夢と現の境にて
「なんでそれが落ちてくるって、分かった」
冷静に思ったことを口にすれば、それを聞いた相手は暫く呆然とした後、しまった、とでも言いたそうな表情を見せ、慌てて立ち上がろうとする。それを逃がすまいと相手の手首を掴むと、そのあまりの細さに思わず一瞬強く掴んだ力を弱めてしまった。にも関わらず、相手は力が出ないのか「くそっ…」と小さく悪態をついてその場に座り込んだ。その様子からやはり体調が優れないのだと窺えた。
俺は暫く考えたあと手首を掴んだまま立ち上がり、弱ったその男子の腕を持ち上げ自分の首に回し、引きずるようにして歩き出した。「な、何…ッ」と慌てる相手に「保健室」と一言言うと、諦めたのか抵抗するのをやめぐったりと体を預けてきた。
保健室は空いていた。勝手に扉を開ければスーっと涼しい風が吹き抜けてきて、ほんとにここは天国だよな、としみじみ思った。しかし肝心の先生の姿はどこにも見えない。しょうがない、と抱えた男子を空いたベットへと運ぶと逃げられないようカーテンを仕切りベットの端へと座り込んだ。
男子の方はというとハーッと溜息のような息をついて、天井を仰ぎ見ていた。随分疲れているようだ。
「…おい、さっきの答え」
言えよ、と促すと明らかに嫌そうな顔を見せこちらに背を向けてしまった。そう簡単に言うつもりはないらしい。しかし、こちらもあんな出来事にあって、そう易々と引き下がるつもりはない。向けられた相手の肩を掴みベットへと押し付ければ、自分が上から見下ろすような形へと持ち込む。これで顔はどこに向けても見える。
驚いた様に見上げる男子にもう一度「言え」と低い声で言うと、相手はまた顔を顰めた。余程隠したいことなのだろうか、だったら嘘の一つでも言えばいいものの、相手は決して口にはしない。
暫くずっと、そうして睨みあっていると、相手の唇が微かに動き始めた。掠れた小さな声で喋り出す。
「…誰にも、言うなよ」
「ああ」
俺の肩を押してベットへと座り直すとまた溜息をついて、彼は重たい唇を動かし始めた。
「…正夢って信じてる?」
「正夢?…夢で見たのが現実になるっていう、あれか」
思った事を言えば彼はそれに頷いた。
「俺は、人が死ぬ場面を沢山見るんだ。もう殆ど確実といっていいほどに、俺が見た夢の中の人間は見てから数日か、もしくはすぐ、死ぬんだ。」
淡々とした口調に嘘をいっているようには感じられない。唯一点を見つめて、吐き出すように言葉にしているように思えた。
「じゃあ…さっき俺を突き飛ばしたのも」
「…偶々あそこでダウンして見た。お前が死ぬところを」
自分が死ぬところ。
でも高が花瓶で自分が死ぬだなんて。少し笑いが込み上げてしまった。これまでにないほどにマヌケな死に方ではないだろうか。
「…花瓶で、ね。ほんとに俺死んだわけ、花瓶なんかで」
それは聞く側からとしたら小馬鹿にした言い方だっただろう。だがしかし信じ難かったのだ。本当に偶々あそこを通って、花瓶が頭に直撃して、ポックリ逝ってしまうものだろうかと。そんなのすごい偶然ではないか。
でも、それを聞いた彼は、先ほどまでの弱弱しい表情は消え、険しく怒る顔で俺を睨みつけた。横目で彼がベットのシーツを力強く握るのが見えた。
「…花瓶ごときでとか思ってんなよ…、打ち所が悪ければ人間なんて簡単に死んじまうんだ。自分が思ってるよりも死は隣り合わせなんだ…、お前なんか、簡単に死ぬんだよっ!!」
死ねといわれるよりも衝撃的とも言われる台詞に言葉を失った。
彼がこんなにまでも必死に言えるのは、やはり自分が死んだ姿を目の当たりにしたからなのだろうか。それとも、それだけではないということなのだろうか。
彼はもう何十人もという人の死を見てきた、そう言いたいのだろうか
だからこんなに怒っている。こんなに死に一生懸命に立ち向かっている。当の自分が今一番危うそうに見えるというのに、人の死を重んじている。それはきっと、そんな夢を見ても助けられない人がいるからで。
彼が言う言葉が真実ならば、俺はとんでもない軽率な言葉を吐いたのだ
分かっていないんだろうな。
睨み続ける相手を見つめながら思う。
今自分がどんなにひ弱そうな姿なのかを。今にも倒れそうな身体なのかを。
だがそれと同時に、とても勇ましく強く、自分という一人の人間に対して立ち向かっているのかを。簡単に見てしまえば自分の心配をしろ、と人はこいつの話を流し、笑ってそういうのだろう。だけど、真正面から当たる目の前の少年は、そんな事考えていられない、お前は命の重みを知れ、といった、そんな勢いだった。
そう思うと、俺はあまりにも自然に笑顔が零れた。ここまで純粋に、素直に言葉を口にする奴は早々いないと思った。
「…悪かった」
呆然とする相手の頭をグシャグシャと掻き回した。晴れ晴れとした気持ちでウーンと伸びをして立ち上がる。
「お、おいっ」
横で呼び止める男の顔を見る。成る程、そういえばこいつクラス一緒だったな、と今更思う。バラすんじゃないぞと必死になる姿がまた笑顔を誘う。いいな、こいつに協力したい、と思うこれも本能なのだろうか、俺は思った。
だからここから、何か新しいことが始まる気がしたんだ。