篠原 求婚2
い。飽きたら、消してくれればいい。この中身も身体も、全部、雪乃にあげるから、だか
ら、この星で、もう少しだけ我慢して。」
素直な藍色の瞳は、私を真っ直ぐに私を映している。小さな箱を持っている手が震える
。
「怒らないの? 」
「どうして? 」
「だって、私は、あなたを殺したいって言ったのに。実際、後一歩で死なせるところだっ
た。」
手も使わず、ただ、念じるだけで縊り殺す事だってできる。そんな女に傍にいられたら
、迷惑だ。
「・・・それだって・・・結局は、雪乃が僕を心配していたり、僕に思うことがあって、
何かのリアクションを起こしただけだろ? 」
確かに、そうだ。嫉妬したから、ここから、さっさと引き剥がそうとしたのだ。
「あのね・・・・たぶん、僕・・・ほっとすると思うよ・・・後悔はするだろうけど、こ
のまま、ゆっくり眠れるって思うと、ほっとする・・・」
随分と辛い目に、彼は遭った。あのまま目が覚めないほうが、どんなにか楽だったろう
、と、私でも思う。でも、目覚めてしまった限りは、生き残ったことに対して、義務が生
じた。
「今すぐと望むなら・・・」
「ううん、今、死ぬと、助けてくれた人たちの好意が無になる。・・・・だから、ごめん
。・・・婚姻という形で、雪乃を縛ると、雪乃は、妹より近しい関係になる。それで、嫉
妬は納まるかな? 」
寄せられた好意が重すぎても、彼は、それから逃れるつもりはない。そのために、自分
を必要だと言うのだ。何とも、憎い言葉だ。
「それは、妻になれ、ってことね? 」
「うん。」
「ということは、これは、リング? 」
手にしている小箱の包装を乱暴に破いた。小さな箱の中には、さらに、小さな収納ケー
スがあって、開くと、血の色の石がついたリングが入っていた。
「エンゲージリングって言うらしいよ。だから、契約の証。」
「私が必要? 」
「うん、必要。」
「じゃあ、篠原君は、私のものになってくれるの? 」
そう言うと、彼は、ものすごくおかしそうに吹き出した。
「今更、何? ・・・僕、ずっと、雪乃のものだろ? だいたい、雪乃が居ないと生きて
いけないのにさ。護ってもらって、ようやく生きてて・・・それで、誰かのものだと言う
のなら、僕の存在って、かなりとんでもないと思うよ? 」
大笑いして、ソファに深く沈み込んだ彼は、荒くなった息を整えて、「お願い。」 と
、呟いた。
指輪は、少し小さくて、ちょっと、能力を使って大きくした。すとんと嵌められた指輪
を、眺めて、「はい。」 と、大きめに私は返事をした。たぶん、これが板橋さんの命じ
た意味だ。
宝石としての価値は、おそらくは、ダイヤモンドが一番である。けど、どうしても、そ
の血の色がいいと思った。契約の証であるというのなら、それは、生命に関わるものだっ
たからだ。僕が生きている時間を護ってもらうための契約なら、僕に流れている血の色が
相応しい。
「それ、左手が正しいんだよ。」
右手の薬指に収められている赤い石を、指して、そう言った。
「ああ、そういえば、そう聞いたことがある。」
彼女が、左手の指に嵌め変えて、「どう? 」 と、見せてくれる。
契約は受理された。ことのほか、スムーズに。
「うん、綺麗。」
「ねぇ、篠原君、これは、『人魚姫』への温情? 」
彼女の言葉に、まだ、覚えていたのか、と、苦笑した。本当は、そんな意味ではないの
に。
「古いことを・・・あれは違う。そういう意味じゃなかったんだ。『人魚姫』の記憶だけ
、僕が持って逝こうと思っただけ。」
「私の記憶だけ? 私の本体は? 」
「記憶だけ抜いてしまえば、本体は何も感じないと思ったんだけど? えーっと、だから
、本体は放置。」
酷いことをされるところだった、と、彼女は笑って、僕を抱き寄せた。抱きしめられて
体温を感じると、ほっとして、ふわりと闇が近寄ってくる。
「おねむ? 」
「・・・うん・・なんか、安心した・・・」
クスクスと笑う声が、身体越しに響いてくる。その振動すら心地よい。
「ひとつだけ、私もお願いがあるの。」
「・・・うん・・・」
もう、あんまり聞こえていないけど、一応、頷いたつもりだった。
「他の誰にもされてはいけないことを、私はしてもいい? 」
「・・・うん・・・」
「これからは、毎日、私とだけするのよ。約束よ。」
「・・・うん・・・」
また笑う声が響いていて、そのまま、僕は眠りに引き込まれた。なんの約束だったか、
聞こえなかったが、別に、なんでもよかった。どんなことであろうと、雪乃が言うなら、
悪いことではないだろうから。
好きとか愛してるとか、そんな気持ちではないけれど、でも、傍にはいて欲しい。ただ
、それだけでいい。彼女が、僕にすることは、悪いことではない。きっと、彼女が僕に良
いと思うことだから。
だから、何をされてもいいのだ。たとえ、殺されかけても、それは、彼女が、ここから
離したいために起こす動作だ。結局は、僕のためでしかない。
たぶん、それは幸せなことだと思う。
翌朝、僕は盛大に寝坊した。休日でよかった。ウィークデーなら大遅刻していたところ
だった。ずっと続いていた不眠が、一気に解決したらしく、午後になるまで起きられなか
った。
ようやく、目が覚めたら、彼女の顔が近くにあって、ゆっくりと近づいてきた。
「ん? 」
「目を閉じて。」
目を閉じたら、温かくて軟らかいものが、僕の唇に重なって離れていった。
「昨日、約束したから、これから毎日、キスをします。他の誰にもさせてはいけないのよ
? わかったわね? 」
「・・・うん・・・」
最近すっかり見られなくなっていた眩しい笑顔があった。「これは、妻の特権。妹もダ
メ。」と、大笑いしている。両親や保護者たちや友人たちの薦めは、正しかったんだな、
と、その笑顔に納得した。
「毎日するの? 」
「ええ、毎日。なんなら、一日に何度でもね。」
「・・あのね・・僕・・・今のところ・・週末しか戻れないけど、雪乃は、毎日、板橋の
家まで出張するつもりなの? 」
「すぐに、書類を作成して、ここに戻ってもらうから、大丈夫。」
「お父さんとお母さんに報告しないと・・・」
「今夜、一緒に行きましょう。今日は、ゆっくりして。」
「・・うん・・でも、喉が渇いた・・・」
「はいはい、とりあえず、お水。」
起こしてもらって、水差しの水を渡してもらった。以前と、ちっとも変わらない。違う
のは、キスしただけだ。
「・・あ・・・」
昨日の父の言葉を、唐突に思い出した。そういう意味だったのか、と、思ったら自然と
笑えてきた。
「なに? 」
「・・ん?・・何にも変わらないな、って・・・」
「そうね。あまり変わらないわね。」
彼女も笑って、そう言った。
その夜、板橋家で報告したら、父も母も小躍りせんばかりに喜んでくれた。
「大切にしてもらいなさい。」
母は、そう言って、僕を抱きしめたが、それは、ちょっと違うような気がした。