ランドセルの神さま
スタジオにセットを組んで撮影し、CGもふんだんに使ったプロモーションビデオまで作った新曲が全く売れず、人気は再結成による一過性のものだとスタッフの誰もが気付いた。アルバムの制作は中止され、代わりに新曲をボーナストラックにしたベスト盤がプレスされた。青田は徐々に暇な時間を持て余すようになり、そんな時は部屋で曲を作った。高校生の頃からずっと、作詞も作曲も全てDAIJIが一人でやっていて、他のメンバーはそれに意見する事も許されなかった。だから、青田が詩を書いたり曲を作るようになったのは、ここ数年の事だ。ある朝滅多に視ないテレビを点けると、DAIJIが侍の服を着て大河ドラマに出ていた。青田その時決意して、録り溜めたデモをインディーズのレコード会社役員にメールした。石川咲子からのメールが届いたのは、その日の昼頃だ。
メサイヤがメジャーデビューする前に、何度も出演したライブハウスは、懐かしい匂いがした。機材は既にセッティングされていて、サポートメンバーもお揃いだ。
青田には石川咲子の気持ちが完全に理解出来た。自分はこの為に生まれて来たのだ。ギターを鳴らした瞬間に、モッシュが起きる。三十代を中心にしたオーディエンスが、子供のような笑顔で拳を振り上げている。青田は初めて青田の曲を弾き、初めて青田の歌を唄う。年寄りになるまで生きる必要なんてない。DAIJIは延びた人生で俳優をやり、自分は減った人生を音楽に使う。才能があろうがなかろうが関係ない。音楽がやりたいから、音楽をやる。人間はどうせ死ぬのだ。タクシードライバーの夢の中には、もう戻りたくない。
デビッド・ボウイのスターマンに似たイントロのリフ。似てたって構わない。俺はデビッド・ボウイが好きだったんだ。
「構わないぜっ!」
青田が絶叫すると、オーディエンスが弾けた。
「東京ドームなんて白いクソだっ!」
歌の出頭を間違えた。自分よりも格段に上手いサポートギターがアドリブで誤摩化して青田を助ける。
「タクシードライバーの夢に入り込むなっ!」
ギターを構えて息を吸う。デビッド・ボウイになりきって、半眼でいやらしく、歌う。
生きている。そして、いつ死んでもいい。
アンコールの拍手を聞きながら、青田は舞台裏で煙草に火を点けた。顎の先から汗が滴り落ちて、ブーツの上で爆ぜる。俯いたその視界の中に、缶ビールが差し出される。久しぶりだな、と青田は言った。
「最高だったぜ」
と、DAIJIが言った。ライブが中盤を過ぎたあたりから、青田はDAIJIが来た事に気付いていた。エゴイスト。DAIJIが一日に一瓶空けていると噂の香水の匂いが、舞台袖から漂って来たからだ。
「ありがとう」青田はDAIJIを見ないまま、ビールを呷った。香水の匂いが強すぎて、ビールの味が全くしない。
「またやれよ。また観に来るから」
「ああ」
煙草の煙を肺の中で転がせる。吐き出した煙が空気に紛れて消えてから、青田はDAIJIを見た。ウインクしてもおかしくないような完璧な笑顔で、鼻と目を整形した小学校から同級生の坂本大治が親指を立てた。サポートメンバーが位置に付き、歓声が起こる。青田は煙草とビールを持ったまま、ステージに向かう。
「ありがとう」
青田はそう言って、DAIJIのビールを飲み干した。最後に一口だけ煙草を喫って、ギターのストラップをかけた。
マイナーコードを掻き鳴らす。イントロに興奮したオーディエンスが、一斉に声を上げる。これはプリンスのパープルレインにインスパイヤされて高校生の時に作った恥ずかしい曲を今の感性と技術で書き直した曲です。そう正直に言いたい気分だった。
プリンスからインスパイアされたシリーズの二曲目を歌いながら、気が付くとプリンスになりきって踊っていた。それはメサイヤ時代の彼のイメージからは考えられない事で、ほんの一間置いてから、爆発したような熱気と歓声が会場の空気を震わせた。エゴイストの匂いが、まだ残っている。ライブが終わったら、このまま大治と飲みに行ってもいいかも知れない。劣等感も不公平感も、奇麗さっぱり無くなっていた。本当に久しぶりの、いい夜だと思った。
最後の曲が終わって、シールドが抜かれた。
トイレで顔を洗い、濡れた自分の顔を見た。匂いが近付いている気がする。もしかすると、大治はそこで糞をしているかも知れない。何気なく大便器の方を見て、青田は凍り付いた。便所のドアにしがみつくようにして、小学生がぶら下がっている。
「大治っ」
青田は小学生の足を払い除けて、ドアを叩いた。
「なんやこいつ。気色悪っ」
小学生は着地して、ランドセルにノートを仕舞った。
「もう死んでるちゅうねん」
青田の背中に手鼻を引っ掛けて、小学生は去って行く。ドアを蹴り破って開くと、膝の下までパンツを降ろした大治が、泡を吹いて死んでいた。
何だよ、おい、今かよ。おいよりによって便所でちんぽ出したまま死ぬ事はねえだろおい。仕舞えよちんぽ。って言うか、ちゅう事は、俺の寿命分かっちゃったんですけどおい。あと五年。石川咲子よりも俺の方が先じゃねえか。それよりどうすんだよこの状況、不自然過ぎるだろ。何か言い訳考えねえと。
「おい、どうすんだよ大治これ、人生楽しんでくれたか? おい」
19
石川さんが死んだ時間に、ザキは空を見ていた。それは歌舞伎町の雑居ビルに切り取られた、夕方の赤い空だ。空を見て思う。彼女はいったい何処でどのようにして死んだのだろうか。
念願だった自分の店は順調で、海斗はもう小学生になった。小学生の息子を持つ親になれば、本物と死神の区別は出来る。そう思ってはいても、海斗の友達が家にいるのを見るとぞっとする。その時は確実に来るのだ。それは二年前の、純也の死ではっきりとしている。石川さんが送ってくれた資料によれば、純也が刺された事件とDAIJIが変死した事件の間の時間は、その後純也が事故でタクシーに撥ねられて即死するまでの時間と完全に一致していた。
石川さんの死亡通知は、封書で送られて来る事になっている。速達で届く筈だから、受け取るのは早くても明日の午後だ。ザキは暫くの間黙祷し、店の仕込みに戻った。
ペペロンチーノのポーズ。芸人時代の宣材写真を引き伸ばした額が、目立つ所に飾られている。いつかあんな物を店に掛けなくても、味と雰囲気だけで客を呼べる店にしたい。ザキは客の席に座って伝票を整理しながら、歯を食い縛った。純也の死は、事件性の無い単なる事故死として報道された。自分の二度目の死も、事故によってもたらされるのだろうか。DAIJIの死は薬物の過剰摂取による可能性が高いと報道されたけれど、紗英もまたそのように突然死ぬのだろうか。青田は二度、顔を叩いて立ち上がった。携帯電話の待ち受け画面にしている海斗の写真を、じっと見る。突然、携帯電話が震えて、黄色い光を点滅させた。メール一件着信あり。開くと、それは、死んだ石川さんからのメールだった。
山崎様