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ランドセルの神さま

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 一日に一箱は煙草を喫う。睡眠時間も生活のリズムも不規則以外の何物でもない。食事はコンビニの物ばかりで、ケミカルな飲み物ばかり飲んでいる。長寿を全うして老衰死するような可能性は、殆どゼロに近いように思えた。だとすると。彼はいつどのようにして死ぬのか。自分の寿命が百まであったとしても、彼は十五年しか生きられないのだ。いや、自分が死にかけたあの日からの勘定だから、あと十年弱。それがマックス。つまりいつ死んでもおかしくない。
 煙草に火を点けて、密度の違う煙を吸い込んだ。マリファナを吸っている時に喫う煙草ほどうまいものはない。煙草を喫うぐらいならマリファナを吸えばいいじゃないかという外国人ミュージシャンもいたけれど、それはナンセンスだ。そもそも煙草とマリファナは全く別のもので、それらは仲間同士だ。
 重いベース音が、青田の部屋の重力を強くした。さっきから何口も吸っているのに、煙草が短くならない。目を閉じて、目蓋越しに見える精細な幾何学模様を眺めている時に、青田はふと気が付いた。DAIJIが死ぬその時に、自分の寿命が分かる。それは、どう逆らっても否応なく知る事になる。DAIJIの死が、ニュースにならない筈がないからだ。
 自分の寿命が分かったら、何か得する事があるだろうか。青田は目蓋を閉じたまま腕を組んだ。最後に好きな食い物が食える。最後に好きな音楽を聞いて死ねる。借金をしまくっても返さなくて良い。そんなくだらない事と引き換えに、死へのカウントダウンの為だけに作られた目覚まし時計を背中に突っ込まれる。自分はその恐怖に耐えられるだろうか。
 まあいい。
 青田は火皿の中の燃えかすを捨てて、新しいマリファナを一つまみ入れた。吸い込むと刺のある煙が喉を刺し、激しい咳が出た。顔を顰めた小人が口から飛び出していくようなイメージを思い浮かべたけれど、それが見える訳ではない。ただそんな風に思っただけだ。喉の痛みを和らげようとして、ドロリッチを飲んだ。そして自分の事をファンだと言った芸能人の死について考えた。名前が思い出せない。彼女の死のニュースは、自殺したアイドルのニュースによって、隅の方に追いやられてしまうだろうか。DAIJIはどんな風にして死に、その死はどのように忘れ去られるのだろうか。
 いずれにしても、勝ち逃げだな。
 青田はそう呟いて、目を閉じた。落ちぶれて長く生きるよりも、輝いたまま早死にする方がずっといい。ただの同級生だったDAIJI。彼より先に自分は死なない。それが何故だか不幸な事に思えてくる。彼より先に自分は死ねない。
 さっきからずっと、遠くで青い光が点滅している。目を開けるとその光の間隔が、速くなっている。三度光って、暫く消える。そしてまた三回光る。なんの事はない。携帯電話の不在着信通知だ。立ち上がるのが面倒で、一度は無視したものの、青田はそれが気になって、ゆっくりと腰を上げた。散歩で着く距離が、果てしなく遠く感じる。妙な胸騒ぎが足首を這い上がってきて、頭の天辺から抜けて行った。こんな短時間に三回も電話が鳴る事なんて、何年もなかった。青田の右手は投網のように開いて、携帯電話を掴んだ。点滅する小さな光が、目を背けたい程に眩しい。
 不在着信 3件
 発信先を表示させようとキーを操作する指に電気的な振動を感じ、青田は電話に噛み付かれたように手を離した。足下で震えながら光る携帯に、〈新着メール 1件〉の文字が現れる。そのメールテキストは、頭のおかしい神様から届いた手紙のようで、青田はそれに戦慄し、興奮し、呆れた。

大西大司より
〈生きてる? なんで電話出ねえんだよ チャリティーイベントで再結成するぞ 電話くれ DAIJI〉

 そのまま何分も、青田はただじっとその液晶画面を見ていた。考えるまでもない。やるに決まっている。どうせ知るなら目の前で、奴の最後を見届けたい。長い静止からやっと動き出した青田はドロリッチのストローを吸い、殆どなくなった半個体の液体が、ずるずると卑猥な音を発てた。青田は半笑いになって、背中からベッドにダイブした。

16
 夏は青春映画の撮影が多い。理由は単純に中高生が夏休みで、エキストラの調達もし易く、ロケ地の学校も借り易いからだ。アメリカの人気ドラマをそのまま盗んだような吸血鬼モノの学園ホラーがクランクアップを迎える時にはもう夏は終わっていて、その頃には、石川咲子はすっかり開き直っていた。
 撮影中に事故が起きない限り、死神なんか現れない。ちゃんと判別さえ出来れば、仕事に支障はないし、作家の安藤かのこは当分死にそうもない。彼女が生きている限り、自分は決して死なない。安藤かのこ本名安藤弘美の書いた〈モナリザの陰毛〉は何故かフランスで映画化され、カンヌで賞を取った。新作の〈土の膣〉は当たり前のようにベストセラーになっていて、ワイドショーの辛口コメンテーターもやり始めた彼女は今や有名なセレブの一人になっている。憎たらしい程平然として正論しか言わない。肥満体だった頃が嘘だったように細く均整の取れた体には、作家としては美人の部類に入る無表情な顔が乗っている。薄い唇はほぼ笑う事がない。一週間か十日に一度、猫が笑うように歪むだけだ。無愛想で空気を読まない彼女がテレビに出続けられる理由は、その笑いを期待する熱狂的な物好きがかなりの多数いるからだ。安藤かのこが微笑みに似た表情を見せると、インターネットでは〈祭り〉になるらしい。
「お金の為以外に考えられません」
 安藤かのこが答えると会場がどっと沸いた。
「また爆弾発言ですねえ、安藤さん」
 司会者のお笑い芸人が大袈裟に仰け反る。
「チャリティーなんて元々やってた方なんですかね。もしそうでなければ、チャリティーに託つけた売名戦略です」
「うわーっ、言い切っちゃいましたねー。でもあれじゃないですかね、これって最近めっきり見なくなった他のメンバーへのチャリティーだったりして」
 ほんの少し前まで、画面の中にはメイクをした青田さんがギターを弾いていた。二万人規模の会場は満員で、主に三十代のオーディエンスが少年時代に帰って拳を振り上げていた。安藤かのこがほんの少し唇のラインを変えるのを見て、咲子はテレビを消した。今日は、きっと祭りだ。

 新作のクランクインは、雨のシーンから始まった。散水車が路面を濡らしながら徐行していく。撮影の雨は、当然、放水される人為的なものだ。急に強い風が吹き出すと、撮影助手が慌ててカメラにビニールをかけた。テストで放出された雨が細かく流され、咲子の顔を霧が包んだ。眼球のカーブが水道水のミストで湿っても、咲子は瞬きをしなかった。視線の先に橋本伸吾がいたからだ。
 台本のスタッフ欄に、彼の名前は無かった。もしそれがあれば、それなりの覚悟をしてここに来た。いつの間にか、人工の雨は止んでいた。助監督がカメラ前に立ち、その隣の橋本伸吾の背中を触った。
「それではみなさんご紹介します。空手指導の橋本先生です」
 橋本伸吾は恥ずかしそうに頭を下げ、クロスさせた両手を腰に戻しながらオスと言った。橋本伸吾の体は高校時代の五割増しに太く高くなっていて、空手着の腰には色褪せた黒帯が巻かれていた。
作品名:ランドセルの神さま 作家名:新宿鮭