篠原 求婚1.5
らしい。買い物に付き合わされても文句ひとつ言わずにいる。ここのところ、週末ごとに
、デートしている。
仕事が立て込んでいて、少し遅くなった。家は静まり返っていて、物音ひとつしない。
自分の寝室のベッドはもぬけの殻で、彼は自分のベッドで眠っていた。部屋を開けなくて
も、その空気は感じられる。
妹が大事だと、彼は言う。血のつながりがない世界へ連れてこられた妹に、せめて家族
らしいものがあれば、と、彼は考えたからだ。大切ではあっても、妹と彼には決定的な時
間の違いが流れていた。地球の人間と、ほぼ同等の時間の流れを持っている妹は、彼と少
し暮らすことはできても、長い時間を共にすることはできない。だから、妹という戸籍を
与えて、一番身近な人間にした。
もし、時間の流れが同じものだったら、彼は、どうしたのだろう。そう思った瞬間に、
意識が勝手に働いた。
・・・流れを変えてしまえ・・・
この世界で生存できる時間を終えればいい、と、意識は勝手に暴走する。彼の肺から一
気に空気を抜き去った。そのまま、数分で終わる。
バタンと、大きな音が、となりの部屋から聞こえて、はっと意識が正常に戻る。慌てて
、となりの部屋に走ると、彼は、荒い息で胸を掻き毟っていた。
・・・殺してしまう・・・このままでは、本当に嫉妬で彼を殺してしまう・・・・
なんとも疎ましい。自分が持つ能力というものが、こういう時は疎ましい。触れなくて
も、ただ思うだけで殺せる能力があることが、恐ろしい。
・・・少し距離を置こう。そうでなければ、本当に殺してしまうだろう・・・・
ほんの数瞬のことだ。冷静になるまで、会わないほうがいい。
激しく咳き込む彼を介抱して、それを決めた。
「・・・ごめん・・ちょっと・・息が詰まっただけ・・」
「お水は? 」
「・・・いい・・・ごめん、寝て・・大丈夫・・・」
窒息寸前で、大丈夫も何もない。だが、心配させないように、無理に笑う彼の顔が切な
かった。殺そうとしたのは、私で、あなたは被害者で、でも、それを感知することはでき
なくて・・・この執着を知られるのが怖い・・・長いこと生きてきて、こんなに怖いと思
うのは初めてだ。こんな感情を教えたあなたが憎くて愛しい。
週末ごとに、自分の家に戻っていたが、数週間、雪乃と会うことがない。勤務先からの
業務連絡も、素っ気無いほどだ。
「何かあったの? 」
「ううん、仕事が忙しいだけよ。ごめんなさいね。・・・しばらくは、こんな調子だから
、無理に帰らなくても・・ああ、愛ちゃんが帰るなら、それでいいの。」
なんとなく、彼女が避けているのはわかる。理由がわからない。会わないから寂しいと
いうよりは、精神的に不安定に陥る。ぼんやりとした思考で、ミスばかり連発して、とう
とう熱を出した。
飽きたから、「いらない」と思われているのかもしれない。それはそれで構わない。ス
クラップ寸前のポンコツな身体は、彼女がいなければ、すぐに壊れてしまうだろう。ただ
、少しだけ時間が欲しい。その時間だけ、彼女の存在が必要だった。
「小林さんは忙しくて、お見舞いにも来れないみたいね。」
ぐったりしている僕の枕元で、母はため息をついた。
「・・・ずっと会ってないんだ・・・」
「え? 」
「・・・二ヶ月くらい・・・避けられてる・・・」
「どういうこと? 向こうの家で一緒だったんじゃないの? 」
「・・・違うよ・・・」
体調を崩した原因が、母にはわかったらしい。母は、少し苦笑して、「これで意味がわ
かったでしょう? 」 と、僕の顔を覗き込んだ。
「・・ん?・・」
「あなたたちはね、ふたり一緒で居ないと、こうなるのよ。収まるべき場所に収まってい
ないと、義行は、すぐに体調を崩すでしょ? お母さんたちが心配するのは、こういうこ
とよ? わかったでしょ? もし、小林さんを離したくないから、婚姻で縛ればいいの。
そうすれば、彼女は、あなたから逃げられなくなるからね。」
「・・・それ・・・卑怯じゃない?・・・」
この星で生きて、片付けたい用件がある。その間、彼女を縛ることができるなら、それ
は願ったり適ったりではある。別に、僕は、違う星に暮らしたいとは願っていないのだか
ら。
「うふふふ・・・お母さんは、あなたが幸せであれば、卑怯であろうと、小林さんにとっ
て理不尽なことであろうと関係ないわ。」
母は、はっきりと、そう言い切って笑った。息子として、僕が幸せであればいいという
のは、親としての感情なのだろう。そんなふうに肯定されるのは、初めてで、とても嬉し
かった。
「・・・母親って、すごいな・・・」
「あら、義行。お父さんも同意見よ? 」
「・・・両親って・・言い直す・・・」
「そりゃそうよ。私たちは、あなたが可愛いのだもの。他人がどうなろうと、あなたが幸
せだと感じていれば、私たちも幸せなのよ。」
少し時間が欲しい。その間だけ、傍に居て欲しい。たったそれだけのことを告げたこと
がなかった。この星でだけ生きているなら、この星の法律に従って、彼女を傍に置きたい
、と、思った。
さて、どうしたら、いいのだろう。考えても、結論に達しないことは、非常に難しい。
法律的な手順はわかるのだ。だが、それには、認証が必要で、それがないと、先には進め
られない。
あまり、両親に尋ねられそうな事柄とは思えないし、率直に告げるにしても、まず、書
類を準備してからのほうがよいのか、他の何かが必要なのか、そのあたりが、皆目見当が
つかない。
「篠さん、そろそろ時間ですが? どうします? 」
ぼんやりと、端末のディスプレイを眺めていたら、細野が声をかけてきた。
「うん、行ってくるよ。」
「本当に、一人でいいんですか? 」
いつもなら、細野が護衛も兼ねてついてくるのだが、行き先がアカデミーで、用件が学
会の発表を聴講するという、いたって、個人的なことだったので、付き添いを断ったのだ
。
「細野が聞きたいというなら、別だけど? 」
「あ、いえ、まだ、そのレベルには達していません。」
「なら、一人でいいよ。ジョンのほうの仕事を手伝ってくれるかな? 」
「はい、わかりました。でも、家に帰られたら、連絡ください。七時を回っても、連絡が
ない場合は探しますから。」
ちょっとした事件のせいで、細野は神経質になっている。だから、帰宅予定時間に帰り
着かないと、携帯端末を使って、居場所を探してくるのだ。
アカデミーでの学会は、大変盛況なものだった。私服で出向いたら、受付で止められて
、親友が身元保証人として呼び出された。
「こういう時は、制服で来い。」
そういう当人も、ぴっしりとしたスーツ姿だというのに、小言を食らった。
「でも、仕事でもないのにさ。」
「バカ、おまえ、見た目がユニバーシティーの学生にしか見えないんだぞ。受付で止めら
れるに決まっている。だいたい、スーツってさ。似合わないっていうんだよ。」
「礼儀だろ? 」
わざわざ、この親友の父親が部外者の自分を呼んでくれたのだ。それなりの格好で来る