千夜の夢
5.紙飛行機
本当、ビックリさせないで欲しい。
どうやって生きてきたらそれを避けて通れるのか教えて貰いたい。だって普通驚くだろ?紙飛行機を飛ばそうと窓を開けたところであなたはこう言った。
「なんですかそれは?」
嘘だろ・・・・。
「知らないの?」
訝しげな顔で冴はそう尋ね返した。あの日千笑さんと初めて会って以来、オレは毎日上條家を訪れている。
―毎日だ。
士に誘われてコーヒーを淹れた朝に、千笑さんと色々話すうちに、なぜかそんな事になっていたのだ。
「冴さんのコーヒー。毎日飲めたら幸せですね」
そう言って笑う千笑さんを見ていたら、自然と口が開いたのだ。
「それなら毎日コーヒーを淹れに来る」
と・・・。もちろん最初は断られた。「悪いから」と言って。でも効いたのは士の一声。
「いいじゃない。来てもらえば。その代わりうちで食事を一緒にとって貰えばいいでしょ」
食事とコーヒー1杯じゃ割に合わないだろうが。そう思ったことを口に出そうとした瞬間に彼女が立ち上がった。
「それいいですね!!私頑張りますからっ!」
どうやら上條家では子供の食事は母親である千笑さんが作る決まりらしい。(例外はあるだろうが) そんなこんなで気付いた時には話がまとまっていて、約束どおりオレは毎日コーヒーを淹れ、千笑さんは食事を振舞ってくれた。不器用そうだから大丈夫だろうか?と心配をしていたが料理は天下一品だ。失礼だがものすごく意外だった。作る物も凝ったフレンチやイタリアンではなく冴の好きな和食ばかりなのが嬉しい。お世辞ではなく素直に「おいしい」が言えた。
今日は土曜で学校は休みだったから昼間から上條家に来ている。士はというと土日は仕事が忙しく殆ど家にいないらしい。
―長男は大変だな。
宮元家でも長男である遥は年中忙しそうにしているが―。それより問題はこの人だ。30年近く生きてきて紙飛行機を知らない?
―有り得ないだろう幾らなんでも。
「知りません。折り紙の一種ですか?」
まぁ近からずも遠からず、紙を折るのに違いないのだが・・・。
「じゃあ、千笑さんも飛ばす?」
真っ白な紙を差し出して優しく微笑んだ。千笑といると冴はとても自然に笑う。
「はい!良く分かりませんがやってみたいです!」
・・・この人には絶対1人で外を歩いてもらいたくない。冴は強くそう思った。
「じゃあ、いい?まず紙を半分に・・・―」
「出来ましたー♪」
出来上がった紙飛行機の羽をピシッと広げて子供のように空を切らす。それを見て冴が笑う。
「うん、じゃあ・・・こっち来て。窓際」
小さく手招いて千笑を自分のすぐ横に立たせる。
「ここん家の庭は広くて見通しがいいからちょうどいい」
冬でも生き生きとした緑の芝生と季節の花々が美しい西洋風の庭だ。中央には品のいい噴水が日の光を浴びて輝いている。
「あそこがいいかな。あの噴水目指して飛ばしてみよう」
庭の真ん中を指差して千笑に微笑みかける。
「え、あんな所まで飛ぶんですかっ?」
「飛ぶよ。上手く作れていればね。見てて」
そう言って軽く紙飛行機を持ち上げ、ゆっくりと引くと優しく外へと送り出す。ちょうど柔らかな風が舞い、冴の紙飛行機をゆったりと持ち上げるように運んでいく。
「わ・・・ぁ。すご・・・」
まるでそこへ行けと命令されたようにふわりふわりと噴水を目指して飛んでいく。そして測ったように噴水池の中に着水していった。
「?!」
―ぉ、すげ・・・まさか本当に噴水に落ちるとはな・・・。
「すごいですーーー!何ですか?!冴さん紙飛行機の名人なんですか?!」
「いいや、たまたまいい風が吹いたからよく飛んだだけで・・・」
千笑の興奮ぶりに少々押され気味に首を振った。
「よし!じゃあいい風が吹いてるうちに私も行きます!」
意気込んで噴水をまっすぐ見つめる。ものすごく真剣だ。
「まっすぐ飛んでね、風の子1号!」
―風の子1号?紙飛行機の名前か??
冴が不思議がっているのを他所に千笑の紙飛行機は宙に飛び出した。真っ直ぐ、ゆったりと下っていく。初めてにしてはよく飛ぶな、と感心していると、更に飛行機に小さな追い風が吹いた。
「あ」
「あ!」
2人の驚嘆の声が綺麗に重なる。千笑の「風の子1号」は、冴の紙飛行機の横に寄り添うようにして止まった。
「すごくないですか?!隣に落ちました!」
嬉しそうにはしゃぐ千笑をよそに、冴はただ唖然としていた。
―そんな事ってあるか?偶然にしても出来すぎだろう。
まさかどこかで士が風を操作してうまく飛ぶよう仕組んだのではないか?冴は本気でそう疑いたくなった。身を乗り出して屋根の方を覗いたが、もちろん士の姿は無かった―。
実はあの時の紙飛行機、両方共ちゃんととってある。水に濡れてしわくちゃだけど、でもあれが― 千笑さんとオレの「初めての触れ合い」だったんだから。