から帰るから、と短く用件だけ伝えたのだ。知っているのは母親だけのはずなのに、帰りつけば此島が一番に電話をかけてくる。それは大抵、第三者が吉田を見かけて此島に電話をする。そういった流れが、ここ数年で出来上がってしまったからだ。
久しぶりの再会に、此島が飲もうと言いだした。此島の仕事が終わるのを待ち、酒を仕入れに出た。そして、消費税に怒り、選挙権について再確認することになったのだ。
次の日は休みだという此島と飲み明かした吉田は、重たい頭とともに起床した。畳の上に転がって寝ていた此島の姿はなく、散乱していた酒の空き瓶やつまみの袋、ペットボトルが雑然と部屋の隅に押しのけられていた。寝相の悪い此島が、自分のスペースを確保するためにやったのだろう。そういうところはしっかりしている。
トイレに行ってアルコール臭い水分を出しきったら、少しすっきりした。大あくびをしながら階段を下りる。台所から漂ってくる味噌汁の匂いに、吉田の腹が鳴った。
「おっはよー」
さっぱりした笑顔の此島が、吉田の両親と朝ご飯を食べていた。
「おはよ。俺も、腹が減った」
蛇口を捻ってコップになみなみと水を注ぎ、一気に飲み干す。食道を冷たい水が通っていく感覚が気持ち良かった。胃まで到達したなと思った瞬間、吉田の腹はぎゅるりと再び唸った。
「もう、みんな食べ終わる頃に起きてきて。早く座って、食べなさいね」
きっちり一膳分のご飯を食べ終えていた母親が席を立ち、吉田に山盛りのご飯がよそわれた茶碗を差し出した。