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千夜の夢

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16.憂鬱な午後よ





ちゃんと知っていたのに、気付いてあげられなくてごめんね。
独りにした事、怒ってる?あなたのその孤独から目を離したばっかりに、俺は大切なものを見失ったの?面と向かって母と呼ぶにはまだ辛いけど、もし戻って来てくれるなら努力する。あなたの良い息子で居られるように、最大限の事をするよ。世界中に聞こえるくらいの大声で呼び続けるから。
だから、お願いだよ。
俺だけに聞こえるように返事をしてくれないかな。



ある日曜の午後だった。
士は午前中仕事で上條グループの本社ビルまで足を運んでいた。憐れにも中学生である社長の息子の下に付けられた数名の社員との打ち合わせの為だった。半数以上が20代から30代の若手社員だったが、社長である父が選び抜いたのは士に対しても丁寧な対応を取ってくれるような出来た人間ばかりだった。礼を尽くすべく士も出来るだけ丁寧に接し、多くの意見を取り入れながら進めた。話し合いがスムーズに運び昼前には仕事を終えた士は、家に戻るべく用意された車に乗り込んで帰路に着いた。いつも通りの千笑の穏やかな笑顔が迎えてくれるのを心待ちにしながら。しかし、裏口から家の中へ入ろうとすると、中からの応答がなかった。仕方なく表に回り、正面から屋敷に入ると数名の使用人が迎え入れた。「おかえりなさいませ」と繰り返し飛び交う中を、何度か「ただいま」を落としながら進む。やっとの思いで別宅への廊下を渡りドアを開くと、リビングはいつもと違う空間を映し出していた。日当たりの良い部屋の窓辺には小さな子供用の椅子がひとつ。弟が使うにはまだ早いそれは、士が幼少時代に使っていた物だった。そばに歩み寄ると、椅子の上には絵本が全て開ききらないまま引っ掛かっていた。それは小さな頃、毎日のように千笑が読み聞かせてくれた本だった。海賊が大海原を行き交う冒険物だった。絵本といっても殆ど挿絵などなかったが、それでも千笑の膝に乗り、一緒に本を覗きながら過ごした時間は今でもはっきりと思い出される。話は面白かったが、それよりも千笑の穏やかな声を聞いているだけで幸せだった。まるで歌うようにゆったりと話す千笑の声は、格調高いピアノの音よりも温かみのあるオルガンの音。けれど決して声は高すぎず、かといって低い事も無い。不思議な響きを持っていた。 引っ掛かったままの本を拾い上げ、何枚かページをめくると幼い自分が描いた落書きを見つける。丁度挿絵のページで、そこには船首で勇ましく剣を掲げる海賊船の船長がいた。そしてその横に描き足されていたのは、丸い顔から手足の生えた髪が三本しかない・・・―。

―これ、なんだ・・・?

指をずらすと千笑の字で“船長と船乗りの士”と書かれている。

「・・・ひどいなこりゃ」

―まさか自分だったとは。身体どこだよ。しかも髪三本だけって…。

苦笑いを浮かべたままそっと本を閉じて椅子の上に戻した。ゆっくりとリビングを見回し、壁に掛かった時計に目をやるとちょうど一時になる所だった。この時間なら昼食を終えて弟を寝かしつけているかもしれない、と弟の部屋へ向かった。本当は弟の率と千笑は、あまり一緒にいてはいけない決まりになっている。万が一赤ん坊の率に千笑の病が感染してはいけないと、祖父が取り決めた事だった。殆ど家に居ない父と、居住区の異なる祖父を別にすると感染予防をしてきたのは長男の士と世話役の木下夫妻だけだった。弟と接する時千笑はいつも特殊なマスクをつけていていたせいか、笑顔が悲しく見えた。率の部屋の前で足を止め、小さく控えめにノックを落とす…が、返事はない。そっとドアノブをひねり中を覗くと、そこには率も千笑も居なかった。

「・・・・・・おかしいな」

その後千笑の部屋と自分の部屋を調べたが誰もどこにもいなかった。士は徐々に不安を抱き始めた。今日は検診の日ではなかったはずだし、第一それ以外に家を空ける理由など無い。悪い予感をグルグルと頭で巡らせていると、勢い良く屋敷と別宅を繋ぐドアが開かれた。

「士ぼっちゃまぁあッ!!!!」

声を張り上げて猪の如く突進してきたのは世話役の木下氏だった。士を見つけるや否や肩を揺すり、動揺を露わに青ざめている。

「ちょ、木下さん・・・落ち着いて!息してッ!」

必死でしがみ付いてくる木下を引き剥がす。

「何があったんですか?・・・母さんは?」

目を血走らせて真っ直ぐこちらを見ている木下氏は口唇をぎゅっとむすんでうっすらと涙を浮かべている。

「申し訳ありませんッ!!」

「・・・ッなに謝って・・・、」

「―奥様の行方が分からないのです・・・」

悔やむように顔をしかめ、木下は下を向いたまま動かなくなってしまった。一瞬頭の中が真っ白になってしまった士だったが、なんとか意識を引きずり戻した。

「・・・どぉゆう意味?一人で外へ?・・・だって、外へ出るにもキー解除がいるんだ・・・千笑ちゃんは解除キーを知らないんだ・・・」

うわ言のように呟いて首を振り一歩、木下氏に詰め寄る。

「・・・表から出て行かれたそうです」

「え?」

「正面から、一人ふらふら出て行かれたと・・・」

「な、に・・・?表から?誰かしら人が居たでしょう・・・誰も気付かなかったんですかッ?」

不安が焦りに変わっていくのが自分でも分かった。千笑が外に出たからと言って命に関わる事ではない。しかし、一人黙って出掛けたとなると話は別だ。今まで一人で外へ出掛けた事など一度も無い。ましてや家族に黙って出て行くなんて・・・。

「私は丁度、外へ使いに出ていました。屋敷のエントランスにはもちろん数名の使用人がいて奥様が出て行くところを見ていますが・・・」

言いにくそうに言葉を切るのを、士はやるせない気持ちで繋いだ。

「誰も近づこうとしなかった・・・」

申し訳無さそうに顔を伏せていた木下氏の肩を掴み、こちらを向かせる。

「今更、・・・気にすることありません」

そう言って士は泣きそうな顔で微笑んだ。木下にとって、その士の表情が一番心苦しかった。どんなに普段大人のように振舞おうと、実際は普通と変わらない15歳の少年。まだ家族を必要とし、母を恋しく思うほどの幼さを残した少年に変わりなかった。

「・・・とにかく探します。木下さんは屋敷に残って、万が一母さんが戻った時は連絡を―」

有無を言わさぬ口調で言い放つと、屋敷へと繋がる廊下へのドアを開け、木下に背を向けた。歩きながら携帯を取り出し、リダイヤルから冴の番号を出して通話ボタンを押した。数回のコール音をやり過ごすと、留守電に繋がってしまう。士は一度通話を切り、宮元家の番号を呼び出した。今度は5回目に冴の兄である遥が応答した。

<はい、宮元です>

名乗って軽い挨拶を交わし、冴が居る事を確認すると繋いでもらえるように頼む。考えにくいが、万が一冴の所に居ないとも限らない。保留音が止んで、冴の背景に広がる沈黙が聞こえてくる。頭がぼんやりとして上手く稼動してくれない。俯くように頭を数回振る。

<・・・士?>

心配げな冴の声が耳元にやんわりと広がる。冴の声も千笑と同じどこか不思議な響きを持っているな、と頭の片隅で思った。

「・・・冴、一人?」
作品名:千夜の夢 作家名:映児