チューリップ咲く頃 ~ Wish番外編② ~
見てしまった事を母に言うべきだろうか? いや、自分にも木綿花にもずっと言わなかったのだ、このまま、知らない振りを通せばいい。
「……だから、隣なんだ……」
友人達に「親戚同士で隣なんて……」とよく言われたが、分かってしまうと、納得だ。双子を産んだシングルマザーの妹を心配して、子供のいなかった姉夫婦が隣に住む。どういう成り行きかは分からないが、片方を引き取って育てる。子供も母から完全に離される事無く生活が出来る。母の方も、二人を育てるよりは一人の方が色々と負担も減る。
どっちがどっちを育てるかの経緯を
「……知りたい気が……」
しなくもないかな……。
――― やがて、夕食の準備が整い、母に呼ばれてリビングへと移動する。
「……ねぇ、シンちゃん……」
食事をするべく席についた慎太郎に母がジッと見つめて、
「ここにあった書類、触った?」
と、生命保険の契約書一式を改めてテーブルの上に出した。
「散らかってたからまとめたけど……なんで?」
「一枚、足りないのよねー……」
困ったように顔をしかめる。
「また取り寄せればいいじゃん。とりあえず、ご飯、食べようよ」
お腹すいてるんだからさ、と笑いかけるが、母は顔をしかめたままである。
「…………」
「お母さん!」
空の茶碗を差し出す息子を更にジッと見詰める母。
「……書類……。読んでない?」
「しつこいなー! 何をそんなに焦ってんの?」
たかが書類一枚失くしただけの母の戸惑いに慎太郎が笑う。
「……【戸籍謄本】が……ないのよねー……」
「え!?」
思わず茶碗を置く。
「【戸籍謄本】って……。確か、一番上に置いた筈……」
「やっぱり、読んだんだ……」
慎太郎の慌てぶりに、
「はい」
母が眉をしかめて手を出した。
「何?」
「隠したでしょ? ……それとも、怒って、捨てちゃった?」
「何もしてないよ! ……そりゃ、少しは腹立ったけどさ……」
と慎太郎が続ける。
「怒るより先に、びっくりしちゃって……。でも、ちゃんと、一番上に置いた!」
「隠したりしてない?」
「してない!」
見詰め続ける母を真っ直ぐに見詰め返す。
「……分かった。もう一回、貰ってくるわ」
その真っ直ぐな瞳に頷いて、空の茶碗を手に取り給仕をする。
「シンちゃん……」
ご飯を入れた茶碗を渡して、母が言う。
「ずっと黙ってるつもりじゃなかったのよ。あなた達がもう少し大きくなったら、ちゃんと伝えるつもりだったの」
「……うん……」
そう、怒ってなんかいない……。ただ……。
「シンちゃん?」
「びっくりしただけだってば! ほら! 食べようよ!」
「そうね……。……ねぇ、シンちゃん」
「大丈夫、木綿花には言わないよ」
箸の進まない心配そうな母が、その言葉にようやく箸を動かし始めた。
―――――――――――――――
いつもより静かな夕食が終わろうとしたその時だった。
“ガシャーン!!”
食器の割れるけたたましい音と共に、
「パパもママも、大っ嫌いっ!!」
木綿花の泣き叫ぶ声が隣から響いてきた。
滅多に……というより、大きな争い事など有り得ない伊倉家の騒動に、慎太郎と母が顔を見合わせる。
「木綿花の声よね?」
確認するかのような母の言葉に慎太郎が頷く。
「あいつが泣くのなんて、幼稚園の頃しか見てないや……」
最後の一口を口に入れ、「ごちそうさまでした」と両手を合わせる。
「テストの点でも悪かったのかな?」
「それなら、怒るのは両親でしょう?」
「あ、そうか……」
親子喧嘩に口出しするほど、お節介ではない。が、
“バタンッ!!”
