小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ランドセルの神さま

INDEX|10ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 石川さんはそこまで話して、腕時計を見た。ザキは少し時間を気にしたけれど、彼女の話を最後まで聞きたい誘惑に勝てず、非常事態でもあるので、石川さんに顔を向け、時間は大丈夫だという表情をした。
「それで、ある時、小学生の居る筈のない場所で小学生を見て、それがどうやら他の人には見えていないようだと気付いた時に、すっかりと思い出したんです。それで自分なりにこの世とあの世で会った二人の小学生の関連性について考えてみました。関連性も何もそもそも私の頭がおかしくなっただけなんじゃないかとも思いました。それで結論が出ないまま何ヶ月か過ぎた時、また変な小学生を見ました。オートバイとトラックの交通事故の現場です。小学生の男の子が救急隊員と一緒に倒れた男の人を覗き込んでいました。あり得ない光景でした。血だらけの事故現場の最前線に、子供が近付ける訳がないと思いました。それを見て、やっぱりあの小学生が見えているのは、私だけなんだと確信しました。何かをメモする仕草を見て、「済」と「死神」の二つの文字が頭に浮かびました。あの子達は小学生の格好をした死神、それが私の考えです。じゃ、失礼します」
 石川さんは車道側のドアを開けようとして、そのドアに非常時にしか開けられない仕掛けが付いているのを見ると、恥ずかしそうにザキを振り返った。
「あ、すいません」
 ザキは石川さんを通そうと一度車を降りようとして、そのドアが誰かによって押さえられているのを感じた。
「ちょっと、連絡先だけ交換しないっすか? 別に口説いたりしないんで」
 運転席と助手席の間から顔を出して、すっかりオーラを無くしたメサイヤの純也が言った。テレビクルーと警察官が揉み合っている。ホスト風の痩せた男達のグループが、場違いな笑顔で通り過ぎる。
「私は別に構いませんけど。あなたは芸能人だから気にしますか?」
「僕はもう芸能人じゃないです」
 きっとこれから何十年も、今年最大のニュースとして語られるであろう大量無差別殺人現場のすぐ近くの路上に停まったタクシーの中で、死神の〈見える〉三人は携帯電話のメールアドレスを交換した。

10
 ハンドルにはまだ、子供を轢いた感触が残っている。人が大勢死んだ後なのに空は画に描いたように華やかな夕焼けで、赤紫と碧の交わるグラデーションの上には、白く輝く月が浮かんでいる。これでもう一つ月があったらスターウォーズの世界だな。青田はそんな事を想いながら、缶コーヒーを一口飲んだ。もしこれが夢や幻覚だとしたら、あまりにも出来過ぎたストーリーだ。石川咲子という女の話が終わりかけた所で、青田は完全に思い出していた。関西弁の小学生。叩かれて目が覚める。少し違うのは、笛で叩かれたのではなく、股間を蹴り上げられて目覚めた事で、それ以外の情報は青田の幻覚の隙間を、ほぼ完全に埋めた。女の話を信じるならば、自分は狂っていない事になるけれど、女の存在自体が現実だという確証がない。赤いフィルターのかかった街を、光を背にして進む。青田は普段の行動範囲を外れて、東京の下町を流した。馴染みの薄い街は、まるで少しだけ時空のずれた別の東京のように感じる。完成間近の新しいタワーも、それが東京スカイツリーという名前の新しい電波塔だと分かっているのに、〈別の東京〉のランドマークだと感じてしまう。歩道を行き交う人々の顔も、少し前の日本人のように感じられる。上着のポケットに入れた携帯電話が振動した。どうせスパムメールだろうと無視した筈なのに、青田はポケットが少し重たくなったように感じた。縦長の封筒の上半分が、ポケットから食み出しているような、そんなイメージが頭に浮かんだ。バックミラーの中に女が現れ、後方のタクシーに手を上げる。ついてねえな、と舌打ちした時、ポケットの中の封筒が二つに増えた。青田は見慣れない街の見慣れない路肩に、ゆっくりとタクシーを停めた。
 予想した通り、メールは石川咲子からだった。それは、見た瞬間に彼女からだと分かるメールだった。件名が〈石川咲子〉だったからだ。
 先ほどは突然呼び止めてしまいすいませんでした。もしこれからあの子達の事で気付いた事があったら、連絡を取り合いましょう。
 丁寧なのか無愛想なのかどちらとも取れるテキスト。二番目に届いていたのは、もう一人の〈元芸人〉からで、こちらこそよろしくお願いしますとだけ書いてあった。相手がよろしくと言っていないのに、こちらこそはおかしいと思った。青田は自分も返事を返そうとして、やめた。返すべき言葉が何も浮かばなかったからだ。最初に連絡先を交換しようと言ったのは、自分なのに。そこにこの世界が夢の中ではない証拠を探すような目付きで、青田はただじっと、携帯電話を見詰めた。いつの間にか辺りは薄暗くなっていて、夕方の太陽のイリュージョンは予告もなく終わっていた。
 こちらこそよろしくお願いします
 こんな返事しか書けない芸人には、きっと才能はないだろう。青田はザキと呼ばれていた男の人懐っこそうな顔を思い浮かべる。才能が無いアーティストは哀しい。ギアをドライブに入れてラジオを点けた。死人は八人に増えていた。昨日死んだ芸能人の女。あの女のニュースの扱いは、明日から随分ちっぽけなものになるだろう。
 何人かの客を拾い、降ろしている内に女子医大病院の側に来ていた。サイレンを鳴らしながら救急車が迫って来て、目の前で右折して病院の敷地内に入って行った。あの中にも小学生が乗っているのだろうか。ぼんやりとそんな事を思った。左隣に同じように停まっていたタクシーが発車して、青田もブレーキから足を離す。並走するタクシーの右後部座席に、小学生が乗っていた。
〈あいつらはタクシーで移動することがある〉
 メールのテキストが頭に浮かんだ。ウインカーを出して、後ろに付いた。リアガラス越しに見える後部座席の影は一つしかない。中年の女のように見えるその頭の右側にはなにもいないように思ったが、一瞬だけ、子供の頭がちらりと飛び出して消えた。女はただじっと窓の外を見ているようで、子供と一緒に何処かに向かうにしては明らかに不自然だ。石川咲子が言った通り、あの女には小学生が見えていない。見えているのは、現状把握出来る範囲では三人だけだ。石川咲子の言う通り。石川咲子という女は、本当に居たのだろうか。
〈俺も今日広尾病院で一人乗せて新宿で降ろした。その子は多分、あの事件で死んだ誰かの名前を書きに行った〉
作品名:ランドセルの神さま 作家名:新宿鮭