命の旅
「ああ、よかった。少し聞きたい……」
「坊主、大人しくどっか行きな。そいつは俺の獲物だ」
やってきた男にかけた言葉は止められ、銃口を向けられる。
「いや、だか……」
「うるせーな、殺すぞ!」
――おら、逃げろよ。背中から撃ってやるから。
男は思っていることを考えほくそ笑んだ。だが少年の目線は銃でも男でもなく、縮こまって震える少女に向けていた。そして頭を掻きながら悩むように目を閉じた。
「あんた、俺の嫌いなタイプだな。この子に聞くことにするわ」
「ああ? まったくよ」
「ひっ」
男の銃口から放たれた弾丸は少年の頬を削り通りすぎる。音に反応し少女が悲鳴を漏らした。
「おら、必死に逃げろよ」
「今日はもう撃たれたくないんだよねー」
血が出ることに気にもとめず男を睨む。
「けっ……もういいか、死ねよ」
何回かの発砲音の中、つまらなそうにしていた男の顔がだんだんとひきつりだした。少年は弾丸を受けながら歩みを止めないのだ。
「な? 防弾チョッキか?」
頭部を狙った弾丸、受けてもなお少年は止まらない。
「お、おいおい、何の冗談だよ」
「俺もただ長く生きてただけじゃないんだよ」
動揺している男は腰からナイフを出し切りかかるが、ナイフを突き出す腕をからめ捕られそのまま投げ飛ばされた。
「がっ……」
「ここで大人しくしときなよ」
少年は投げ飛ばし、素早く首に手刀を叩きこみ男を気絶させ、肢体の間接をはずし、武器類を遠くに投げた。
その光景を最初は腕の隙間から細目で見ていた少女は、顔を上げて目を見開き少年を見ていた。
「えっと、とりあえず海の方……わっ」
「ふぇっぐ、ひっぐ、うう」
少女は少年に飛びつき泣き出してしまった。
「どうすれば……」
少年は途方に暮れた。
それから三十分。
「……えっと、落ち着いた? 俺はウェイク・イータルって言って、あー驚いたかもしれないけど死なない……って寝てるのか」
泣きやんだ少女は話を聞く前に重くなった瞼が下がり寝息が聞こえる。
「まぁ急がないし、待つか」
少女を抱え寝床を探す少年を夕日が照らしていた。
ザザーザザーと波が音を立てる浜辺。日が出たばかりで辺りは少し明るい。そこをピンク色のパジャマを着ている少女が歩いていた。
「もうそろそろ気が付く時間かな」
無邪気そうな笑みだが、目の奥に何か冷めたものがあるように感じる。
「今日も暑くなりそう……ん? あれは」
空を見上げる視線を浜辺に戻すと少し遠くに大きな黒い塊のようなものが浜辺に打ちあげられているのが見えた。それに向かって歩いて行く。
「なんだろこれ……ひ、ひと? だ、大丈夫ですか?」
水を吸った黒い服、短めの金髪が顔に貼りつく、十五、六歳の少年が倒れていた。すぐに膝を付き少年を揺する。
「ん…… ん?」
「……よかった、大丈夫ですか?」
少年のうめき声とうっすらと目を開けたことに胸を撫で下ろす。
「う、うぇー、ゲホッゴホッ」
少年は起き上がるといきなり大量の塩水を吐き出した。
「やっぱりこの移動はきついな……あれ? 君は?」
「え、英語? え、えっとなんて言えば」
「あーここ、日本か。えーと君は?」
ロシア語が分からずあたふたしていると、少年は何事もないように日本語を話した。
「私は富(ふ)隅(ずみ) 菜穂子(なおこ)で……あれ? 日本語……そ、それより大丈夫なんですか?」
「え? ああ、大丈夫だよ。慣れてるし、死な……」
「でも、溺れてたんじゃ……」
軽いパニックになりながらも、何かを思い出したように言葉を切った少年とその態度に、少し怪しむ菜穂子であった。
「とにかく病院に行きましょう。近くにありますし」
「病院は、ちょっと……ほら、身分証明できないし、お金もないしね」
「とにかく一度行きましょう」
「え? あ、わかったよ」
駄々をこねる少年を菜穂子の笑顔で言うことをきかせる。目の奥はぜんぜん笑っていない。菜穂子と半ば引きずられるように少年は病院へ向かった。
軽い健康診断を受けることとなった。もちろん以上なんてない。どうせ死なないのだから、しかしそれは言えない。海へ飛び込む前に 何年かともに過ごした少女の会話を思い出す。
「死なないこととか簡単に言っちゃだめだからね」
「え? 別にいいじゃん、あんまり信じる人いないしね~」
長いブロンドの髪の少女は目を吊り上げている。少年はそれに動じることもなく涼しい顔をしている。
「怪しいし、捕まったりしたらどうするの」
「大丈夫、大丈夫。今までだって何回か捕まって研究所~とか行ったし」
「っ~~とにかく言ったら駄目だから」
少女は怒りながら荒い足音をさせ出て行った。
受付前に座っていると整った顔立ちに長い黒髪、色白な肌のさっきの子、富隅 菜穂子が廊下を歩いてきた。
「大丈夫だったんですか?」
「健康だってさー、そうそう俺の名前まだだったね。俺はウェイク・イータルっていうんだ」
実際は身分証もお金もないため、診察室を断って出てきた。向こうも止める理由も自分から面倒なことに首を突っ込むこともない。
「そうですか、何もなくてよかったです。どこの国の人なんですか?」
ウェイクは短めの金髪に、目の色が灰色のため日本人ではないことはあきらかだ。質問した菜穂子は体調でもよくないように見える。なにかうんざりしたような、疲れた表情をしていた。
「アメリカだけど……なにかあったの?」
「え? えーと、勝手に脱け出したの怒られちゃいました」
苦笑いの中には誤魔化しが混じっていると感じられる。
「そっか、ところで今何年何月だっけ?」
「え? 今は二〇〇七年の六月ですよ」
「……二〇〇七年、一年かーわりと長かったな」
今何年かなんて聞いたせいで菜穂子は不思議そうな顔をした。
「それにしても日本語が上手ですね」
「昔、日本に居たことがあってね」
その会話を最後に、並んで座る二人には沈黙の時間が流れた。あまり表情を変えず話していたウェイクは、すでにこれからのことを考えていた。その思考も沈黙の時間も菜穂子によって破られた。
「あの……ウェイクさんはこれからどうするんですか?」
「え? うーんどうしようか考え中だよ」
少し迷いがある声に、なぜそんなことを聞くのだろうと疑問が浮かぶ。
「その、よかったら少しの間、私の話し相手になってくれませんか? ここだと誰もいなくて……」
「いいよ」
特に行くあてもないので即答する。すると菜穂子の驚きの表情が目に入る。
「本当にいいんですか?」
「別に行くあてもないしね。当分ここにいるよ」
その返答に嬉しそうにする菜穂子を見ていると、さっき思い出した少女をまた思い出す。悪い気はしなかった。
「でも何を話すの?」
「よかったら、外国の話をして欲しいんですが」
菜穂子は夢見る子供のように目をキラキラさせていた。
――自分の知らない世界を知りたいのか。
菜穂子の目的を知り、自分の話を聞きたがるとしたらそういったことばかりだと思い返した。その上長い旅をしている、話題が尽きることはない。
「わかったじゃあ……」