黒猫の恩返し
買い物をした後、通常通りに夕飯を食べた。母がいつも座っていた席にはもちろんだが誰もいない。それがなんとなく寂しかった。
家族が一人いないだけでこうなのか。だとしたら、人間が他人無しでは生きられないというのは本当かもしれない。
着替えて布団をひく。いつもより静かに感じるせいか、色々なことが頭の中を走り去っていっては戻ってくる。
それにしても、今日はさんざんだった…。
大きな出来事は猫を助けたことしかないが、内容が濃かったので、中々忘れられない。
「……寝よう。」
首元ぐらいまで掛け布団引っ張り電気を消し、目を瞑った。その途端、やはり疲れていたのか、意識が遠のいていった――。
「ぐふっ」
「なんだ。起きたのか。」
突然腹に衝撃がきた。布団ごしに、猫の足の感触がする。いや、そう感じるのは、声を聞いたせいだろうか。
「起きろ、人間。お前に用がある。」
「偉そうだな、おい!」
抜けていた体に力を入れて、頑張って上体をおこす。猫は、私の足の方へ移動していた。
「……なんでしょうか。」
「そういうお前は下手だな。」
「あんたが偉そうだからだ!」
その後に、「用がないなら追い出す…。」と呟くと、猫が、人が居住まいを正すように、少し身じろぎした。闇の中で、明るい青い色の大きな瞳が、こちらを見つめていた。
「礼を言いに来た。」
「……尻尾引っ張って助けたやつ?」
「そうだ。」
そういえばこんなアニメがあったような気がする。確か、猫の世界に連れて行かれて結婚させられそうになったような。
「俺の嫁になれとかいう展開は無しで。」
「駄目なのか。」
……なんでこう私の周りはこういうベタなのが好きな人が多いんでしょうね。
猫は困ったように瞬きをした。困るな。
「だが、『売られた喧嘩は買え、施された恩は返せ』というのがこちらの掟でな。」
……猫ってそんな生き物でしたっけ。
疑惑はわくが、とりあえずこの猫は私に恩を返さないと帰れないらしい。
面倒ごとぐらいあったらやってもらおうかな、などと考えていると、あることが思い浮かんだ。誰もいない家。しゃべる猫。
私は思い浮かんだことがこの猫にできるかどうか確かめるため、手を伸ばした。
「何だ。」
本日二回目の尻尾に触らせてもらう。……うん、やっぱり。
「猫又だね。」
「そうだ。でなければ話などできまい。」
確かにその通り。ではやってもらおう。
「私の家に住み込みで、家のお掃除してください。」
猫が驚きに満ちた目で見上げてくる。ちょうど一人で寂しかったし、この家は私一人だ。
「んじゃ、よろしく。そういえばあんた、名前は?」
猫はまだこちらを見ていたが、にこにこと笑う私を見て何かをあきらめたようにため息をついた。
「黒き帝とかいて黒帝(こくてい)だ。」
……お似合いの名前だことで。
「よーし、では朝の第一レッスン。人間になってみよう。」
朝になった。起きたばかりのときは夢だったりしてと思っていたが、そばに丸くなって寝ている猫の尾が二つに分かれているのを見て現実だと確信した。
通常通り起きて朝食をつくり、魚を猫まんまに軽く味付けして黒帝に食べさせた。味にうるさそうなので身構えていたが、何も言わずに食べきった。私も残さず食べる。
高らかに宣言したのはもちろん理由がある。人型になってもらわないと、掃除ができない。猫って不便だ。
黒帝は意外にも私の言葉に従ってくれた。ちゃんと恩を返す気はあるようだ。
ボンッ
おお、さすが猫又、と思っていたのだが。
「色男はNGで。」
「なぜだ。この方が都合いいだろう。」
お決まりというか、ベタというか。やっぱりそうくるかとでも言って欲しいのか、私の目の前には黒で統一した服を身に着けた黒髪青眼の美青年が立っていた。
美しい。大変美しいけれど。
「人が群がるめんどくさい。」
沈黙しながらあきれたような目で見てくる猫、いや人間に、服着てるんだね、と話しかけながら雑巾を渡した。
「ねえ、ここの畳って拭いたほうがいいと思う?」
黒帝は指であごをなでながら、畳を観察した。その様子は、何やら畳などの日本古来のものに詳しそうな印象を受けさせる。実際、詳しいのだろう。
「この家の畳は外に干すなどの手入れがすでに最近のうちにされている。汚れているわけでもないのだから、畳はもういいだろう。掃除をするなら、廊下や高いところの棚などを磨けばいい。」
ふーん。と私がうなずいていると、黒帝がそれにしても。と呟いた。
「……住みやすそうな屋敷だ。」
私は思わず黙った。この分だと、「家に猫はつく」というのは本当かもしれない。「我々の邪魔さえしなければ家に誰が住もうが別にかまわん。」とでも言いそうだ。
「……とりあえず。じゃあ黒さんは廊下雑巾がけしてて。私、買い物にいってくる。」
黒帝が思いっきり眉をしかめた。
「我を放置するつもりか。」
あれ。黒さん呼びはスルーですか。
「問題ある?一人じゃ寂しい?」
「違う。……もういい。」
そっぽを向いてしまった。もしかして図星だったりするのだろうか。
しかし黒帝は猫だ。一人を寂しがるなどありえないだろう。ということは、私を心配したのか、自分も買い物に行きたかったのか、自分を信用しすぎだとでも思ってくれたのだろうか。
気になるが、話してくれなさそうなので、何も言わばいでおく。
「分かった。じゃあ後に二人で買い物にいくか。」
そういった途端、心なしか、黒帝の顔が輝いたように見えた。……ただ行きたかっただけかもしれない。
二人で雑巾を絞って廊下を拭いている時、唐突に思った。
猫にとって、人の世界はどう映るのだろう。黒帝が猫でなければ、黒帝を一人残して買い物に行こうなんて私は言わなかった。猫が金というものに興味を持つとは思えなかったからだ。
猫の生活を思い出しながら、買い物に連れて行って大丈夫かなと、考えてしまった。