りんみや 風花
まずは、こちらを・・・と、鏡を覗かされて、びっくりした。そこにいるのは、小さな自分の息子だったからだ。そして、それがぼやけて、白銀の鱗を纏った、おそらく龍と呼ばれる架空上の生き物の姿となる。
「あなたのご子息は、姿を隠してから、こちらで健やかに生活しておりました。人間から龍に成り、私どもの妹の許婚として、こちらに迎えられ・・・」
「え? いや、あいつは・・・」
「もちろん、人間としての身体は、すでにありません。先ほど、ご覧頂いた龍が、ご子息の本来の姿です。おそらく、白竜として、最も美しい白銀の鱗を持つ龍にして、名前は、深雪と申します。・・・人間だった頃に、わが妹が、ご子息を見初めて、人間の生を費えたら、龍に成ることを約しました。ですから、最後に姿を隠したのです。・・・まさか、こんなことを申し上げる日がこようとは、私も夢にも思いませんでした。」
息子は、病気で夭折した。ただ、最後に姿を隠したが、それでも、もう、どこかで生き延びていられる確率はなかった。だから、諦めていた。
「・・だが・・・」
「もちろん、我々との約定は、口外していない。ですが、あなた様の、ご子息です。白竜という風を操り空を駆ける龍となられたのは事実です。ずっと、ご子息は、あなたにだけは、それを伝えたいと願っていた。だから、あなた様が、こちらにいらっしゃる折に、必ず、そこで会うと申していたのです。」
きっぱりと、その偉丈夫が言うと、鏡の中の姿は、また子供に戻った。逝った時よりも、幼い姿になっていた。生まれ変わるというのとは、違うが、龍の年齢に鑑みると、その程度の年齢であると教えてくれた。逢うのだと、言い切っていた息子は、なぜだか、自分の死期が近づくと、昏睡して目を覚まさなくなってしまったのだという。理由もわからないし、病気でもない。だから、その保護者に尋ねたいと、迎えたのだと、そう言われた。
・・・・天井の花園で・・・待っていてくれ。いつか、必ず、逢いに行くから・・・だから、寂しくなんかない。待っていれば、必ず逢える・・・・
そう、自分は約束した。そんなものはないのだと、わかっていて、それでも、息子が寂しいと泣くのを宥めるために、そう言った。天国なんてものは、生きている人間の幻想だと、そう思っていた。
「・・・いつか・・・待ってる・・・それまで、さようなら・・・・」
最後に、そう言った息子は、笑っていた。ああ、だから、笑っていたのだ。また逢えると、あいつは知っていたのだ。
あの時、吹きすさんだ雪は、きっと、そのことを教えていた。無理矢理に、女房に拉致されて入院して、そこでも、また、晴天の空に雪は舞っていた。病室から、見えないながらも、それを妻の瞳から見ていた。自分では見えなくても、妻の瞳が見たことは、心で見ることができたからだ。
風を操る深い雪という名の龍は、たぶん、そうやって、自分の存在を感じさせようとしたのかもしれない。
「えーっと、話はわかりました。すいませんが、少し調べて貰えませんか? うちの屋敷の現在の天候を細かく教えてください。」
「なぜです? 」
「たぶん、あのバカは、心だけ、そこへ飛ばして、俺の死んでいく姿を眺めているのだと思います。だから、眠っているんでしょう。・・・ですから、俺は、そこへ戻って、そこで言葉を告げれば、目は覚めるはずです。それが、正解であるなら、現在の天候は、晴天で雪だけが舞っているはずだ。」
慌てたように、偉丈夫な男は部屋を出て行った。現実感のある夢かもしれない。だが、最後に、息子のためになるのなら、そうしてやろうと思った。天上の花園ではなかったが、息子は律儀に待っていたらしい。自己満足のなせる業だとしても、これほど、おかしなこともないな、と、本気で笑った。短すぎた人生だと、そう嘆いたことが、覆される。そう考えると、とても気分が高揚とした。
結果は、正解だった。やはり、屋敷の天候は晴天。時折、雪が舞っている状態だと言う。たぶん、じっと、空から自分を見ているのだ。黙って泣きながら、待っている。
「なら、そういうことです。戻してください。」
「いえ、もうひとつ、お願いがあります。」
「なんですか? そろそろくたばるまで時間はないはずだ。老衰らしいからね、俺は。」
「お願いは、あなたも、龍に成っていただきたいということです。それでしたら、こちらで、再び、ご子息と、ゆっくりと暮らすことができます。早くに、ご子息を手放されたあなたには、願ったり叶ったりのことでしょう。」
もちろん、願ったり叶ったりだろうが、それはダメだ。息子は、ちゃんと自分との縁を終えて、次の場所へと移り住んだ。今更、また、元の保護者なんて必要はない。今度は、ちゃんと龍として生きていけばいい。
「それはできません。」
「しかし、ご子息は・・・まだ、幼少で、誰かの腕が必要です。あなたなら、私たちも安心してお任せできる。」
「いや、俺は結構です。また、いつか、違う形で出会うことになるでしょう。だから、その時に、今度はじっくりと育てることにします。どうか、あなたたちが、大切に育ててやってください。人間としてではなく、龍として、大人にしてやってください。お願いします。」
人間として、自分は息子を育てた。龍として育てるなんていうのは、無理だ。それに、そんな過去に引き摺られてはいけない気がした。新しい人生を生きて、また、再び、会えることがあるのだと、今、わかった。それなら、慌てなくていい。
「しかし。」
「それに、そんなことをしたら女房に、蓮の上で責め殺されます。『なぜ、あなただけだ。』と、罵るでしょう。一応、愛妻家なんで、それは避けたいのですよ。どうか、それは、ご勘弁ください。あなたも、そのほうが良いはずだ。過去を引き摺っていては、龍として不完全に成長するでしょう? 」
それこそ、生きている人間の幻想だ。だが、そんな罪の意識だけは、頭に残る。女房が身罷った時は、曇天だった。つまり、待っていなかったのだ。平等に慈しんだつもりだった。だから、自分だけが傍に残ることはできない。自分を絶望から呼び戻して生き永らえさせた妻は、一足先に、眠りについた。だから、自分も眠りたいと思う。泣き喚いて、とにかく、「生きて」 と、言い続けた妻は、自分を待っているだろうから。騙されて、天国で待っているだろう。
ふと、目を開けると、窓の外は、はらはらと雪が舞っていた。しかし、空は真っ青だ。もう動くのも難しい老いた身体は、手を挙げることもできずにいる。
「・・・・待っててくれて・・・ありがとう・・・幸せになれ・・・おまえは・・・幸せになる・・・いつか・・・また・・逢おう・・・・おまえが来る・・・その時を・・・待っている・・・」
ゆっくりと、それを吐き出した。すると、雪はぴたりと止まった。届いたと、按じて、ゆっくりと目を閉じる。また、いつか、きっと遠い時の向こうで、今度は、どんな形かは、わからないが、会うことができるだろう。それまで、しばしの休息を。
いつか、また、三人で親子をやろう。それまで、夫婦で待っている。そんなことを考えて、安らかに眠りにつけることを感謝した。