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秋月あきら(秋月瑛)
秋月あきら(秋月瑛)
novelistID. 2039
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ダークネス-紅-

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最終話 誰がために生きる?


 低い笑い声が木霊した。
「クククッ……心配すんなよ、雅はオレの中で生かしてやる」
 タケルは血の海に浸る雅の躰を抱きかかえ、不気味な仮面が巨大な口を開けて、その深淵へと雅の躰を丸呑みにした。
 紅葉よりも先に愁斗がおぞましい存在が顕現すると感じ、地面を蹴り上げながら妖糸を放った。
 煌く輝線はタケルの首を刹那にして刎ねた。
 しかし、相手はすでに死人。
 地面に転がった生首から蜘蛛のような脚が出た。
 あの仮面を壊さねばならぬことを悟った愁斗が構えた瞬間、首と切り離された胴から包帯が触手のように伸び、愁斗を絞め殺そうと飛んで来た。
 何本もの意志を持った包帯を躱わすのは至難の業。
 最初の一本を躱わした愁斗は包帯を妖糸で切り刻もうとしたのだが、息を切らした肺が咳き込み喀血をして仮面の口から真っ赤な血を吐いた。
「……こんなところで」
 急激な運動によって内臓の損傷が悪化したのだ。
 隙のできた愁斗の足首に包帯が巻きつき、なんと愁斗は宙吊りにされてしまった。
 包帯はすでに生き物と化し、その長さも自在と変えてうねり回る。
 瞬く間に愁斗は四肢を捕らえられ、蜘蛛の巣にかかった獲物のように宙に吊るされていた。
 さらに包帯は愁斗の首を絞めようと巻きつき、ぎちぎちと巻きつく力を強めていた。
 愁斗の首から伸びる包帯に輝線が走った。
 裁ち鋏を構えた〈般若面〉。
 跳躍しながら呉葉は華麗に舞い、次々と愁斗を拘束していた包帯を切り刻んだ。
 小刻みされ舞い散る包帯が花びらのごとく宙を舞う。
 首のない躰が拍手をして、その首に蜘蛛の脚を持った頭が乗った。
「すげえな、カッコイイじゃねえか」
 感心したようにタケルは舌を巻いた。
「オレもカッコイイとこ見せなくちゃな」
 タケルの躰に起こるメタモルフォーゼ。首と両腕が天井に向かって長く伸び、両手はぶよぶよと蠢きながら頭部を形成した。両手の変わりに生まれた頭部――そこに現れたのは喰われたはずの雅と早苗の顔であった。
 二人の顔は苦悶に満ちている。
 脳で木霊するおどろおどろしい声を呉葉は聴いた。
 ――タスケテ……タスケテ……。
 雅と早苗の混ざり合った声。二人の意識はタケルの中で生きていたのだ。
 硬く裁ち鋏を握った呉葉がタケルに飛び込んだ。
 タケルの躰から伸びた包帯が腕となって縦横無尽に動き回る。
 殺意を滾らせた呉葉の攻撃は確実に包帯を切り落とし、タケルの中心――不気味な仮面へと距離を縮めてようとするが、包帯はいくら切り刻んでもタケルの躰から生え変わり、無限というべき再生を続けていた。これでは近づけない。
 驚異的な再生力を持った幾本もの包帯。その光景はまるで、日本神話に語られる八岐大蛇のようだ。
 一方、愁斗は仮面の下から零れる血がローブに染み込み、地面に方膝を付きながら霞む目を凝らしていた。
 包帯と舞い踊る呉葉はその場でステップを踏むのに精一杯だ。愁斗はあの不気味な仮面がエネルギーソースと知って、破壊する方法を模索した。
 愁斗は立ち上がり指先を軽く動かした。問題は己の躰が持つかであった。
 神速で振られた愁斗の手から放たれた輝線が宙に傷をつくる。
 闇色の裂け目の?向こう側?で、いつもよりも甲高く悲鳴が聴こえる。号泣する声が聴こえる。轟々と呻く声が聴こえる。どれも惨苦に満ち満ちている。
