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篠原 求婚1

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 今でも、その意味はわからない。雪乃と兄は、ただ穏やかに存在している。どこに、そ
れほどの覚悟が必要だというのだろう。




 彼の妹からの連絡に、仕事を早々に切り上げた。本来は、秘書が先に仕事をあがるなん
てことは、無理な話だが、私には関係がない。
「藤堂、スケジュール通りなら、今夜は七時には自宅に着けるはずよ。」
「スケジュールというものは、突如、変わるものなんだがね? 」
「なら、臨機応変にお願いするわ。」
「篠原の具合は、そんなに悪いのか? 」
「・・さあ・・・でも、愛ちゃんから、『戻れ』と言われるなら戻るわよ。別に、今日は
顔合わせ程度の会議ばかりなんだから問題はないでしょう? 」
 自分の上司は古い友人で、多少の無理は可能だ。それに、こちらの素性だって承知の上
で付き合っている。ただの秘書よりは、かなり参謀役もこなしているから、プラマイゼロ
にはなるだろう。
「明日は休む。」
「当たり前よ。連絡もしないでね。」
 書類を片付けて、ふと目を合わせたら、ニヤニヤと笑っていた上司を睨み付けた。
「独占欲丸出しのきみの顔は、三十年前のきみの顔とは違いすぎて笑えてくる。」
「あら、誰と勘違いしているの? 藤堂。私は、まだ二十代、あなたは六十一歩手前でし
てよ。」
 馬鹿馬鹿しい話に付き合っているつもりはなくて、さっさと部屋を出た。確かに、あの
頃は、こんな感情を向ける相手はいなかった。
 ずっと見守り続けているだけの退屈な約束事は、いつのまにか、誰にも触れられたくな
くて隠してしまいたいと思うほどの存在へ変わってしまった。そして、それを失う怖さと
、それが願うことを叶えるために自分を抑えることを教えてくれた。



 まだ夕焼けがある頃に、家に戻った。玄関は閉じられていた。たぶん、具合が悪いなら
、どこかで眠っているだろう、と、静かに鍵を開いた。
 彼のお気に入りの場所は、奥の和室だ。彼の妹も、それを知っているから、そこへ布団
を敷いただろう。
 障子は開け放されていて、夕焼けが部屋にまで侵入していた。そこに彼は眠っていた。
飲ませた薬と分量と、頭痛が酷いというメモが置かれている。薬で眠っているから、まる
で死んだように動かない。
 ほっそりとした首筋が目に入り、ふと、あれに力を篭めてしまいたいと思う。

・・・・死んでしまえば、もう、誰にも触れさせなくていい・・・・

 傍に座り込んで、両手で首筋を撫でた。縊り殺してはいけない。ただの仮死にすればい
い。首筋の動脈を確認して軽く力を入れた。
 脳への血流を止める。そうすれば、すぐに冷たくなる。薬で眠っている彼には抵抗する
術はない。息が止まる瞬間の快感が身に溢れてくる。
 だが、うっすらと開いた瞳に、力が抜ける。
「・・・・もうすこ・・し・・・」
 緩々と持ち上がる左手が、私の手に重なる。
「・・・ごめん・・・もうすこ・しだけ・・・」
 瞳から一筋の涙が流れて、瞬きをする。大切で失くしたくなくて、誰にも触れさせたく
ないのに、その瞳が願うことに逆らえない。
「ごめんなさい。気分はどう? 」
 取り繕うように、作り笑いを浮かべたら、もう一度、「ごめん」と、謝る声が聞こえた

「・・・おかえり・・・よく眠れたみたい。早かったね。」
 何事もなかったかのように、彼も微笑む。
「藤堂に押し付けてきたの。何か食べられる? 」
「・・・ああ・・・用意はしてあるよ。愛ちゃんが手伝ってくれてね。でも、食器を割ら
れちゃったんだ。」
「あら、怪我は? 」
「ないよ。着替えてくれば? 」
「そうね。」
 日常の会話を続けて、沈黙した。すっと見詰められて、目を背けそうになる。
「・・・ごめん・・・もう少しだけ付き合って。まだ、何もできてなくて、このまま死ぬ
わけにはいかないんだ・・・もう少しだけ・・・」
 彼が気に病むことは、まだ、少しも進展していない。それが落ち着いたら、彼は笑って
、「好きにして」 と、その身を差し出すだろう。
「ちょっと疲れてただけ・・・」
「・・うん・・・」
「起きられる? 」
「・・・うん・・」
 ゆっくりと起き上がった細い身体を抱きしめた。どうして、こんなに離れられないのだ
ろう。大切で失いたくないのに、力を篭められなかった自分に落胆もしている。




 腕枕されているのではなくても、同じ布団にいれば相手の体温は感じられる。温かくて
安心できる、その温度が好きだった。
 頭痛は、発熱に変わって、少し身体は怠かった。週末ごとに、この部屋で一緒に眠って
いる。彼女が、僕の生母に依頼された事項は、さほど時間がかからないもののはずだった
。彼女が、どれほど長命な種族なのかは知らないが、それでも、あっという間のことだろ
う。たまに、彼女はイライラして、僕の首に手をかける。今までは、黙って眠ったふりを
していた。そのままでもよかったからだ。
 でも、この二年で状況は一転して、五年ばかりの時間が必要になった。だから、少しだ
け我が儘をしている。
「眠れないの? 」
 ぼんやりと考え込んでいたら、彼女が向きを変えて、僕の身体を抱き寄せた。
「・・・雪乃、僕の母親と交わした約束の報酬って貰ったの? 」
 僕が試験管の羊水で微睡んでいた頃からの付き合いだから、二十数年、生母の頼み事に
付き合っている計算だ。護って欲しい、と、生母は頼んだ。なるべくなら笑っていられる
時間が多いように、その時間を守ってくれ、と、言ったそうだ。
「報酬というものはなかったわね。」
「何か僕で用意できるものがあるなら・・・言って。」
 この星の資産を用意しても、彼女には意味がない。用件が終わったら、彼女は、ここか
ら離れてしまうだろう。
「忘れてるの? 報酬は、あなた。ここで生きられなくなったら、その残りは、私の自由
にしていい、と、約束したはずよ。」
「こんなもの、何かの役に立つの? 」
 自分の身体なんて、誰かに明け渡してやれるほど立派なものではない。これだけ薬漬け
にされてしまったら、健康だった臓器だって、どこかで支障を来しているだろう。脳だっ
て、脳幹部分に障害があるのだから取り出しても使えないはずだった。二十歳まで生きて
いれば良いとされていた身体は、そこまでの保証しかされていない。そこから先は、朽ち
果てていくだけのはずだから、五年も引き延ばせば、ぼろぼろになってしまうだろう。ぼ
ろぼろで使い物にならなくなった僕の器を前にして、途方に暮れる彼女の姿を想像したら
笑えた。
「『骨折り損の草臥れ儲け』って言葉を知ってる? 雪乃。」
「失礼ね、知ってるわ。」
「僕、たぶん、スクラップ寸前のポンコツなんだけど? それも理解している? 」
「器なんて、オーバーホールすれば新品に生まれ変わるんです。要は中身の問題。」
「中身? 僕だよ? もう、今更だろ? 」
 彼女は、生まれたての僕を知っていて、それからずっと傍にいる。中身のことは、他の
誰よりも詳しい。神経が細い、すぐに弱音を吐く僕の中身が欲しいなんて、相当に物好き
だろう。
「今更だけど・・・・なんていうのかしら・・・ずっと傍にあったので、ないと寂しくな
りそうなの。」
作品名:篠原 求婚1 作家名:篠義