千夜の夢
8.確信
いつまでもこんな事続けられない・・・。このままずっと今の状態を保っていられるとは思ってなかった。でも、この日がずっと来なければいいと思ってた。いつまでも、いつまでも―。
人の行き交う病院。ロビーの椅子に座ってただじっと前を見つめる。幾人もの人間が通り過ぎ、騒がしさを残していく。電光掲示板に自分の持つ整理番号が表示されると、そっと立ち上がり指定の窓口へと向かう。処方箋を受け取り、会計を済ませて振り返ろうとした時だった。
「士?」
「ッ!!」
―ぇ、まさか・・・この声・・・嘘だろ・・・。
なんとか平静を取り繕うべく、ゆっくりと振り返る。
「お前、何してるの?」
「・・・・・・なんで、冴が病院に?」
「兄貴の付き添い・・・」
不審に思っているのだろう・・・冴の言葉はどこか上の空で、こちらの腹を探っている様だった。
「・・・そっか」
グルグルと巡る思考が正しい位置に定まらず、言葉が続かない。
「で、お前は?風邪か?」
―もう、潮時なのかもな・・・。
そう胸中で軽く諦め、ひとつの決心と共に冴に向き直る。
「・・・冴」
「ん?」
「今夜・・・うち来るよな?」
「ぇ、行くけど・・・なんだよあらたまって」
「来たらすぐ・・・俺の部屋、来て」
それだけ言うと、士は病院を後にした。
―もう、隠す事は出来ないんだ・・・冴を巻き込んだ以上、避けて通ろうなんて卑怯だった。
* * *
「今日、冴に言って」
リビングのソファで千笑と向かい合って座っている。真っ赤な夕陽が差す西向きの大きな窓から外の夕焼け空を見たまま、千笑はうんともすんとも言わない。
「もう、冴のコーヒー飲めなくなっちゃうね」
「え?コーヒー?」
「そうだよ」
試すように、はぐらかすように笑う。
―もう、気づいてるよね?
「私・・・冴さんが・・・」
「うん」
「コーヒー淹れるの・・・すごく下手でも・・・」
「うん」
「毎日・・・」
「うん、そうだね」
士は全てを包むように微笑み、そして全てを放棄するように背を向けた。
―もう、俺がいなくても・・・平気。
やっぱり、少し寂しいな。
完全に日が傾いた頃、冴はやってきた。
どこか神妙な面持ちで、ずっと士の部屋のドアの前で固まっている。
「―冴?」
部屋の中から声をかけると、ドアノブがゆっくりと回され冴が入ってくる。挨拶もせず、目も合わせず、不機嫌そうに立ち尽くしている。士は冴を中に招きいれもせず、そのまま話し出した。
「今日俺が病院に居たのは、定期検査を受ける為だった。・・・結核の」
「え?」
「千笑ちゃんは、ただの虚弱体質なんかじゃないんだ」
「ちょ、待て・・・何?話についていけないんだけど」
「肺結核なんだよ」
「結核・・・て、」
「症状は軽くなくて・・・周りへの感染の可能性も年々上がってきてる。だから、もう冴を・・・ 家に呼ぶわけにはいかない・・・。千笑ちゃんは今日、それを冴に伝えるつもりだから」
「・・・オレにも、・・・感染する危険が、あるから?」
「結核菌がどんどん増加してきてるんだよ。今までは殆ど感染の危険は無かったし、 俺達は検査を受けたり予防もしてたから安心してたんだけど・・・」
そう言ってチラリと冴に視線を送る。
「そっか、・・・オレ、部外者だからな・・・」
「俺だってお前を病気にさせるつもりなんか無い。俺から言えるのは、それだけだから」
冴は自分の足元を見たまま動かない。ただ、喉が震えている事だけはハッキリと分かった。
茫然自失の親友を前に、泣き出してしまいそうになった。自分が巻き込んだばっかりに、冴を傷つけ、追い詰め、失望させた。きっと許される事じゃない。地獄でこの身を焼かれても構わない。ただ、願わくば…せめて2人を、悲しみの中に漂う2人を・・・どうか、許す限り一緒にいさせてくれないか・・・。この世に神が存在するなら・・・どうか―。