ひとつの桜の花ひとつ
去年の今頃
「はぃ、コーヒーでいいか、直美」
「あっ 牛乳あったら入れてくれるかなぁ・・」
「うん」
直美はソファーの前に座ってテーブルの上の小さなお皿にケーキを並べてうれしそうだった。
「劉もさ、けっこう甘いもの好きだよねー、高校生の時は全然しらなかったよ」
「そうかぁ、ま、ケーキなんか一緒に食べられるようなデートなんかしたことねーもんな・・」
「一緒に、ご飯なんか ほとんど食べた事もないもんね」
田舎の高校生だったから、喫茶店でお茶してケーキなんてデートは数えるほどの記憶だった。
「はぃ、牛乳も暖めてコーヒーに入れたから、熱いから気をつけてね」
カップを持って、直美の横に座っていた。
「はぃ どうぞ、」
「ありがと」
お皿の上にケーキと小さなフォークだった。
「おいしいねー やっぱり・・」
「うん、なに食べてもおいしいもんね、えっちゃんとこって・・で、どうするの・・明後日は」
「それがさ、夕子ちゃんね、明日わたしのバイト先に遊びに行ってもいいですかって言うから、いいよって、言ったけど・・」
「へー、そうなんだ・・」
「ご飯でも、一緒に食べようか・・」
「いいけど、聞いてみてよ、明日、夕子に会ったら・・」
「うん、そしたらバイト先に電話するね、劉」
「あ、そうして」
話しながら、あいかわらず俺のケーキまでフォークを出して口にしていた。
「劉って、試験の発表の前の日って何してた・・」
「去年でしょ、全然覚えてないけど・・たしか試験は全部終わってたから東京で遊んでたなぁ、兄貴のマンションからどっかに出かけてたんだけど、どこだっけかなぁ・・直美は、何してたの」
「おにーちゃんのところに来てたけど、わたしも覚えてないなぁ・・でも、発表の日には大学のそばから電話したら、劉は部屋にいたけど・・」
「それは、覚えてるけど・・今の大学の発表って一緒に見に行こうかって、俺言ったっけ」
「言われたけど、断ったよー、で、電話するねって言ったんだよね」
「そっかぁ」
「うん、でもさ、劉ってまだ、今の学校の発表前だったから お祝いしたのは劉の今の学校の発表あった日だったよね」
「うん、そうそう、直美が本命受かった時って、俺、まだ全部落ちてたから、試験・・泣けるわー 思い出しただけで・・」
最初から全滅で落ちまくってた時期に直美が今の大学の合格発表だった。
「全部落ちて俺だけ浪人かと思ってたわ、直美が今の大学受かった頃って・・」
「へー、わたし、そんな事全然思ってなかったけど・・」
「そうなんだ」
「うん、劉もちゃんと受かると思ってたけど・・」
「そっかぁ・・」
「で、劉が 今の学校の発表聞いて、電話くれた時に晩御飯を劉のおにーちゃんのマンションで食べたんだよね」
「うん、そうそう、酔っ払って寝ちゃった日でしょ」
「そうだよー、飲みすぎだもん」
なんだか、ほっとして、ビールとウイスキーを飲んで、動けなくなって直美に夜中に怒られてた記憶だった。
「で、次の日に頭痛かったんだよねー」
「でも、それから、あんなに飲んだことないね、劉って」
「だってさー 頭ガンガンだったのよ、次の日に」
その次の日も、飲みすぎなんだってばって、たしか怒られていた。
「シフォンケーキも食べちゃうけど、半分でいい・・」
「俺、少しでいいや、肉で腹いっぱいだから」
「じゃぁ、これぐらいね」
お皿にイチゴのシフォンケーキを分けてくれていた。
「合格してるといいね、夕子ちゃん。そうしたらその日はお祝いね、劉」
「お祝いはいいけど、夕子ちゃんに聞かないとだね。親がご馳走つくって待ってるだろうしね・・」
「そうだねー わたし達みたいに、田舎から出てきてるわけじゃないからね・・家でお祝いが普通だね」
「だろうねー」
夕子の家は静かな住宅街の井の頭線の杉並区の浜田山のはずだった。
「じゃあ、劉、お祝いのお昼は食べようよ」
10時ごろからの発表だろうから、昼間は時間がきっとあるはずだった。
「そうだね、そうしようか」
「なに、好きなんだっけ、夕子ちゃんって・・劉はしらないの・・」
「わかんないなぁー、明日会うんだから聞いておきなよ、直接」
「うん、そうするね、なんか明日話でもあるのかなぁ、夕子ちゃんって・・」
「どうなんだろう、落ち着かないだけかもよ・・」
「そうかもね、電話は元気そうだったよ」
「そっか、じゃぁ良かった」
元気そうだったって 言われてほっとしていた。
「ごちそうさまー 劉のお皿も片付けちゃうけどいい・・」
「うん、ありがと」
もらったシフォンケーキもきれいに、少しのクリームを残してなくなっていた。
「早いねー、 もう1年経つんだね・・」
キッチンから振り返りながらにっこり笑顔で言われていた。
「あっ あのさ、曙橋のマンションなんだけど・・」
「うん、どうかした・・」
戻ってきて、隣にちょこんって座っていた。
「叔父さんが、あっちに直美と一緒に越しちゃうかって言ったんだけど・・ほら、にーちゃん田舎に帰るから・・」
この春に大学を兄貴は卒業で、もうすぐ茨城にマンションを引き払って帰ることになっていた。
「で、なんて言ったの・・劉は・・」
「直美にも聞いてみないとって言ったけど・・どうする越しちゃう・・あっちのが広いけど・・」
「うそばっかり、もう断ったでしょ、それってほんとは・・」
「えっ、ま、そうなんだけどさ・・直美も断るのわかってるし・・」
「うん、ここがいい。ここ好きだから、卒業するまでずっと、ここにいる」
「言うと思った」
「あっ 劉だって、ここから引っ越す気なんか全然無いくせに、わかってるんだから・・」
「うん。ここ好きだし」
「わたしも、ここの生活大好きだもん。たまーに、奥さんですかって聞かれるのもけっこう好きだし・・」
うれしそうに笑って直美がふざけていた。
「あっ、旦那さんってのは言われないや、俺」
笑われていた。
「楽しみは とっておかないとね・・ねっ、劉 」
「なに・・」
「いいからいいから」
なんとなく言いたい事はわかったけど、言わなかった。それにしても、今頃去年は受験生だったなんて、なんだか遠い話のようだった。
5階と3階の部屋での生活はけっこう思ったより快適で楽しかったし、相変わらず殺風景な部屋だったけど、ま、それなりに住みやすい部屋になっていた。
「去年の今頃は こんな生活って全然想像してなかったなぁ・・すごーく不思議だもん。 だけど、不思議だなぁって考える事ってほとんどないや。なんでだろ・・変わんないからかなぁ・・」
「なにが・・」
「うーん。変わってるんだろうけど、劉がかな・・」
「意味不明だけど」
「わたしって 変わったかな・・」
「うーん、少し顔が細くなったかも」
「そういう意味じゃないのに ま、いいや、太ったって言われたわけじゃないから」
変わっていない直美は、いつもそこにいて、それはけっこう不思議にも思えるし、まったく不思議じゃなくも思えた。
テレビの横の棚の上の高校生の時の直美の写真がにっこり笑っていた。もちろん隣の直美の笑顔そのものだった。
作品名:ひとつの桜の花ひとつ 作家名:森脇劉生