太陽と影
そんなある時、
彼女が私の前に現れた。どこかうつろな表情で、私は彼女がいなくなってしまうんじゃないかとぞっとした。彼女は私を見た。その瞳は私に来いと言ってるように思えた。そして、何も言わずに歩きだした。
私は彼女のあとについて歩いていく。少しずつ見慣れた景色を離れ、知らない場所になっていく。町は夕暮れ時……。
そして、彼女は見知らぬ建物の中に入っていった。寂れて忘れ去られたようなビルだった。
彼女は階段を上っていく。私は置いていかれないように必死で後を追った。
私達は建物の屋上に来た。
屋上のドアを開けた。私の後ろでドアが閉まる耳障りな音が聞こえた。
そこには空と町が広がっていた。開け放たれた世界は心に穴をあけてしまうようだった。悲しみも解放されるならばいいのに……。
彼女は空を見ていた。空にはいっぱいに夕陽が広がっていた。
彼女は夕陽に染まり、橙色をしていた。
しばらく沈黙が続く。私は言葉を発することができない。
彼女は屋上の空気に溶けて消えてしまうように見えた。私はぼんやりと浮遊感を感じながら彼女を見ていた。
そして、彼女が口を開いた。
「月とはさようならよ。永遠にもう見えない世界へと消えていったわ。
私にはもう必要ないの」
私には彼女が何を言っているのかすぐには分からなかった。けれど、それがあの人のことだと感じた。
「どうして、どうしてなの……?もう私には分からない……」
私は途方に暮れたような気持ちになった。大切な二つが離れてしまうなんて想像もできなかった。それは深い恐怖だった。
「さあね。どうしてかしら。
愛なんて私には分からなかった。何もかもが遠いわ……」
彼女はそう言って少し言葉を切った後、私を見た。
「私はあなたも不思議よ。あなたはどうして私についてくるの。今も、ずっと遠い時から」
彼女は静かな目で、じっ、と私を見つめていた。
私は言葉が出てこず、ただ彼女を見つめかえす。きっと彼女には分かっているはずなんだ。それでも、言葉にしなくては何も伝わらないのかもしれない……。
「あなたは、太陽だから……」
私は弱弱しくそう言った。私の目には涙がにじんでいた。
けれど、彼女は自分を影だと言った。
「私は影よ。太陽のふりをしているだけ。
おかしいでしょう。
私はあなたから離れなくてはいけないのね。少しずつあなたを壊していくようだから……。
でも、本当はそれが楽しくて仕方なかった」
ふふっ、と彼女は笑った。
「あなたは脆いのだもの。すぐに泣いて、転んで、みじめで、泥まみれ。壊したくなってしまう。踏みつけて、潰してしまう。
馬鹿なあなた。
それなのに、私を太陽だと眩しそうにするの。そして、私を好きで嫌いで苦しんでいたでしょう」
彼女は言葉を続ける。私は現実感のない心で彼女の言葉を聞いていた。
「でも、あなたの太陽になれたなら、それでよかったのかもしれない。
私だって本物の太陽になれるって思うことができたから。
私は太陽なんて大嫌い。でも、太陽になりたかった。
私は月も嫌い。でも、月が欲しかった。
私は月のようなあの人が好きだった。けれど、好きでも何でもなかった。私とあの人は本当は全然別のところを見ていたのよ。お互いの影を見ていただけ。
……それに、あなたがあの人に憧れていたから。
あなたの欲しいものは奪ってしまいたかったし、苦しむ姿が見たかった」
彼女の声が危うい歌のように流れていく。
彼女は不思議な人だと私は思った。私などを苦しめても何になるというのだろう。心が満たされることがあるとは思えない。
それに、二人が惹かれあうことに私は関係がないのだ。そう、私には関係のない二人だけの世界だ……。
愚かなのは彼女だ。……私だ。