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ランドセルの神さま

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 いきなり結論からで恐縮ですが、私はまだ生きています。でも、死神の呪いが解けた訳ではありません。ちょっと言い回しが大袈裟でしたね。すいません。私が死ななかった理由は、恥ずかしながら単なる勘違いです。私が助けたのは、自殺しようとしていた安藤弘美ではなく、それを助けて下敷きになる筈だった同級生の男子だったのです。まるで陳腐な映画の脚本みたいでしょ。でも、きっとそうなのです。私は足が速かったので、彼よりも先に追いついてしまったのです。いまは他の可能性が考えられません。そして彼は、いま私の夫で、私達にも今年五歳になる娘がいます。
 いま私はとても混乱しています。夫は確実に自分よりも先に逝ってしまい、その後少なくとも七年以上、私は未亡人として生きなければならないのです。そして不謹慎な事に、私はそれをとても誇らしく感じてもいるのです。私は私の命を使って、彼を生き返らせて、彼の子を産んだ。それは私に取っては他の何事よりも名誉な事です。私は自殺した同級生ではなく、彼を助けられた事を本当に嬉しく思うのです。話が長くなってしまってすいません。とにかくお騒がせしてすいませんでした。一方的にこちらの事ばかり書いてしまいましたが、山崎さんはお元気でしょうか。私に何か出来る事があれば、いつでもお知らせください。

 涙が出た。でもザキにはその涙の理由を説明出来ない。それは複雑過ぎて、同時に解り過ぎた。
「うわっ、店長早いっすね。すいません」
 定時前に出勤したスタッフが詫びながらクロークに入って行く。ザキは厨房で顔を洗い、涙を隠した。玉葱の匂いのするシンクに手を付いて、暫くの間じっとしていた。


