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ギャロップ ――短編集――

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【アバンチュール】



「貴様、また私を裏切ったな。どこの馬の骨ともわからん輩と、不貞をはたらきおって……」

 声のした方を向くと、穏やかな笑顔があった。たった今紡ぎ出された言葉からは想像できない優しい笑顔だったので、それには触れずにぽかんとしてしまった。
「――もう、終わったの?」
「うん、終わった。今日は、何読んでた?」
 彼も、自分が言ったことには触れずに、私の広げている本を覗きこんだ。
「不貞というよりは――」私はようやくそこに戻って、本の表紙を彼に見せた。「アバンチュールって感じかな。今日のは、『三銃士』。本って、意外と面白いね」
「意外と、ね。出会いが肝心だよ。いつ、どこで、どんな本に出会えるか。気分や状況で、入り込み方も変わってくるからね」

 陸上部に所属する私は、雨になると部活が休みになる。正確には室内で自主トレなのだが、私は行ったことがない。だからこうして、彼が図書委員の当番のときは、終わるまで図書館で待つようになった。そして今日も、大粒の雨が休むことなく降っている。
 付き合い始めた当初は、ただ待っているだけだった。ものすごく、暇だった。時間を持て余すとはこういうことかと、身にしみて感じていた。そこで彼が、本を読めばいいんだよと提案してくれた。せっかく図書館にいるんだから、と。

「妬けるね。最近、本読んでるときの顔が、本当に楽しそう。アバンチュールって言葉の響きが、大人臭い」
「楽しいよ。読書の楽しみを知り始めたかなぁ」
 カーテンを閉めながら、ゆっくり振り向いた彼の顔は、どこか誇らしげだった。そのまま向き直って、何も言わずに全ての窓のカーテンを閉め終える。蛍光灯の光と雨音。周りには無数の本たち。学校に私たち二人だけが取り残されたような気がした。

 だから素直に言えたのかもしれない。
 いつもだったら、こんな恥かしい台詞は絶対に出てこない。

「本との出会いもそうだけど、人との出会いも大切だと思う。出会えてよかった」

 彼は私のカバンを肩にかけ、自分のカバンを無造作に掴むと、空いた手で私の手をひいた。電気を消して扉を開けると、一層暗くなった図書館と日の差していない廊下の境が馴染んだ。

 彼は少し屈んで、私の唇に彼のそれで触れた。ほんの一瞬。

 そのまま手をひいて先に歩きだした彼の後を、半歩遅れてついていった。
 湿気た廊下の表面が、ゴム底の上履きとこすれて、きゅっきゅっと小動物の鳴き声のような音を立てた。私の顔は、真っ赤だったと思う。
 彼が奏でる小動物の鳴き声は、今にも踊り出しそうなほど軽やかだった。

 私たちに、アバンチュールはまだ早い。



◆お題:『夕方の図書館』で、登場人物が『裏切る』、『靴』