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ギャロップ ――短編集――

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【さぼてんの育て方】



 考える姿としては、世界一有名かもしれないブロンズ像。地獄の門の上ではなく、朝日の差し込むリビングのソファに、血の通う物体として出現した。いかにも高価そうな皮張りの黒いソファは、座り心地が良さそうだ。
 パジャマ姿のブロンズ像は、頭の後ろにアクロバティックな寝癖を従え、時折あくびをかみ殺しては、目にうっすらと涙を溜めている。それでも視線は逸らさずに、ただ一点を見つめていた。

「――さぁ~ぼてぇん」
 寝起きの第一声ということもあり、声は力なく上擦った。皺くちゃの魔法使いのばあさんが、同情を込めて魔法を唱えたようだった。咳払いをしてのどの調子を整えたブロンズ像は、再び口を開いた。
「なぜに――さぼてん」
 もちろんどこからも返答はない。

 小さな棘のある丸っこい植物から目を放し、どこかに電話をかけ始めた。三コール目で出た相手は、待ってましたとばかりにしゃべりだした。
「かわいいーでしょう? 蕾がいくつか付いてるからね。咲くといいよねー」
「なぜ、さぼてん」
「日光が好きなんだって。だから、陽のあたる場所に置いてあげてね。肥料とかはいらないらしいし。水をあげ過ぎると根腐れ起こすらしいから、そんなに頻繁にやらなくてもいいんだって。世話はすごく楽だってー。鉢に刺さってる紙の裏にも書いてあると思うけど――」
 置いていった本人は、さぼてんの育て方をそれなりに調べたようだ。ブロンズ像は、未だに釈然とせず、固有名詞を繰り返した。
「で、さぼてん?」

「世話は簡単だけど、ゼロじゃないよ。ほかっておいたら、枯れちゃうからね。花が咲く前に、枯れちゃうから。さぼてんも――私の心も」

 不穏な無音の一時。会話再開の口火を切ったのは、電話口の向こうだった。
「少しの潤いがあれば、元気にすくすく育つよ。花も咲く」
「お前の、心も……か」
「あたしは金と付き合ってるわけじゃないし、セックスの相手が欲しいだけじゃないしね。じゃあ、あたし、これから仕事だから。切るね」

 ブロンズ像の頭の奥で、交わした言葉の数々が反響していた。泣いて喚かれた方が、気持ちの持っていき場ができたのではないかと、重たい胃をさすった。平静を装っていたが、あれは泣きじゃくっていたと言ってもいいのではないか。謝るタイミングもつかめず、次に繋げる言葉さえ言えなかった。いいわけも思い浮かばず、かといって愛を語る事もテレが邪魔をする。自分の不甲斐なさを痛感して、ブロンズ像は大きなゲップをした。

 さぼてんは南向きの窓辺に置かれ、日光浴を楽しんでいる。
 ブロンズ像は小さな蕾を指で撫ぜて、寝室へ戻っていった。



◆お題:『朝のソファ』で、登場人物が『電話する』、『花』
◆お題:『朝の部屋』で、登場人物が『泣きじゃくる』、『魔法』