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ランドセルの神さま

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 ネピアとスコッティーに会ったのは、夏の九州だった。地元のプロモータから紹介された二人は双子で、色違いのサマードレスを着ていた。髪型も化粧も同じで、まるで見分けが付かない。二人はメサイヤのファンだと言い、自分達もガールズバンドを組んでいると話し、そのバンドのボーカルのネピアはDAIJIと、スコッティーは青田と寝ることを望んだ。スコッティーは青田の陰茎を根元まで銜え、そのすぐ右隣では、同じ顔の女がDAIJIのものに同じように吸い付いている。見比べると乳首の色や形までまるで同じだ。少し前に飲んだエクスタシーが効いてきて、幸せが股間から全身に広がっていく。服を脱がせると、臍にピアスがぶら下がっている。薄いブルーのチャーム。隣で股を開いたネピアにも同じ形のピアスがあるが、こっちは薄いピンクだ。二人の臍で揺れるピアスを交互に見ながら、やっとこれで見分けが付くな、と青田はにやけた。ピンクがネピア、ブルーがスコッティー。
 翌日は夕方までオフで、青田はスコッティーとホテルのレストランで昼食を食べた。その後、双子の暮らすマンションに行く事になり、古い1DKを勝手にリノベーションした壁中に別珍の布が掛かった部屋で、また二人は抱き合った。ドアの開く音がして、遅れて合流する事になっていたDAIJIともう一人の双子が入って来た。と、青田は思った。肩甲骨の下に、銛で刺し貫かれたような衝撃が走っても、暫くは何が起こったのか分からなかった。女の臍のピアスの周りに、赤黒い血が溜まり、脳味噌と鼻の穴の真ん中あたりに、火薬の臭いを感じてやっと、もしかして自分は拳銃で撃たれたのではないかと気付いた。ネピアっ、てめー、とドスの効いた声が聞こえ、派手なダブルのスーツを着た、田舎やくざにしか見えない男が、靴のまま部屋に入ってきて、スコッティーの顔面を革靴の裏で蹴った。ネピア? 青田は女の臍を見た。青田の腹から溢れ出る血溜まりに埋もれて、ピアスは赤く濡れている。指で擦って確かめようとするが、血がぬめぬめと動くだけで、中の色が見えない。ネピアかスコッティーか。ピンクがネピア、ブルーがスコッティー……。どうしても確かめたくなった青田はピアスを舐め、それを見て激昂した田舎やくざにしか見えない男に膝で顎を蹴られ、意識をなくした。
 貫通した弾丸は、少年漫画の主人公に起こるような奇跡で急所を外れ、青田は数週間で退院したが、事件をきっかけにバンドは解散する事になっていた。バンドブームは翳りを見せ始めていて、会社はDAIJIをソロにしたがっていた。明らかに被害者である青田の事を、世間もファンも、単純な被害者だとは捉えなかった。黒い付き合いのある、ギターの下手な存在感の薄いギタリスト。青田が世間や業界から忘れられるまでに、それ程の時間は掛からなかった。撃たれる前に抱いていた女の名前が、どこにでもあるような地味なものだと分かったが、それがピンクなのかブルーなのかは、結局分からずじまいになった。

 中目黒の駅前で女が降りると、柔らかい香水の匂いと、冴えない昔の記憶だけが社内に残った。女は駅とは反対方向に横断歩道を渡る。そのすぐ後を追うように、ランドセルを背負った小学生が、ノートとペンを手に、まるで新聞記者の真似事をしているようなポーズで走って行く。タクシードライバーになって初めて気が付いた事の一つは、最近の小学生に昼も夜もないという事だ。青田は運転席の窓を半分開けて、鼻の穴から長い息を吐いた。


「領収書が入ってたんですよ。被害者の財布に」自分と同世代に見える顎の長い刑事が、応接セットの向かいのソファから青田の目を覗き込んだ。「でね、もう朝からニュースになってて知ってるかと思いますが……、まず覚えてますか、桜田あかねさんの事」
 翌朝、出社した青田は、息を切らして駆け寄ってきた専務に連れられ、応接質に直行した。大理石に似せたプラスチックのテーブルには、雑誌からコピーしたようなモデル風の女の写真が何枚か広げられている。見覚えがあると思った理由が、やっと分かった。昨日、山手通りで拾った客だ。
「思い出しました。昨日の最後に、山手通りの羅漢寺の交差点あたりで拾って、中目黒の駅まで送りました。やっぱり、あの人、芸能人だったんですね」
「お前、桜田あかね知らないのか、あんな有名な芸能人」
 専務が歯を剥いて驚き、テーブルの上にスポーツ新聞を投げた。桜田あかね路上でメッタ刺し死亡。一面トップで女の死が報じられていた。
「青田さんも元芸能人というか、有名なミュージシャンなんですよね。殺人未遂事件の被害者でもある」
 筋肉で膨らんだ肩に首が減り込んだようなもう一人の刑事が、白髪だらけの角刈りをボールペンの尻で掻きながら言った。
「メサイヤですよね、ビジュアル系の。自分の弟もCD持ってますよ」顎の長い刑事が顔全体の中で、唯一口元だけを弛めた。「ビジュアル系ってやつですよね」
 専務と白髪の刑事が同じ表情を浮かべ、刑事が頭に浮かべた台詞と一字一句同じ言葉を、専務が呟いた。
「お前がビジュアル系かよ……」
 ファンだと言われた事を、青田は黙っている事にした。

 形の良い小さめの尻。
 明治通りを渋谷方向に流しながら、青田は横断歩道を渡る女の後ろ姿を思い出していた。車内に残った香水の匂い。余程人気のある女だったのだろう。ラジオのニュースでは、桜田あかね刺殺事件がずっとトップで流れている。殺された路地裏には、花を供えにやって来るファンが後を絶たず、大勢の報道陣が押し寄せているらしい。暫くは、山手通りは避けた方が良さそうだ。天気や曜日や事故情報を基に、今日一日の自分の動きを想像した。そのイメージは大体決まってミニチュアで作った玩具のような東京の街の鳥瞰図で、青田はそれを感じる度に、ドラッグの後遺症ではないかと疑う。
 いつものコンビニで安い弁当を買い、ついでにスポーツ新聞を一部買った。金型で作った工業製品のような卵焼きを齧り、助手席に広げたスポーツ新聞を見遣る。女の写真と10メートル先から読めそうな程の見出しが、桜田あかねの死を報じている。あの時。あの女を拾わなければ。舞台のワンシーンを切り取ったらしい女の写真。青田はその悲しげな目を見て咀嚼する顎の動きを止めた。人気の絶頂で殺される人生と、生き残って落ちぶれる人生、どちらがましなのだろう。いずれにしても、ほんのちょっとのタイミングで、人生なんて激変する。それを身を以て知っている青田は自分でも気付かない内に、小さく呟いていた。
「それは主に悪い方に」
作品名:ランドセルの神さま 作家名:新宿鮭