小説が読める!投稿できる!小説家(novelist)の小説投稿コミュニティ!

二次創作小説 https://2.novelist.jp/ | 官能小説 https://r18.novelist.jp/
オンライン小説投稿サイト「novelist.jp(ノベリスト・ジェイピー)」

ランドセルの神さま

INDEX|11ページ/24ページ|

次のページ前のページ
 

 もう一人の男は自分の事をザキだと言った。元芸人だと聞いて腹が立った。引退しても芸名で飯を食おうとする節操のなさにも、それが許される芸人という人種にも不快感を抱いた。眩しいものでも見るような目は芝居じみたくらいに好意に溢れていて、気味が悪かった。ザキという男が本当に居たかどうかは、ザキと言う芸人が存在したかどうかを誰かに聞くか、携帯電話の検索サイトか何かで調べれば分かる。ザキと言う男が居れば、石川咲子と言う女も居て、自分も現実に居る事が証明出来ないだろうか。左ウインカーが点滅し、減速してハザードに変わった。青田は乗車拒否しないままこの時が来た事に安堵しながら、少し車間距離を取って車を停めた。降り際に女が振り返る。お忘れ物はないですかとでも言われたのだろう。女は運転手の方に向かって小さく頭を下げた後向き直り、歩道に降りる。そのすぐ後から小学生が飛び出し、女を追い越して走って来る。その顔は今までに見た他の小学生とは違っている。右手に持っていた黄色いキャップを被りながら、青田のすぐ横で直角に曲がり、雑居ビルの階段を上って行く。その階段は二階にあるギター教室専用になっていて、半開きになったドアに吸い込まれるようにして黄色い帽子は消えた。青田はじっと、そのギター教室の看板を見た。昭和以前に開発されたような、古くさいゴシックのフォント。東京でタクシードライバーをやっていれば、誰でも見覚えのある看板だ。どこにでもあるようで、実際にはどこにあるのか思い出せない。ギタリストだった青田ですら、そこに通っていたという人には会った事がない。そんなギター教室の中に子供が入って行き、更にまた、別の子供が駆け寄って来る。反対側の横断歩道では、三人組の小学生がじゃれあっていて、よく見るとその内の一人が、他の二人のランドセルを背負わされている。三人はじゃんけんをし始め、負けた子供が頭を抱えた。その三人がギター教室に入って行くのと擦れ違うようにして、別の子供がドアから出て来て階段を駆け下りる。今は亡き近鉄バファローズの帽子を被った小学生は青田の方を見て、心を覗き込むような目をした後、首を傾げて去って行った。下膨れの男の子が、ほっぺたの肉を揺らしながらスキップして来る。ほんの十分程の間に、何人かの小学生が出て行き、何人かの小学生が入って行った。ギター教室からは悲鳴も銃声も聞こえず、青田の頭にはまたメールテキストが浮かぶ。
〈あいつらはたぶん新堀ギターに住んでいる〉
 この場所に二人を呼ぼう。石川咲子とザキを。ここに来れば、あるいは、他の街の新堀ギターに行けば、必ず死神がいる筈だ。小学生の格好をした、ランドセルの死神が。
 お前がビジュアル系って、きょう日の若い女はどんな美的センスやねん。
 青田はその時の言葉を、今さっき言われたように思い出していた。小学生は何か汚いものでも見るような目付きでそう言って、ちっと舌打ちをした後、大袈裟な溜め息を吐いた。それまで人に罵倒された事などなかった若い青田は、小学生のその言葉と行為に激しく傷付いた。小学生に、何も言い返せなかった。彼の言う事は、100%正しかった。その場で自殺したくなる程、正論だった。舌打ちと溜め息をプラスされても反論出来ないぐらいに。

11
 始発に乗ろうと駅に向かうと、何人かのレポーターがアルタ前で実況を撮っていた。ザキはその中に、つい最近自分を取材に来た鼻の横に大きなホクロにあるレポーターを見付けた。犯人も含めると、十一人もの人間が死んだのだ。自分のニュースどころか桜田あかねが殺されたニュースでさえも、あっという間に世の中から忘れ去られてしまうだろう。新宿駅の風景は何も変わっていないのに、ザキにとってその景色は昨日までとは明らかに違って見えた。
 私鉄電車は西に進んで行く。多摩川を渡る鉄橋から見下ろす川面に、穏やかなきらめきが浮かんでいる。名前の分からない白い鳥が、つがいで水辺に降りて来る。レジを締めてすぐに店を出たから、今日はいくらか余分に、紗英と話す時間がある。隠し事など何一つしなかったけれど、今日に限ってザキには全てを話せる自信がない。自分と、ある女の人と、メサイヤの純也にしか〈見えない〉小学生の死神の話なんて信じて貰える筈もない。向いの席に座った大学生風の男がそうするのを見て、ザキも何となくポケットから携帯電話を取り出す。ニュースサイトを開こうとして、メールが一件届いている事に気が付いた。青田純也。メサイヤの純也からのメールだ。
〈俺が知っている事
 あいつらはタクシーで移動することがある
 俺も今日広尾病院で一人乗せて新宿で降ろした
 そいつは多分、あの事件で死んだ誰かの名前を書きに行った
 あいつらはたぶん新堀ギターに住んでいる
 今度三人でそこに行きましょう何か分かるかも知れないから〉
 笑いに敏感なザキは、吹き出しそうになった。普通に考えたら、これは電波系の気違いからのメールだ。やはり紗英は、全てを話す事は出来ない。
 駅の改札を潜ると、小学生の集団が目の前を駆けて行った。ブーツカットのジーンズやカーゴパンツを履いた、今時の小学生だ。あの子達は多分、死神じゃない。そう、何となく分かる。でもザキには確実にそうではないと断言も出来ない。どの子供が死神で、どの子供がそうじゃないかなんてまだ完全には分からないし、石川さんの話を100%信じた訳でもない。ただの集団ノイローゼか何か、たまたま同じようなストレスを抱えた三人が、偶然あの事件の真っ直中の新宿で会っただけかも知れない。
〈ぜひ行きましょう
 僕は夜仕事しているのでお昼ならだいたい皆さんに合わせられると思います〉
 メールの送信ボタンを押して、アパートの階段を上る。上りながら、携帯電話をポケットに仕舞う。ギター教室が死神の住処なんてコントにもならない。そんな言葉がザキの頭の中に浮かんだ。味噌汁。誰かが作る朝食の匂いがする。紗英かも知れない。新堀ギターに行って小学生を捕まえたところで、いったい何を聞いたらいいのか。死神が〈見えない〉元の体に、戻れる方法。そんな事を思っている時点で、石川さんの話を、メサイヤの純也から届いた気違いじみたメールをすっかり信じている事を自覚しながら、ザキはアパートのドアを開けた。味噌汁の匂いが胃袋まで入り込んで来て、また鼻の穴から出て行った。

 紗英は、今日は何かいいことあった? とは聞かなかった。無差別乱射殺人事件の起こった新宿に居合わせた事を、仕込の途中でメールしてあったからだ。紗英はじっとザキを見て、何かを言いかけてやめた。それが、無事で良かったという意味の言葉だと、ザキには分かった。死んだ人に申し訳ないと思って、口に出すのをやめた事も。
作品名:ランドセルの神さま 作家名:新宿鮭