 20
 大きな花時計の前で、くまのプーさんが愛想を振りまいている。七歳になった海斗は興奮して、黄色い着ぐるみの足にしがみついた。
 ザキは眩しいものを見るようにプーさんと息子を見ている。学校で自分だけがディズニーランドに行った事がないと言って泣き止まない海斗に根負けして、一度きりのつもりで連れて来た。
「ママも来れば良かったのに」
 ザキが子供を行楽地に連れて行く時、紗英には内緒だ。
「ママはディズニーランドが嫌いなんだよ。絶対に言っちゃ駄目だぞ」
 この事を知ったら、確実に一週間は機嫌が悪いだろう。人混みの中に紗英を絶対に連れて行かないのは、山崎家の絶対のルールだ。紗英がどれだけ怒ろうが、ザキはそのルールだけは、頑として変えなかった。人混みの中では、死神を見付ける事が出来ない。
 ワールドバザールを抜け、シンデレラ城の正面に出る。城の上には白い鱗雲が、びっしりと空を覆っていて、鱗の隙間から格子状の青空が見えた。平日の朝だというのに園内は込み合っていて、アトラクションの前にはもう行列が出来ている。興奮して早足になる息子を徹夜明けのザキは顎を下げて追い、鏡で写したように同じ事をしている同世代の父親と目を合わせて、苦笑した。
 事故の前に紗英と二人で来て以来何年も来ていなかったのに、大体のアトラクションの位置は覚えている。無くなっているアトラクションがあり、その場所には新しいものが建っている。ディズニーランドも歌舞伎町も芸能界も、飲食業や娯楽産業は同じ仕組みで動いている。人気があれば続き、なければ他の新しいものと入れ替わる。ザキは息子の手を握り、強く生きて欲しいと願った。
 一度もここに来ない内に小学生になった海斗は、ビッグサンダーマウンテンにもスペースマウンテンにも乗る事が出来る。紗英の血だろうか、海斗はコースターが恐くないらしく、スピードが苦手なザキは紗英とのデートを思い出した。
「もう恐いのやめてもっとゆるいの乗ろうよ」
 若かった自分と同じ台詞で、ザキは言った。
「いいよ、じゃどれ乗る?」
 若かった紗英と同じ台詞で、海斗が答える。濃い眉毛の形が、自分にそっくりで、二重の丸い目は紗英に似ている。
 水の上を進むゴンドラに乗って、人形達の歌う〈世界はひとつ〉を聞く。小さな地球を巡っているうちに涙が出て来て、かつてもそれを紗英に笑われた事を思い出す。横目で見ると海斗は意外に満足した様子で、うっとりと視線を漂わせている。
 アトラクションを出てもまだ、音楽の余韻が耳に残っていた。いつの間にか雲はほとんど消えていて、剥き出しの日差しが強い。ザキは海斗の目の高さまでしゃがみ、息子の帽子を正しく被り直させた。そしてその時に、死神が見えた。
 ランドセル。
 こんな場所に来る子供が、ランドセルを背負っている訳がない。死神は修学旅行生の集団を器用に擦り抜け、こっちに向かって来る。あの時の奴だ。学童服に、黄色い帽子。大人びた抜け目なさそうな瞳。
 ザキは彼を見て、ただ息を止めた。触れそうなほど近くを、死神の横顔が通り過ぎて行く。彼は間違いなく、自分があの世で会った子供だ。ランドセルの角が鼻先に擦った。ザキは反射的に、痛む鼻を手で覆った。痛てっ、と小さく声も漏らした。手の平をどけて涙目で死神の後ろ姿を追うと、ランドセルの背中はザキの五メートルほど先で立ち止まっている。見た事のない虫を追うような死神の視線が、ふらふらと漂いながら振り返る。ザキと目が合った瞬間、虫の名前を思い出したように、彼の瞳に光が灯った。唇が動く。
「お前、あん時の芸人やん」
 ザキは海斗を抱き寄せた。海斗のまだ柔らかい体が、ザキの動揺に反応して、体温を上げた。
「お前何びびってんねん、ちゅうかお前、子供居るんか」
 死神はそう言って、子供に愛想笑いをした。
「可愛いなあ、ぼくいくつ? ちゅうたって聞こえる訳ないか。子供が子供に愛想振りまいてどうするっちゅうねん。

って何やねんこの間っ。お前お笑い芸人のくせに突っ込みもよう出来んのか。せやから売れへんねん」
「だから」ザキは小さく言った。「もうとっくに諦めました」
「ふん、ま、ええけどどやねん」
「どやねんって、言われても」
「まあ、そんな勘ぐるなや。今日は遊びや。今風に言うたらオフちゅう感じか。死神がディズニーランド大好きで何が悪いねん」
「なに話してるの?」
「お前、ここ笑うとこやぞ」
 胸の中の息子と死神が、同時に言った。
「息子もちょっと間が悪いんちゃうか」
 ザキはポケットから携帯電話を取り出し、耳に充てた。立ち上がりながら、子供の手を繋ぐ。海斗は不思議そうにザキを見上げ、すぐに他のアトラクションに視線を移した。
「じゃ、ただここに遊びに来たんですか?」
「お、お前以外と賢いとこあんねんな。流石っ、現代人! 携帯電話で誤摩化すっちゅう発想は昭和にはなかった」
 ザキは小さく笑った。何故だかもう、彼が恐くなかった。
「ふんっ、やっと笑ろたな。ほんならこのままちょっと歩きながら話そうや」
 ザキは、はいと言って頷き、二人の小学生の真ん中を歩いた。昭和の子と、平成の子。
「なんでここに来たかやったな」
 死神が数歩前に出て、ザキの顔を振り返った。ザキはまた、はいと頷く。
「ディズニーランドが好きやからに決まっとるやろっ」
 電話を耳に充てながら、ザキは少し笑った。海斗は不思議そうにザキを見上げ、電話の相手に小さく嫉妬した。
作品名:ランドセルの神さま 作家名:新宿鮭