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ランドセルの神さま

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 質問の意味が分からなかった。彼がロケットペンシルで書いていた文字の事だろうか。
「ノートに書いていた文字の事ですか? もしそうなら、すみです。終わった、もう済んだっていう意味の〈済〉」
 彼女は暫くの間黙ったまま、焦点の合わない目でザキを見た。ザキは彼女の言葉を待ちながら、とても不安になった。


 今が何時何分なのか、もうザキには分からない。混乱した街は、もはや正常ではなかった。少し時間はありますかと聞かれ答えが浮かばない内に、気付いたら彼女に手を引かれていた。タクシーの助手席を開け、後ろいいですか? と、彼女が聞く。このまま新宿を離れたら、店を開けられないと不安になると、その心を読んだように、黒髪が振り返った。
「大丈夫です。三人で少し話すだけですから」
 三人? 運転席に座った男を見て、ザキははっとなった。十代後半の頃に大好きだった、メサイヤの純也にそっくりだったからだ。黒髪の後に付いて後部座席に乗り込む。ドアを閉めた方がいいかどうか迷ったけれど、そのまま開けておく事にした。助手席の上にタクシーの乗務員証が掲示されていて、運転手の名前は青田純也になっている。青田純也が点けているカーラジオから速報が繰り返される。ただいま入った情報によりますと新宿駅構内にて二十代から三十代男と見られる男が次々と通行人に発砲。怪我人が多数出ている模様です。繰り返します。鼻の奥につんとした恐怖の匂いを感じた。とんでもない事が起きていて、自分はそのすぐ近くにいる。もうメサイヤの純也だとしか思えない男と一緒に、カオスになったアルタ前の交差点を見ている。救急車の後ろに付いてコバンザメのように交差点に進入して来た中継車から、テレビクルーが飛び出した。ドアの外を見上げると上空ではヘリが数台、ホバリングしている。彼女はこの三人で、何を話そうとしているのだろう。そうザキが考えた直後、狭いこの空間に対してはやや過剰な声量で、彼女は話し始めた。
「じゃあ、ちょっと聞いて下さい」
 ザキは体を少し彼女の方に回し、小さく頷いた。青田純也もきっと、彼女の言葉に集中している。それは、気配で分かった。
「こんな時にこんな事言うのもなんですけど、私、思い出しちゃったんで、手短にお知らせします」
 誰かの怒声が聞こえてフロントガラス越しの世界を見ると、誰かが担架で救急車に運び込まれている。ほら、あれ。台車部分が折り畳まれながら担架は後部ハッチに納まり、救急隊員の足下でじっと作業を見ていた学童服の小学生が、閉まりかけたドアの隙間から車に乗り込んだ。あ、先に、私は石川と言います。後部ドアが閉まる。救急隊員は素早くというよりは、手際良く適切なスピードで動き、前のドアから車に乗り込んだ。
「今、救急車に乗った子供、見えてましたよね」二人の反応を待たず。石川という女性は話を続けた。「あれが見えてたのは、多分、私達三人だけです。知ってましたか?」
 ザキは頭の中で小さなクラッカーが弾けるのを感じた。荒唐無稽な話だけれど、違和感はなかった。青田純也が首を振るのを感じながら、ザキも首を振った。
「信じて欲しいとかそういうんじゃないんで。別にそういうのはどうでもいいんですけど私だけ先に気付いて言わないのは悪いんで言います。あの子たちはみんな、死神です。人が死ぬとああやってノートを持って近付いて、死ぬのを確認したら印を付けるんです」
 石川さんはそこまで喋ってザキの目を見た。ザキは思わず唾を飲み、自分でも下手なコントのようだと思った。
「もうこれ以上聞きたくなかったらやめてもいいですよ。頭のおかしい人だと思われたくないんで」車内の空気に変化が無いかどうかを臭いで嗅ぎ取るようにして、石川さんは鼻から長く息を吸った。
「ここから先は想像ですけど、あの子たちの年齢はバラバラで、戦争に行ったお爺ちゃんもいれば若い人もいます。何歳からああなれるのかは分かりませんが、私の知っている限りだとさっき会った子が多分二十歳前で、一番若いです。あ、すいません、話を端折りすぎました」
 ザキはほっとすると同時に、彼女の洞察力に感心した。石川さんは雰囲気で相手の理解度を読んで、話を修正して行く。
「これも想像ですけど、二人は前に、死にそうになった事がないですか?」
「ある」とメサイヤの純也の声が聞こえた。ザキはどうだろうかと考えた。事故にあったけれど、怪我をした訳ではない。
「きっと死にそうになったって言うのは大怪我をしたとか病気をしたとかそういう事じゃなくてもいいんです。ええと、ザキさんでしたっけ。あなたがもし最近ああいった主に古くさい学童服の小学生を街でちょくちょく見掛ける事があるとして、それはテレビで報道された事故の前ですか? 後ですか?」
 真夜中や早朝の歌舞伎町を走る小学生。揺れるランドセルが思い出される。ザキは答えた。
「後です」
「じゃあ、きっとそうです。どっちにしても、ああ死んだと思う瞬間があって一度黒バックのスタジオにドライアイスを焚いたような所に行って関西弁の小学生に会ってなぜか怒られて笛で叩かれて気付いたらベッドの上、みたいな経験ないですか?」
「それは、ないです」
 正直に答えながら、ザキは自分が嘘を付いているような気がした。
「俺はあるよ。一度死んでる」
 運転手の格好をしたメサイヤの純也がぶっきらぼうに言い、開き放しだった後部ドアを締めた。街は益々騒然として、後方から次々に救急車がやって来て、前方の救急車がところてんが押し出されるように次々と出て行く。そんな喧噪が、ばたんという音と共に、遠くなった。ラジオでは事件の詳細が語られ始めている。犯人は三十代から四十代の男で、複数の拳銃を使って無差別に通行人を撃ち、駆け付けた警官二人に重傷を追わせた後、そのどちらかの警官によって射殺されたらしい。
「そうですか、ならあなたが思い出せていないだけかも知れないし、私と運転手さんがたまたま同じ経験をしただけでそこは共通しないのかも知れません。だから信じるかどうかは自分で判断してください」被害者の数は少なくとも十三人。その内の五人は死亡。そうニュースが言った。「それについての説明は省きますが少なくとも私は、一度自分が死んだと思った事があります。実際は大した怪我もしてなかったけど、確かに自分が死んだ感覚がありました。それで気が付くと、白い煙が背の高い草みたいに漂っている暗い世界にいて、そこで関西弁の小学生と会いました。話し掛けると、彼は自分の方が年上だから敬語を使えと言いました。彼は何故か忌々しげに私の名前を読み上げ、舌打ちをした後、あんたは、つまり私と似た人が親戚いるというような事を言って、その後すぐに何でこんな話をしたのか後悔しているような顔でまあどうせ忘れるからいいかと言う意味の事を言って、私の頭を縦笛で叩きました。その時に大声で帰れと言われました。それで目が覚めると、死んだ筈の私は生きていました。私はその小学生が言った通り、その世界の出来事を忘れていました。最近になって思い出したんです」
作品名:ランドセルの神さま 作家名:新宿鮭