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千夜の夢

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22.上條優





冴が調達してきたビオラは、素人の俺の耳で聞いても素晴らしく美しい音なのが分かった。母の誕生日に数日遅れて帰宅した父を迎え、久々の家族団らんにヴィオラの音色が花を添える。一年を通して家に居るのは1ヶ月にも満たない父との久々の再会はいともあっけないものだった。



「ただーいまー♪誕生日おめでとう千笑!」

そう言って表の屋敷の方から帰って来た父の腕には大きなテディベアが抱えられていた。 31歳の女性に贈るには不相応な気もするが、相手がこの母ならばナイスチョイスと言える。感心したように一歩離れた所から見ていると、ニッコリとした口につぶらな瞳をした真っ白で巨大な熊の手が接近して来て、士の頭をポンポンと軽く叩いた。

「士くん、また背が伸びたね?!やだなー、父さんまだ追い越されたくない・・・」

―この親にしてこの俺があるのか・・・。

士は熊に頭を撫でられながらそんな事を考えた。あんなことを言っているが、士が父の身長を抜くなどまだまだ先の話だ。確か父は180センチ位はあった。方や士はと言えばまだ170ちょっと。中3男子にしては高い方ではあったが、そこまで急激に追い抜きはしないだろう。

「優さん、率さんも前会った時よりも1センチも背が伸びましたよ」

―当然旦那にもさん付けなわけで。まぁそこだけは普通なのかもしれないけど。

「へえ!どれどれッちょっとは重くなったのかい率くん!」

足元でよちよち動き回っていた率を抱き上げる。普段接していないせいか率はどこか緊張気味だったが、それもすぐに消えた。優と率は顔立ちが似ていたせいもあって、すぐに打ち解けたのかもしれない。親戚や関係者もよく、士は母似、率は父似だと言った。『でも士くんは中身はお父さん似だね』ともよく言われる。すると自然に父をよく観察するようになった。きっと将来自分が辿る道をなぞる様にして父を見て来たのだと思う。しかしまるで理解出来ない事がひとつだけある。

―なんで母さんを選んだのに愛していないんだろう。

士は父の昔からの恋人の事はよく知っていた。実際に会って話をした事もある。確かにとても魅力的で素敵な女性だった。物腰柔らかで、知的でユーモアもあって美人で、一言でいえば『才色兼備』。でも士にとって母より魅力に溢れた女性はいなかった。温厚だけど、意地っ張りで強情。頭はいいけど世間知らず。元はとても綺麗なのにまるで着飾らない。周りの人はよく母の事を『変わり者』と呼ぶ。士に言わせれば世の人間の方がよほど変わっている。母を蔑む人間の方がよほど。でも一番の変わり者はやっぱり父、上條優だ。普段は浮雲のように自由で捉われないのに、何かあれば自分で自分をひとつの場所に縛り付ける。それでひどく息苦しそうにする。それはまだ幸か不幸か士には理解出来ないところにあった。殆どの行動パターンは読めるかもしくはすんなり理解出来るのに、ふとした時急に目の前の男が誰だか分らなくなってしまう。さっきまで目の前に居た父が、見ず知らずの他人になってそこに居るのだ。それはとても奇妙だった。

「士くん」

名を呼ばれてハッと顔をあげる。いつどこでも『考察モード』に入ってしまうのは士の癖だった。

「なに?」

曖昧な笑みを薄く浮かべてみる。ちょっとぎこちなかったなと士自身思ったが、恐らく父は敢えて気付かない振りをしてくれた。父のそんな所は居心地が良くも悪くもあった。理解してくれているのか全て見透かされているのか―多分後者だろう。

「冴くん今日は来ないの?」

「え?!」

大げさなほどデカイ声が出た。自分でも驚く。

「最近よく来るんでしょ?」

―つか毎日来てるよ。

「今日は、・・・来ないんじゃない?折角の家族水入らずがどーとか言ってたから」

嘘は言っていない。実際冴がそう言っていたのは事実だった。他にも色々言ってはいたが、それは敢えて伝える必要もなければ聞かれるはずもない。

「このヴィオラ、冴くんがプレゼントしてくれたんだろう?や?、流石は一流企業の令息だ。良い物贈ってくれるよね。」

「父さんが言うと厭味に聞こえると思うよ」

名実共に上條グループは現在日本を代表する大企業。その代表取締役社長にそんな事言われても厭味かジョークにしか聞こえやしないだろう。

「厭味かな・・・でもこれ全部で100万は堅いよ」

と、そこでキッチンの方から食器が砕け散る音がした。
士達は驚いて一斉に振り向いた。

「ひゃ・・・100万・・・ッえん・・・」

そこには目を飛び出しそうなほど見開き、固まってうわ言のように何度も『100万円』と呟く千笑が居た。

「ちょ、何やってんの千笑ちゃん?!危ないじゃんか!」

慌てて駆け寄り、破片の散乱する中で硬直している千笑を軽く抱え上げると安全地帯に座らせた。

「相変わらず手際の良い過保護っぷりだね士くん。父さん出番ないよ」

「いいからちょっと、それどうにかして。冴にとって100万位取るに足らない額だって教えてあげて」

「いいじゃない。面白いから」

「父さん・・・」

―本当、間違いなく俺この人の息子だわ。

溜息を吐きながら散乱した元コーヒーカップを片づけた。しかもそれは千笑が一番気に入っていた5対セットのもので、特別な日にのみ使われるものだ。年に数回、父が家に帰って来た時にだけ。この両親の間には夫婦とも恋人とも親友ともつかないもっと特別な関係が成り立っている。親友よりもっと深い位置に居て、恋人よりも義務的で、夫婦よりも親密な。時々二人は見つめ合っただけで微笑みあったり、言葉を交わさなくても理解し合ったりしている。その癖とてもドライで拘らない。息子の士にも入っていけない絶対領域を守っているのだ。2人は別々の道を歩みながらも運命共同体としてもっとも身近な存在だった。普段どんなに離れて暮らそうと、何週間何ヶ月と連絡ひとつ取り合わなくても互いに『あの人なら大丈夫』と笑って言ってのける。

―憎たらし過ぎる。

食器を片づけ終え手を洗いながら、無意識のうちに父を睨みつけていた。目が合った優は楽しそうに笑って言った。

「士くんが居るから、千笑の事は何も心配いらないね」

その言葉にも、笑顔にも、胸が重くなる。

―俺は愛する事さえ許されないのに、あんたはズルイ。

荒れた胸で言葉は堰き止められてしまったが、今にも弾け出しそうな妬みやその他諸々を士は辛うじてしまい込み何とか笑った顔をして見せた。そんな気持ちを知ってか知らずか、優はまた楽しそうに千笑の肩を軽く揺すった。

「千笑、千笑!見てごらん、士くん変な顔で笑ってるから」

―知るわけないよな。



久々の家族団らんを、それなりに楽しめた日だった。



作品名:千夜の夢 作家名:映児