初恋
「犯人を知ってるはずの相良君がそれを忘れちゃって、先輩を殺した犯人が捕まらなくても、それで終わりで良いって言うのね、芹沢君は。相良君が先輩のことを忘れて、この先もずーっと思い出さなくて、それで先輩のことをなかったことにしたまんま、いつか他の誰かを好きになっても、それで構わないって思ってるって言うのね?」
言葉は、一度勢いがついたらすらすらと出てきた。
あたしの言うことを聞いて、芹沢君は一瞬目を丸くした後、ちょっと困ったみたいに笑った。
「けっこう言うなあ、魚住さん……でも洸っちだって被害者なんだし」
「被害者だからこそ、忘れたなんて言ってる場合じゃないんでしょ。っていうか、あたしには今の芹沢君の態度の方が理解できないわ。普通好きな人がこんな目に合わされたら、仇を取ってやりたいとか思うものじゃない」
「仇って、そんな時代劇みたいな。大体、洸っちは無事だったんだし……」
「相良君の仇じゃなくて、古賀先輩の!」
あたしは思わず声を荒げた。
芹沢君は、ちょっと息を止めて、それから視線をあたしに向けた。
「……どうして俺がユカリ先輩の仇なんか」
「取りたいって思ってるはずよ。だって、芹沢くん好きだったでしょ?古賀先輩のこと」
言葉に、芹沢君は弾かれたように顔を上げた。
呆けたみたいな表情で、呆然とした感じで。
「……なんで」
「見てれば解るわよ、幾らなんでも。ずっと目で追ってたじゃん」
「………………」
あたしが言うと、芹沢君はなんともいえない、微妙な表情を浮かべてあたしを見た。
芹沢君があたしを見てるんじゃないことぐらいは、とっくに気がついてた。
誰を見てたのかってことに気がついたのは、終業式のときのことだ。
あたしの斜め前。3年生の列の一番後ろ。
古賀先輩が、凛とした後姿で立っていた。
芹沢君の視線は、あたしを通り越してそれを見ていた。
思えばあたしが視線を感じる時は、いつも古賀先輩と居るときだった。
部活や、委員会の帰り、廊下で、階段で、下駄箱で、古賀先輩は会うたびに「マキちゃん、元気?」って話し掛けては笑ってくれる、綺麗なひとだったから。
先輩の長い髪の毛が風にふわって揺れるのや、優しい胸元、膝の上できちんとプリーツの揃ったスカートの裾に、ちゃんと三つに折ってある白いソックスの足首とか、あたしも見ていた。
その視線を感じたら、見ずにはいられなかった。
ただ見ているだけの、優しい優しい視線。
「図星でしょ」
「……や、なんつーか」
「白状しなさいよ。あたしを見てたなんて言っても、もう誤魔化されないからね」
「……あー…………参ったな。いや、魚住さんにはバレてんのかなもしかして、とは思ってたんだけど」
あたしが追求すると、俺も修行が足りないなー、なんて芹沢君が溜息をついた。
コーラのカップを脇に置いて、両手で顔を覆う。
指の隙間から、くぐもった声があたしに聞いた。
「それさ。誰かに言った?他に気がついてた奴、いるかな」
「言わないわよ、こんなこと……気がついてる奴も、いないと思う」
「そか。じゃあナイショで頼む。……変なところから洸っちの耳にでも入ったら、洸っちの精神に悪いからな、色々と」
「だから!」
「俺にとっては、洸っちも大事なのは嘘じゃないの。洸っちは十分傷ついてんだから、なんで俺がそれを更に責めるようなことしなきゃなんねーんだよ。いいから言うなよ。言ったら軽蔑するぞ」
顔を撫でて天井を仰いで、それから視線をあたしに向けながら芹沢君が言った。
強い響きの言葉だった。それで思わずあたしは詰まってしまって、それで結局溜息をついた。
誰も居ない待合室にしばらく沈黙が流れる。
それは重い、とても重い沈黙だった。
「あの、さ。……いつからそうだったの、古賀先輩のこと」
沈黙の重さに、先に耐え切れなくなったのはあたしのほうだった。
あたしが聞いたら、芹沢君は、本当にちょっとだけ笑った。
「……一度さ。中学あがる前。11月ぐらいかな。学力何とかってテスト受けに行っただろ、中学に。その時にちらって見かけて。なんか、声が鈴みたいでさ。それが気になって、それから」
「え、じゃあもしかして相良君よりも早く?」
「そういうことになる、かなあ?」
芹沢君は言って、それから溜息をついた。
「でも、好きになったのは俺が最初でも、俺、見てただけだし。見てただけで、それで洸っちとそうなったからって怒るのは、なんかお門違いってもんだろ?そんなんで攻め立てるのはこう、男としてどーかなとか思うし。……別に洸っちだからいいやとか、思ってたわけじゃないんだけど。だから、それはそれでよかったんだ。みてるだけで、そのうちたぶん諦めがつくだろうとも思ってたし」
あたしが気がつかなかったら、きっと誰にも知られずに終わってた気持ち。
告白する気は最初からなかったんだと、芹沢君は呟いた。
「けど、どーしよーもねーよな。ホント。こればっかりは。……だって目が行っちゃうんだもん。諦めようって思ったところでムダっつーか」
「……奪っちゃえとかは、思わなかったわけだ?」
「そんなことは思わなかったなぁ……でも……――」
あたしが聞いたら、芹沢君は笑った。
「でも、こんなことになるなら……殴ってでも奪っておけばよかったかなあとか……ちょと、思った。ほんとは」
笑って、それから俯いた。
「洸っちには、ナイショだぞ?」
あたしは、「言わないわよ、バカ」とか思ったけど、それを実際口に出すのはやめておいた。
言ってしまったらなんだか、芹沢君が泣くかも知れないとか、予感でもないことを少し、思ってしまったので。