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千夜の夢

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4.上條家



正直、家が好きじゃない。だけど、家族の事は好き。
正直、家が好きじゃない。だけど、自分の居場所は家だけだ。
そう感じてたんだよ。



前日のパーティーでの疲れが多少はあった。でも、やらなきゃならない事があって、どうにか体を起こそうとベッドでのたうち回る。

「ぅ、ぁあ・・・頭・・・」

ひどい頭痛が頭の内壁を殴りつける。

―これはヒドイ。

体を仰向けに戻し、手のひらで額を押さえつける。手当てとはよく言ったもので、多少楽になった気がするのが不思議でならない。小さな頃は熱を出したりするとよく千笑がこうしてくれたものだったな、とふと思い出す。あの人なら今でもやるだろうが。体の弱い母。辛い病を抱える母。そんな母を快く思わない人間は内部には腐るほどいる。

―あの内面の素晴らしさをどうしてみんな理解してくれないのだろうか?

士の中でジリジリと燻ぶった怒りは今もなお大きく増していくばかりだ。本当にくだらない。くだらない人間ばかり。くだらない、くだらない。その中で生きていかなければならない自分も、笑えるほどにくだらない。千笑を支える力が欲しいが為に家の決まりを見事なまでに守り、祖父の母への罵倒にも耐え、完璧なまでに振舞ってきた。千笑の為ならば何だってやってやろう、と。―でも・・・

「―まだ、足りない・・・」

なんとか体を起こし壁の時計に目をやると、ちょうど6時半を回るところだった。

「もう、起きてるな」

携帯を掴み、発信履歴を開く。一番上の番号へと電波を繋ぐ。数回のコール音を寝ぼけた頭で聞き流すと、ふと音が止んで再び眠気を誘う低く穏やかな声が応える。

<今何時だと思ってるんだ。まるで老人のように無駄に早起きだな。少しは考えろ>
早起きについては人の事言えた義理はないじゃないか、と士は笑った。冴はいつでも、心地よい響きで心にもない文句を言う。


* * *



「で、なぜオレはこんな早朝からお前の家に呼ばれなきゃならないんだろうな?理由を言え」

家が近いので冴はどうやら歩いてきたらしい。それでも10分はかからないだろう。文句を言いつつきっちりと言われたとおりに足を運んでいるところが冴である。

「さて、なんでかな?」

ニヤリと笑って小首をかしげる。冴の表情がまた一段と曇った。わかり易くていい。

「帰る」

踵を返そうとする冴の両肩を掴み引き止める。

「まぁまぁ。せっかく来たんだ。コーヒーでも一杯淹れていってくれよ」

満面の笑みだ。

「オレは客だぞ。なんでオレがお前なんぞの為にコーヒー淹れてやらなきゃいけないんだ」

早起きの癖にひどい低血圧らしい。日中よりもやや不機嫌度が高い。

「うん、そろそろ7時だ」

腕時計に目を落として士が呟く。

「頼むから人の話を聞いてくれ」

もはや観念したようで言葉に棘はなく呆れた様子だ。

「もうすぐ起きるよ」

あえて“誰が”とは口にしない。ちゃんと冴には伝わっている。

「・・・・・・でなんでオレ呼ぶの」

少々投げやりに視線を逸らした。昨晩の冴がまた姿を現す。戸惑う少年冴だ。

「ちょっと面白い事したいじゃないか」

楽しそうに士が微笑む。士と千笑はよく似ている。千笑と同じ微笑だ。おそらく冴はそんな事を考えていただろう。

「・・・なんだって?」



大きな屋敷内は早朝にもかかわらずやや騒然としていた。微かに朝食の支度をする香りが漂ってくる。使用人の幾人かは忙しなく行き来しており、この屋敷の規模を表している。

―そういえば、冴を家に上げるのは初めてだな。

そこへやって来たのは上條家の大御所、士の祖父である寿だった。

「おはようございますお爺様」

士がきっちりと深く礼をするのにならって冴も頭を下げる。

「おはようございます上條会長。朝早くからお邪魔して申し訳ありません」

冴もしっかりとわきまえた様子で挨拶をした。

「宮元の次男か。父上には世話になっている。よろしく言っておいてくれ」

そう無愛想に言うと、冴が居る理由など聞くわけでもなく去っていった。

「・・・久々に会ったけど、相変わらず、だな」

「冴に言われちゃあ・・・」

「もう帰ってもいいんだ」

士の言葉を阻んで言い放つ。

「・・・キッチンはこっちだよ」

これ以上余計な事を言うのはよそう。士は小さく舌を出し先へ進んだ。



淹れたてのコーヒーを片手に白く塗られた木製の扉をノックした。

「千笑ちゃん、起きてる?」

<今起きましたー>

少し間をあけて間延びした声が聞こえてくる。ドアの脇で壁に寄りかかった冴の顔に微笑みが落ちる。ゆっくりとドアノブを回し、士一人が部屋の中へと入る。さすがに寝起きの女性の部屋にいきなり入れるのはどうかと思われたし、冴だって入ろうとも思っていない。ドアをわざと半分開けたまま室内を進んでいく。

「目覚めにコーヒーなんていかがかな?」

ニッコリと笑ってカップを見せた。

「・・・・・なんでまた?」

普段しもしない事を子供がすれば、親は不思議がるものだ。

「昨日の疲れが残ってるんじゃいけないと思って。サービスだよ」

―淹れたの冴だけど。

「ありがとうございます。いただきます」

両手でカップを受け取り、2,3度息を吹きかける。千笑は猫舌なのだ。ニコニコとその様子を見守る。ゆっくりと一口啜ると、ガバッと顔を上げる。目覚めの効果はてき面だ。

「冴さんのコーヒーです!!」

部屋の中と外で、心地よい笑い声がこだました。



こんなに愛しく思える相手、もう二度と現れないんじゃないかって・・・・本気で思った。母親にこんな気持ちを抱いた俺は、息子失格かな。



作品名:千夜の夢 作家名:映児