闇の診殺医・霧崎ひかる
「―――はい、術式、終了。2〜3時間で包帯は取れるわ。」
「そ、そんなに早く?」
術後。手術台から起き上がった女は霧崎の声のする方向へ問い尋ねた。不安がる
彼女に、闇色の女医は手を握り優しく答えるのであった。
「親切、スピーディが売りなの、ここ」
そして時は経ち包帯は解かれ、恐る恐る目を開く。女が見たのは…
「うっ」
少し離れた暗がりから、ガマガエルのように歪んだ顔の女医が眼前に現れた。
「ふふ、とんでもない物を見たって顔ね」
近付くにつれ、顔の歪みが戻り、霧崎の端正な顔となった。
「ど、どういうこと?」
「眼球の屈折率とピントを調整しました。それから、脳の一部に繋がる神経も」
「神経って…それに今の、なんなの? あなた顔が」
「世の中にはいろんな奇病があって、人の顔を認識できない、という症状がある
の。疑似的にそれに近い状態が再現出来るようにしてみたわ。魚眼レンズを逆さ
まにしたように遠目に写る人 の顔だけが歪み、近付けばそれは普通に見える、
というわけ。」
なるほど、霧崎が後ずさりすると、顔はまた醜く歪んでいった。
「本当に信頼出来る人や顔の美醜を気にしない人以外は近寄らせなければ、あな
たの周りには醜い人間しかいなくなるわ」
「ほ、ほんとう? ああ、すてき…夢のようだわ」
女ははじめて堅い笑顔らしきものを見せた。
費用を聞く女に、術後の経過だけ知らせてくれれば良いという闇色の女医。女
は礼もそこそこに、眼科を後にした。
* * * * *
深夜のホテルで。
「いや、来ないで! あなただってガマガエルのくせに!」
「なんだよ、ケッ。お高くとまってよ、性格ブス!」
手術を受けた美女だ。汚いものを見る目で男をにらみ、部屋を出て行く。
手術の後、女は人との付き合いを以前より極端に避けるようになった。遠めに人
の顔を見てはほくそ笑む女に、彼女に恋慕していた男たちも、友人も、怒り気味
悪がって離れ始めた。
(どんなに醜態をさらしても、あの醜い奴らよりは何万倍も私は美しいわ…)
傲慢さが彼女自身の立ち振る舞いや身なりを、心身の醜さすらを助長させる。
―――そして。
ずる、ぺたり。
「お、おい。あの女」
「し、目を合わすなよ」
ずる、ずる、ぺたり。
「ああなっちゃあねえ…」
薄暗い街明かりの夕べ。前かがみに体を歪め、のろのろと裸足で徘徊する女が
そこにはいた。髪もぼさぼさに乱れ、服装も肌の手入れもおざなりだ。ぶつぶ
つと独り言を言い、時折り獲物を狙うかのように、濁った目で他人の顔を覗き
込んでは悦に入る表情を見せる。
「ぐえぇえええっ、げっげっげ」
―――それは、
ガマガエルのようだった。
「―――彼女自身は、お幸せのようね。さよなら、世界一の美女さん」
雑居ビルの窓から女を眺めていた闇の診殺医は、静かに窓を閉じた。街頭の
ニュースは“美女ばかりを狙った通り魔事件”の犯行がばったりと止んだ事を
伝えている。
夕闇は落ち、窓もビルも闇の中に、消えていった。
<終>
作品名:闇の診殺医・霧崎ひかる 作家名:JIN