篠原 求婚1.5
のが礼儀だ。
「・・・・若旦那、それなら制服のほうが箔がつくよ。まあ、いいや。とりあえず、聞き
に行こう。」
「麟さん、後で教えて欲しいことがあるんだ。」
「ん? 俺が? おまえに? 」
「うん、詳しそうだから。」
ふーん、と、不思議にそうに親友が、頷いてから、発表の行われるホールへと促した。
しかし、そこから少し手前で行き先を変えた。
「あ? こっち。」
「いい。あれは聞かなくても。親父が、おまえを呼び出すエサにしただけだ。俺が三分で
説明してやるから、相談事を聞かせろ。」
それから、エレベーターに乗せられて屋上へ連れて行かれた。貰っていた資料を、親友
は開けさせて、迅速かつ適切な説明を、本当に三分でしてくれた。
「・・・・つまり、この法則は立証さえできれば、可能だという結論。ただし、諸条件が
限定されすぎていて、現在は立証したとは言いかねるというとこだ。」
「ああ、なるほどね。確かに、実験が難しい分野だ。研究船の設備の問題もある。」
「はい、説明終わり。数値は少ないから、アテにはならない。以上。」
本当に、あっさりと結論されて、呆気なかった。まあ、互いに互い知識力を把握してい
るから、そこの部分は端折られているのだ。
「ありがとう。でも、よかったのかな? 江河教授に挨拶もしていないよ。」
「いいさ。俺が呼び出し食らった時に、となりで笑ってたから。・・・さて、大事な相談
事のほうに話題を転換しようか? 若旦那。」
一体、自分に相談なんて、何事だ? と、麟のほうは驚いていた。基本的に、篠原は、
相談事となると橘にする。一番、一般的な道徳観とか常識を備えているのが橘だからだ。
特殊な環境で育っている自分と、欧州生まれ北米育ちのジョンは、極東の一般的な観念
みたいなものが薄い。それなのに、敢えて、自分を指名するというのだから、いつもとは
違う相談事なのだろう。
「あのね、結婚を申し込む時って、書類も手渡したほうがいいの? 」
「・・・・」
屋上で風に吹かれつつ、いきなり尋ねられたことに、絶句した。
・・・なんだ? それは? 若旦那・・・
「えーっと・・・・その、ちょっと事情があって・・・法律上の繋がりが欲しい・・・と
、思って。傍にいてほしいんだけど・・・その・・」
「はい? 」
「僕、どうも、そういうことには詳しくないから、詳しそうな麟さんに尋ねたほうがいい
かな? って。」
「あーうーんーーーん?・・・それ、誰のことだ? 」
婚姻だとか言い出した事実も、さることながら、今更、「傍にいて欲しい」相手ができ
たのだと勘違いした。確かに若旦那には一対になっている相手が居る。だが、その相手に
、今更、婚姻届だとか「傍にいてほしい。」 なんて言葉は吐かないだろう。
「誰って・・雪乃しかいないよ。」
「はあ? おまえ、それって・・・それってことは・・・」
当人は、困ったように笑って、その一対の相手を挙げた。さすがに、脱力して、膝から
下の力が抜けた。
まさか、まだ、それすらも言っていないなんて思わなかったのだ。
・・・・雪乃・・・その忍耐力は表彰ものだ・・・・よくもまあ、我慢しているな・・・
・
若旦那の相手を思い浮かべて、思わず労ってやりたくなった。あれほど、大切にされて
いるというのに、一言も、この若旦那は応えていないらしい。
「今までは、当たり前だったから・・・でも、雪乃が離れていくつもりみたいだから・・
・それで。」
「おまえ、最低っっ。」
思わず怒鳴った。いくら付き合いが長くても、言葉にしなければ伝わらないものは、た
くさんある。ずっと、傍にいた雪乃は、それを求めなかった。自分からは、伝えていたは
ずだから、完全に一方通行だったのだろう。それを思うと。この浮世離れしすぎている若
旦那に腹が立った。
「おまえ、雪乃が離れていきそうになったから、縛るのかっっ。そうなる前に、言うべき
ことがあっただろうがっっ。」
「・・・以前は離れていってもよかったんだ・・・でも、今は事情が変わった。最低、五
年は時間が必要なんだ。だから、その間だけ・・・」
「それ、VFのことか? 」
「・・うん・・・」
「そのためだけに、雪乃を束縛するっていうのか? 」
「・・うん・・・酷いことだと思うけど・・・僕ひとりでは、不安定すぎてさ。別に、そ
れさえ、事が落ち着いたら、離れてくれてもいいんだ。ただ、五年だけ離れていかないっ
ていう保証が欲しい。」
自分たちが正しいのに、上層部から勝手につけられてしまったペナルティは、覆すこと
は難しい。せめて、VFの事件に関わった関係者たちを、元の状態に戻したい、というの
が、篠原の願いである。ひとりで、どうにかできる問題ではない。協力者とともに、復権
させるように段取りしていくという気の長い作業だ。
「五年で、どうにかするのか? 」
「とりあえず、筋道だけはつけられると思う。麟さんが手を貸してくれるなら、かなり進
められる。」
もちろん、麟も、そのことに奔走するつもりだ。研究者である自分が、あちらに籍を残
しているのも、そのためだ。
だが、五年だけ、なんて区切ったら、雪乃は顔色を変えそうな気がする。永久に、なん
て、恥ずかしいことは言わなくてもいいが、とりあえず、若旦那がくたばるまで付き合っ
てもらえるほうがいいだろう。
「あのな、若旦那。・・・それなら、婚姻届とかは後でいいから、約束の証になるものを
渡して、『傍にいてほしい』って、頭を下げろ。」
「証? 」
「こういう時は、花束だけどな。・・・まあ、いいや、おまえの場合は、一足飛びにリン
グでもいいだろう。」
・・・・何せ、相手の気持ちは決まっているのだから・・・・
若旦那は、「リング? 」 と、首を傾げている。日常生活的な知識が、著しく低いの
で、たぶん、結婚指輪だの婚約指輪だの、というものが理解できていないはずだ。
・・・・なんで、こいつが、俺とタメを張るくらいに優秀なのか、未だにわからない・・
・頭痛がするぞ、俺は・・・・
「わかった。証については、買い物に付き合ってやるから。」
「ああ、ありがとう、麟さん。」
ふと、思いついた疑問を口にした。
「あのさ、なぜ、この相談を俺にする? 」
「麟さんが一番、女の子と付き合いがあるからだよ。」
「あーそう。」
きっと、若旦那は、俺の嘆きなんてわかんないんだろうな、と、麟は、こめかみに手を
やった。そういうことと、求婚は、まったく違う問題であるということに気付いていない
のだ。女性心理とか、口説きのテクニックというのなら、麟は、喜んで教えられる。だが
、結婚なんてものは、違う領域だ。
「気が変わらないうちに行くか? 」
「でも、打ち上げがあるんだろ? 」
「まだ、打ち上げまでは時間があるし、俺の仕事は終わってるよ。・・・・なあ、頼むか
ら、『五年だけ傍にいて』って申し込むなよっっ。『できる限り傍にいて』だぞっっ。」
念を押すように、麟は何度も、そう言った。いっそ、式次第かシナリオでも作ろうか、
と、思うほどだ。
「うん、わかった。」