物凄い勢いで隣のドアが閉まる音が響いた。二人同時に玄関へ向かう。
「うわっ!」
開けようとしたドア。ドアノブを握り締めたまま、慎太郎の体が外へと引っ張られた。誰かが、外からドアを開けたのだ。
「香澄っ!!」
玄関には隣の
「伯母さん」
「お姉ちゃん」
が、一枚の紙を握り締めて立っていた。
「何かあったの? 木綿花の声がしたけど……」
妹の言葉に、姉である伯母が握り締めていた紙を差し出す。
「これ……【戸籍謄本】……」
思わず手に取った慎太郎が呟く。間違いない。あの時、びっくりして、そのまま一番上に置いてしまったのだ。
「木綿花が持ってたの?」
慎太郎母の問いに木綿花母が頷く。
「夕方、“慎太郎と遊んでくる”って言って、すぐに戻ってきて……。ウチの人が帰って来たら行き成りこれを……」
「……ボク……」
慎太郎が、【戸籍謄本】を母に渡す。
「……木綿花、探して来る!」
「シンちゃん!?」
母二人が驚いて慎太郎を見る。
「ボクが、それをうっかり置きっ放しにしたから……」
伏せもせずに、“その欄”を上にしたまま、家を飛び出したりしたから……。
「大丈夫よ。ウチの人が探しに行ってるから」
もう、暗いんだし……。と、木綿花母が慎太郎の肩をドアの中へと押し戻す。
「……見付かりっこないよ……」
子供の秘密の場所は子供にしか分からない。
呟くものの、大人達には聞こえない。と、
“♪♪♪♪♪”
携帯が鳴り、木綿花母が応対する。
「……いないの? ……どこをって……」
携帯を耳に当てたまま伯母の香苗が戸惑っている。その脇をすり抜け、
「ボク、行って来る!!」
慎太郎が夜の町へと駆け出して行った。
外灯だけが照らし出す夜の通りには会社帰りの大人と時々すれ違う程度で、殆ど人影はない。伯父はきっと、公園や駅の方を探しているに違いない。でも、違う。木綿花はそんな所にはいない。いるのはきっと、川の方だ。土手のオレンジの柵の脇に小さな窪みがある。住宅街から見ると丁度土手の裏側だ。オレンジと黄色の柵の間には、子供が一人通れる位の狭い隙間がある。そこから裏に回ると、柵を固定する為のコンクリートの土台があるのだが、それの窪みが木綿花のお気に入りの場所なのだ。ケンカした時も、かくれんぼの時も、木綿花はここに来る。
「……木綿花……」
柵の隙間から顔を出し、そっと声を掛ける。
「……木綿花……」
返事の代わりに暗闇から小さな泣きじゃっくりが聞こえた。そーっと身体をくぐらせて、その窪みの上の出っ張りから覗き込むと、抱えた膝に顔を埋めて泣いている女の子が一人。
その姿を確認し、慎太郎は土手を下りた。
子供二人がやっと入れる位の窪みだ。慎太郎が泣いている木綿花にそっと寄り添う。何かをする訳ではなく、ただ黙って隣にしゃがみ込む。
――― どの位たっただろう。“ヒック、ヒック”と飲み込んでいた呼吸が“クスン、クスン”という鼻息に変わった。黙ったまま、ポケットにあったハンカチを差し出す。
「……木綿花……帰ろ……?」
涙を拭いている“従兄弟”を覗き込んで言うが、強く首を振られ拒否される。
「伯母さん達、心配してたよ」
「ヤダ……!」
手にしたハンカチを強く握り締める木綿花が涙声で言う。
「……香澄ちゃんのとこに……帰る……」
「……木綿花……」
「香澄ちゃんが“ママ”だもん。香澄ちゃんのとこに帰る」
「……そうだけど、さ……」
「パパもママも“嘘つき”だもん」
溜息をつく慎太郎の横で、木綿花が大粒の涙を流した。
作品名:チューリップ咲く頃 ~ Wish番外編② ~ 作家名:竹本 緒