篠原 求婚2
それから、周辺の身内にだけは報せたら、みな、一様に、「だから、そう言っただろう
がっっ。」 と、叱られた。誰もが、みな、自分のことのように喜んでくれたが、妹だけ
は、少し複雑な顔をして、お祝いを言ってくれた。
「別に何も変わらないよ? 」
「もちろんよ。あたしは、お兄ちゃんの妹であることは変わらないわっっ。・・・雪乃さ
んっっっ、お兄ちゃんを泣かせたら許さないからっっ。」
妹は、僕を庇うようにして、雪乃に、そう宣言した。たぶん、それも違うだろうとは思
った。普通、こういう場合は、逆なのではないだろうか。
騒動から一ヶ月して、ようやく周辺も落ち着いた。式などというのは恥ずかしいから、
書類だけを提出した。両親は、せめて写真だけでも撮りなさい、と、言ったが、残したと
ころで意味はないだろうから断った。
「ちょっと、面を貸しなさい、江河くん。」
「ジョン、確認したいことがあるの。」
ふたり共、別々に呼び出されたが、待ち合わせ場所は同じで、呼び出した相手が、ふた
り揃っていた。
「ものすごく驚愕する噂を耳にしたんだけど、真意を確かめたくなったので。」
年上のほうの蔡女史が、にこやかではあるが、有無を言わせぬ態度で、西野の前に出て
くる。
「どれ? 」
なんとなく、この取り合わせからは、予想はついたが、とりあえず、相手の口から吐か
せることにした。
「信じられないんだけどね。どうなの? 」
蔡女史よりは、年下だが、麟たちよりは年上の高井も、麟の襟を捕まえて、「さっさと
吐け」と詰め寄る。
「だから、どれ? 」
もちろん、こちらも同様の態度だ。
「篠原君のこと。」
さすがに、気の短い高井のほうが口を開いた。
「だから、俺は言ったはずだよ? 高井女史。あれは、元からお手つきだから期待薄だっ
てさ。」
以前から、高井には釘を刺してあった。
「じゃあ、事実なの? ちびちゃんが結婚したっていうのは? 」
どっちかといえば、姉。下手をすると母親気分であった蔡女史のほうも、口を開く。
「まあ、結婚したというか、あいつが貰われたというか、ちゃんとした形に収まったとい
うか、そういうとこだよ。蔡女史には、喜ばしいだろ? あんなにやきもきしてたんだか
らさ。」
ジョンは、いろいろと探りを入れてくる際女史に、適度に情報を流して、こちらも情報
を貰っていた。
誰もが、流れた噂の真意を確かめるべく接触するのは、麟とジョンだ。橘は、凶状持ち
なので、下手なことを言うと、即座に拳か暴言が浴びせられるし、細野は、知らぬ存ぜぬ
だし、さすがに、篠原当人には問いただせないからだ。
「嬉しい事ではあるけど、複雑よ? 」
「蔡女史の包容力は、科局随一だとは思うんだけどね。・・・なんせ、うちの若旦那、生
まれたときからのお手つきさんだったからさ。」
「古臭い許婚とかいうやつ? 」
「いや、青田買いとか、若紫計画とか、そっちのほうだな。生まれてから、ずっと一緒だ
ったんだから、ガードされまくってるし、粉かけられまくってる。諦めろ、高井さん。」
行き着くところまで噂は、行き着いた結果、最終ラインと思しき、ふたり組に呼び出さ
れた。ちゃんと最初から、若旦那には決まった相手があることは教えておいたのに、やは
り吊るし上げられるわけだ。
「わかってたけど納得はいかない。」
「あんなに可愛がっていたのに・・・なんか複雑よ。」
ふたりして、切ない溜息を吐かれたら、もう噴出すのを堪えるしかない。仲間内では、
誰も太刀打ちが効かないと理解していただけに、周囲の反応がおかしくて仕方ない。
いや、例外が一人いた。橘は、わかっていて、それに目を瞑ってアプローチした唯一だ
った。しかし、さすがに、篠原当人から報告されて、内心では泣いたものの、明るい顔で
祝ってやっていた。
「江河くんっっ、空中の一点なんか睨んで笑わないでよっっ。ものすごくムカつくからっ
っ。」
どんっっと、胸の辺りを叩かれて、麟は意識を目前に向けた。そこには、ものすごい形
相の高井がいて、明らかに不機嫌なオーラを噴出させている。
・・・なんか、割に合わない・・・
「わかった。その憂さ晴らしには付き合うから。」
「当たり前よっっ。今夜は大暴言大会だからっっ。蔡さんも行くわよね? 」
「そうねぇー、ジョンにエスコートを頼まないとね。」
「オーケーオーケー、麗しの蔡おねぇーさまのエスコートは承りました。」
・・・やっぱり、割に合わない・・・
麟もジョンも内心で、そう呟いて、お誘いは引き受ける。この暴言が、若旦那に向かう
と、いろいろと不都合があるからだ。
若旦那自身にはないが、それを聞きつけた、どっかの美人が、何かをやらかすと面倒だ
からだ。
「だから、若旦那には、何も言わないでね、おふたりさん。」
代表して、ジョンがお願いをする。とりあえず、落ち着いて、幸せそうな若旦那が、顔
を歪ませるような事態だけは避けたいのも事実だった。
「おかえりなさい。とてもいいニュースがあるの。」
「それは、あのバカのことだろ? 」
長期の仕事を終えて、自宅に戻った加藤に、同棲中の恋人が切り出した言葉は、先ほど
、出迎えてくれた連中から散々に聞かされた話に違いなかった。
「まあ、耳の早いこと。」
「そりゃ、もう、着いた途端に、当人から聞かされたからさ。」
「義行は、迎えに行ったの? 」
「ああ、兄貴分に報告しとかないと、後が怖いからな。」
兄貴分というのは、加藤のことではない。その親友の五代のことだ。二つ年上の五代は
、「俺は、おまえの兄なので、なんでも報告する義務があるっっ。」 と、命じているの
で、素直に、篠原は報告がてらに出迎えていた。まあ、報告した篠原は、メインスタッフ
たちから羽交い絞めで、バンバンと叩かれるという手痛い歓迎を受けていたが。
「しかし、雪乃も、やっと重い腰を上げたかよ? 」
やれやれ、と、制服を脱ぎつつ、安堵の溜息を吐き出したら、「違うわよ。」 と、恋
人に訂正された。
「義行がプロポーズしたの。」
「あ? 」
「『傍にいてほしい』って・・・かわいいプロポーズでしょ? 」
「え? 」
ニコニコと恋人は、笑いつつ上着をハンガーにかけているが、加藤は驚いたままだ。
「それ、プロポーズじゃないだろう? 」
「何を言ってるの? 秀。 この星では、エンゲージリングを差し出して、求婚するもの
なんでしょう? ちゃんと作法通りだったのに。」
「ああ、違う。そうじゃない。・・・あんた・・・そうか・・・知らなかったっけ? 」
よくよく考えたら、自分の恋人が、初めて篠原と会ったのは、すでに、成人した姿に近
いものだった。たぶん、小林にしても、数年のブランクがあって、対面しているから、成
長したと思い込んでいるはすで、さらに、問題なのは、篠原当人も、そのブランクの記憶
を抹消されているから、成長とは、こういうものなんだろうと、理解していると思われた
。つまり、真実を知っている生存者は、加藤一人しかいないわけで、当人すら知らないの
だった。