べんち3
「まあ、なあ、俺だって、厳しいと思うぐらいのGだったもんな。しばらくは、ゆっくりしていたほうがいいぞ。」
「言われんでも、ゆっくりしか動けへん。」
「おまえの資格って、ペーパーなのか? 」
「いや、随分前に取ったからな。もう忘れてるんよ。一応、この船の操船はできるんやけどな。」
それでも、ああいう真似はできない、と、相方は笑った。確かに、専門ではないのだから、操船も基本操作ぐらいなことだろう。その無茶な操船がなければ、こいつは、もっと時間をかけて帰るつもりだったのだろう。もしかして、そんなつもりだったのなら、慌てなくてもいいのだと告げた。
「ゆっくりでもいいぞ。」
「ゆっくりやろう。後、三年もかかるんやからな。・・・後、六回、きみと飯を食ったら地球や。」
「六回か・・・また、日本酒でも合成して飲むか? 」
「ほなら、きみの誕生日には、ケーキを用意させてもらうわ。」
「やめてくれ。俺、甘いものは、それほど食べない。」
「和菓子のほうがよかったら、そういうのもできると思うけど? でっかいおはぎとかどう?」
「やめろ。」
「もうシャンパンはないしなあ。あれ、作れるかなあ。」
「原材料のないものは無理だ。」
「麦はあるから、ビールはできるで、それでええか? 」
「お菓子から離れてくれたら、それでいい。もう、ここに居なくていいから、ちょっと横になって来い。」
「ほな、そうさせてもらうわ。」
ゆっくりと立ち上がった相方は、無重力に近い、この場所をふわふわと飛んで出て行った。それから、また、半年に一度、顔を合わせる生活をした。
六回目に、火星の近くまで戻っていた。結局、三年という枠には収まりきらなくて、三年と少しで、眼下に真っ青な水の星を拝むことができた。また、地球の重力を使い、制動をかけた。さすがに大気圏に突入できるだけの燃料は残っていなくて、燃料を補給してもらうために、周回軌道を何度も廻っていた。
「どうや? 帰れたやろ? 」
ニコニコと笑って、相方は眼下の地球を眺めている。もっと苦労するものだと思っていたのに、意外なほど呆気なく辿り着いた。八年の時間が経過しているはずだが、感覚的には、二年かそこいらのことに思える。冷凍睡眠装置なるもののお陰で、時間を感じない部分が多かったからだ。
やはり地上では八年が経過していて、まるで、浦島太郎のようだった。技術的な進歩もあるので、それらを学習することや、やはり無重力に馴れてしまった身体を元通りにするために、身体を動かすことで、ドタバタと忙しく、あっという間に、三ヶ月が過ぎていた。あれから、相方には会っていない。もう会うこともないのだろうと思ったら、少し寂しかった。本来は、研究職の相方は、そちらの組織に戻っている。顔ぐらい出してもいいだろうと、その行方を尋ねてみることにした。
「え? ああ、まだ、復帰してないはずだ。」
「え? まだ? 」
上司に尋ねたら、そう返された。それから、さらに、上の上司のところへ呼び出されて、びっくりした。向こうは、まだ入院していると教えられたからだ。
「きみたちみたいに、普段から鍛えているわけじゃないからね。重力に負けて寝込んでいるらしい。」
「はあ。」
「向こうも、気にしていたみたいだから、見舞いにでも行けばどうだい? 」
「え? 」
「連絡が合ったよ。『運転手は元気か?』ってさ。・・・ったく、一流の航宙士を掴まえて、『運転手』なんてね。・・・口が悪いからなあ、あれは。」
上司は、クスクスと笑い、「苦労をかけただろう? 」 と、まるで、知り合いのように、相方について話す。
「お知り合いなんですか? 」
「知り合いというか、なんというか・・・知人ぐらいかな。今回の計画の前から、私は知り合いなんだ。無謀なことを考えついてくれたんで、心配してたんだけど、まあ、無事だったから・・・これから、あいつの顔を拝みに行くつもりだったんで、きみを呼び出した。一緒に行かないか? 」
「はい、喜んで。」
「バカだからね、あれは。ひとつのことにかかると、ひとつ忘れるんだよ。それで、無重力の筋肉トレーニングを忘れたらしい。」
「はあ? それって・・・じゃあ・・」
「大変だったんだよ。起き上がるどころじゃなくてね。」
上司は盛大に笑って、外出を促した。つまり、あいつは、まったく無重力のためのトレーニングをすっ飛ばしていたということだ。そりゃ、すごいことになっただろう。地球に下りてからは、まったく別行動だったから、まったく気付かなかった。そんなことだったら、さっさと見舞いに行って、バカにしてやればよかった、と、笑ってしまった。
別に病気というものではないので、と、上司は療養所のような場所なのだと教えてくれた。病室に向かうでもなく、その建物の前庭へと脚を進める。
「ほら、あそこにいる。」
ああ、と、俺も頷いた。真っ白なベンチに、相方は寝転んでいた。だが、いっ? と声が出てしまった。そこで、膝枕している綺麗な女性が居たからだ。
「よおう。連れてきたぞ。」
「ああ、おおきに。暇なんか? おまえは。」
「失礼なことを・・・せっかく、おまえの友だちを連れて来てやったのに。少しは楽になったみたいだな? 」
「まあなあ、ちょっとは起きて歩けるようになったわ。でも、重力って酷いな。」
「おまえがバカなんだよ。忘れるか? 普通。」
「もうええて。それ、聞き飽きた。・・・・さすが現役やなあ。しやっきりしてるわ。」
親しそうに上司と話して、俺に向かって手を挙げた。一緒に船にいた時より、明らかに痩せている細い腕を、ひらひらと振る。
「忘れたって、どういうことだよ。」
「いや、ちょっとな、思い浮かんだことがあって、それ、やってたから、トレーニングの時間がなくなってもたんよ。」
「なくなったって・・・三年もか? 」
「そう、三年。まあ、ええんや。こうやって、ベンチにタマと座ってるしな。しばらくは、のんびりする口実にもなるし。」
「タマぁ? おまえ、それは、いくらなんでも失礼だろっっ。」
「え? 」
「猫と一緒にするなんて。だいたい、こんな綺麗な人がいるなら、『孤独が好き』とか言うなよっっ。」
「はあ? 」
背後で上司が噴出している。相方は、なんのことやら? と、首を傾げている。助け舟のつもりで、上司が声をかけた。
「おまえが忘れた原因について、怒ってると思うぞ。」
「ああ、タマのことか? 」
「だから、タマはまずいだろうっっ。」
「なんでやのん。タマやからタマやって。・・・・あ・・・おまえ・・・ああ、そうか。」
ようやく気付いたらしく相方も笑い出した。そして、「おまえ、誤解受け取るみたいやから、鳴いてくれ。」 と、膝枕している女性の膝をぽんと叩いた。
「にゃうー」
女性は、表情を変えずに、そう鳴いた。
「え? 」
「だから、タマやって言うたやん。陽だまりにベンチで、やっぱり、タマが欲しいと思ってな。で、プログラムを組んだわけよ、俺は。」
「はあ? 」
「動物型のほうがよかったんやけどな、俺、そっちは専門外やったし、せやから、人型のタマ。」