篠原 求婚2
なにせ、相手は、それを望んでいるのだ。一言、「傍に居て欲しい」と囁けば、それだ
けで交渉は成立する。または、ただ、その赤い石を差し出しても可能だ。要は、若旦那が
態度にすれば、それだけでいいことだった。
「とうとう、若旦那がねぇー。なんかおかしいよな? 」
西野はクスクスと笑って、空調を最強にして、タバコを取り出した。全館禁煙と表向き
には規定されているが、さすがに個室にまでは、それは適用されない。
「まあ、いいんじゃないのか? これで、橘さんもすっぱり諦められるだろう。」
「まだ未練があったのか? 橘さんは。」
「未練というよりは、すっきりしなかったんじゃないかな。若旦那が、その気皆無だった
からさ。」
いや、今も、そんな気分ではないだろうが、見た目に寄り添ってくれれば、はっきりは
するだろう。結婚という目にすることができる証明は、雪乃だけを縛るのではない。ふた
りを結びつけるのだ。
「あいつ、晩生すぎるよ。もっと、人生は異性との付き合いを楽しむものだろ? 」
「おまえみたいなことが、できるなら、若旦那は、すでに片手以上の付き合いが経験でき
ているよ。」
西野は離れていたから知らないだろうが、麟は地上で二年間、同じチームにいた。どれ
ほどのアプローチを無視していたか、よく知っている。無視というよりは気づかなかった
が正しいかもしれない。
高井女史や蔡女史という、それなりの女性が、必死になってアプローチしていたことを
、当人だけが知らないのだ。
「くくくくく・・・そりゃ、もう、母性本能刺激タイプだからさ。あれは本気の方が墜ち
るんだよなあ。・・・あ、だから、それでいいんだよな? 」
「ん? 」
「雪乃は最初から本気で、保護者も兼ねてた。そして、若旦那の信頼も最高値。いい相手
だよな? 」
ぷかぷかと紫煙を吐き出して、西野はニカニカと笑っている。歓迎すべきことではある
のだ。しかし、事を拗らせないためには、とりあえず、橘の介入は避けるべきだろう。
「なあ、麟。細野と橘さんには内緒でいこう。」
「当たり前だ。ここで、あのおじさんが、余計な説教なんぞ、篠原にしてみろ。あいつ、
変な方向に進む。」
橘は、大変、普通の感覚の持ち主で、自分たちの中では一番の常識派でもある。求婚に
ついての意見なんて、とてもお堅いはずだ。
そんなものは必要ではない。ただ、篠原が、一言告げれば、すべてが変わる。余計な知
識も行動も、この際、うっちゃっておくべきなのだ。
「うまくいくといいな。」
「・・・いかないと困る・・・」
ふたりして、顔を見合わせて苦笑した。なんでも知っている優秀な若旦那は、こんなこ
とだけは不器用だから、気になってしまう。
安心して、ぐっすりと眠る寝顔が好きだ。神経質な人なので、なかなか熟睡できないの
に、私の傍らに眠ると、頬を撫でても起きることがない。それは、心から信用しているか
らだ。私は、あなたを護ると約束した。害されることも泣かされることもないと、心が知
っているから安心して眠れる。
でも、本当は、その細い喉を握り潰したいと思っているというのに。
「そろそろ落ち着いた? 」
友人が、机に紅茶を置いた。すっかりと、ここでの暮らしに馴染んでしまった友人は、
いろいろな飲み物を試している最中だと言う。
「落ち着くも何も・・・別に。」
「そう? なんだか、凄い顔だったのよ? 」
しばらく泊めてくれ、と、ここへ押しかけた。友人は困った素振りもなく、「期間は、
秀が戻るまで。」と、認めてくれた。戻ってくるのは、一月後。それまでは猶予がある。
「そりゃ、もう。凄いことを考えていたもの。」
暴走した心が納まるまで、どうしても距離を置きたかった。
「たとえば? どんなこと? 」
「殺したかったのよ。」
普通なら、その告白に驚くだろう。だが、友人も長い時間を過ごしているので、さほど
のショックではなかった。クスリと笑って、「羨ましい。」 と、漏らした。
「そこまで深く想ったことはないのよ。私は、秀と約束したけど、それだって履行すべき
かどうか迷ったぐらい。」
「履行しなかったら、迎えに行くつもりだったと思うけどね。秀くんが、「船の都合をつ
けて欲しい」 って、この前、言った時は本気だったわよ。」
私の友人も、長命な種族だ。だが、その種は衰退し、すでに拡散して纏まってはいない
。種族として維持できるだけの人員を欠いた時に、彼らは他の星へバラバラに移住するこ
とにしたのだ。種族として生き残りはしないが、その遺伝子が滅びないために。
友人は、最高責任者だったから、最後まで居残った。そして、そこで、約束をした。ど
うせ、最後の一人なら、一緒に旅をしよう、と。
約束した相手は、混血した結果の子供だったが、たまたま、長命な遺伝子は引き継いだ
。
「でも、やっぱり、あなたとは違うわね。私たちには、ここで生きていられないという必
然的な理由がある。」
「それは、私にも該当しているのだけど? 」
「ううん、私たちは、互いが最後の一人だから、互いを必要とする。それは、恋とか愛と
かいうものではなくて友情でも成立するのよ。最初は、あの人でなければ、ってことじゃ
なかったもの。でも、あなたは違うでしょ? あの子でなければならない。あの子を独占
したいと恋とか愛とかいう感情に依るものでしょ?」
友人は、さらに、クスクスと笑って、紅茶に口を付ける。確かに、そういうものかもし
れない。互いが必要だと感じることは、友情でも恋情でも愛情でも、起こりうるものだ。
「秀くんは、一目惚れだったと思うけど? 」
「まさか、秀は、『しょうがない、これで手を打つか』って決めただけよ。」
それでも大切にしている。共に生きていく相手として、なるべく長く楽しく暮らせるよ
うに、気を配っている。それが証拠に、この一軒家を借りた。友人が住むスペースは、私
の家にもあるから、と、薦めたのに、彼は、「ひとりで、ゆっくりする場所は必要だろう
。」 と、わざわざ、周囲に人家の少ない緑多い、この場所を求めたのだ。愛していると
かいう言葉ではないかもしれないが、彼は、私の友人を大切にしようとしている。それが
恋情であろうと友情であろうと、互いが必要としていることに変わりはない。
私はへあの人に必要とされている。だが、それは愛情の範囲だと思う。
私が欲しい必要ではないから、殺したくなる。
「それだけか? 」
「・・・うん・・・」
「おいおい、子供でも、もうちょっと食べるぞ、義行。」
「・・あ・・うん・・・なんか食欲が・・」
息子は、ほとんど食べずに、食卓を後にした。体調を崩していたから、食欲がないのは
仕方がないが、それでも、もう少し食べた方がいいのでは? と、妻の顔に視線を合わせ
た。
「口にしているから、もう、いいです。」
「はあ? 」
「ここのところ、食事を、ほとんどしていなかったみたいですからね。」
そういえば、友人たちと食事をすると言って、ここのところ、外食ばかりしていたのだ