 愁斗は気高く命じる。
「行け!」
 空間の裂け目から飛び出した〈闇〉は荒ぶる風のように吹き、幾重にも伸ばされた包帯を侵食させながら不気味な仮面に絶叫を浴びせた。
 〈闇〉がタケルを呑まんと大きく魔の手を広げる。
 不気味な仮面の雄たけびが空間そのものを震わせ、大きく裂けた口を〈闇〉に負けじと広げた。その口の中に続く暗い深淵。無限に続く闇がそこにはあった。
 〈闇〉が、〈闇〉が不気味な仮面の口内へ吸い込まれていく。
 愁斗が愕然として、両手を地面についた。仮面の口から零れ落ちた血が地面で四散した。
 〈闇〉を呑み込んだタケルは躰を膨れ上がらせていた。
 それはまるで腫瘍が増殖していくように、ぶよぶよとした肉塊が次々と膨れ上がっていく。
 呉葉はタケルが〈闇〉を呑み込んでいた隙に、すぐそこまで迫っていた。
「クタバレ怪物!」
 渾身の力を込めて呉葉は不気味な仮面に裁ち鋏を突き刺した。
 ――はずだった。
 そこにあったはずの不気味な仮面は早苗の顔に変わっており、その瞳から血の涙を流していた。
 ――イタイ……イタイ……。
 呉葉の脳に流れ込む早苗の苦しむ意識。
 わかっていても呉葉は両耳を強く塞いだ。
 裁ち鋏から手を離してしまった呉葉の躰を掴もうとする長い包帯。
「クハハハッ、残念だったな今のはクソ婆だ!」
 伸ばされた包帯は呉葉の残像を掴んだ。
 バク転をしながら後ろに逃げた呉葉は、タケルの躰から伸びていた首のひとつから、早苗の顔が消えたことに気がついた。
 不気味な仮面は早苗の魂を身代わりとして破壊されることを免れたのだ。
 壁際まで逃げた呉葉は壁に背中を付けてもたれ掛かった。
 呉葉は限界をとうに超えていた。間接に走る激痛、鉛のように重い躰、意識だけがはっきりしているのが救いだった。
 愁斗もまた同じ。臓器の損傷が激しく、躰の内から死が滲み出していた。
 倒れる寸前の二人とは対照的にタケルは力に満ち溢れ、その躰をさらに変化させていた。
 包帯はいつしか赤黒い触手へと変わり、それが肉塊となったタケルの躰から毬藻のように生えている。触手の塊となった躰から長く伸びた首が二本。残る顔は不気味な仮面と、苦しみを浮かべる雅の顔。
 不気味な仮面は触手の奥深くで嗤っている。
「オレは無敵だ、今なら世界征服もできそうな気分だぜ」
「アタシひとりモノにできない野郎がよく言うよ!」
 呉葉が叫んだ。
「あんたなんて核弾頭で一発よ、キャハハハハ!」
 笑いながら呉葉はついに地面に座り込んだ。もう一歩も動けなかった。
 愁斗も地面にうつ伏せになったまま動かない。
 死はすぐそこまで忍び寄っていた。
 触手を蠢かせながらタケルがわさわさと近づいてくる。
 呉葉は逃げることもできなかった。ただ、胸の奥で悔しさを噛み締めた。
 赤黒い触手の先端が?紅葉?の胸に触れた。
 妹の躰を弄ぼうとする触手を呉葉が握り締めた。そこまでが限界だった。触手を掴んだはずが、逆に手首は触手に巻きつかれてしまった。
 先端から粘液を滴らせる触手が鍛えられた太腿を撫でた。
 グチャリグチャリと音を立てる触手に首筋を舐められても呉葉は動けなかった。
 突き出た豊満な乳房を巻き縛られ、その先端を触手が突付くように弄くる。
 恥辱が〈般若面〉を恥辱色に染める。
 妹を守るために黄泉返ったというのに、復讐に血を捧げたというのに……。
 いつか昔にも、こんなことがあったような気がする。
 激しい雨が降りしきる日だった。
 そのときも同じことを考えた。
 こんなところで妹の貞操を奪われるわけにはいかなかった。妹の心にこれ以上の傷を負わせるわけにはいかなかった。
 あのときも同じことを考えた。
 神ではなく、悪魔の顕現を祈った。
 その悪魔も今は地面に横たわり死の淵を彷徨っている。