すずめの唄
しかも離婚後プロポーズした不倫相手には振られたとか。
聞いた時には昼ドラ的展開にちょっぴりときめいた。
詩織もそういうことに興味を持つお年頃なのである。
「確かにそうだけど、そういう覚え方もどうなのかしらね」
ちなみに当の本人は家を慰謝料代わりに元嫁と子供に引き渡し、実家で両親と暮らしているらしい。
家のローンはもちろん本人持ちだ。
不倫の代償は大きい。
「だってそうじゃん。で、今日来たのって恭一おじさんのとこの子なの?」
「そーよ。……まあ、あの家も色々あったからね、兄さんが逃げ出したくなった気持もわからなくはないんだけど、加奈子さんが可哀想よねぇ」
その『加奈子さん』というのが母の兄である恭一おじさんの元奥さんなのだろう。
今は子供と二人暮らしだという話だ。
養育費は払われているだろうが、母一人で子供を育てるのは大変だろう。
それにしても、詩織は母の言葉で引っかかった部分があった。
「色々って、何かあったの?」
母の顔が歪んだ。
言っていいものか判断に迷うような事柄らしい。
こういう表情をするときは決まって面倒事だ。
あまり関わりたくないが、野次馬根性で聞きたいような気もする。
詩織は黙って母の判断を待った。
「うちにも関係あるんだけど、あんまりいい話じゃないのよ」
ガチンと、ガスを止める音がする。
続きを待っている詩織に母は苦く笑った。
「ご飯、できたから呼んできてくれる?」
今は話すべきではないと判断したのだろう。
母の決定に異を唱えることもなく、詩織は妹を呼びに二階へと上がる。
階段を上って短い廊下を進み、名前のプレートが掛けられたドアをノックする。
「はーい」
妹の無邪気な声に息を吐いた。
他人事とはいえ身内の話だ、詩織も知らぬ内に少し緊張していたらしい。
ましてや我が家が関わってくるとは、なんともまあ面倒なことらしい。
もう終わったことなのだろうから、正直詩織にとってはどうでもよいことではあるのだが。
「ご飯だよ、今日はビーフシチューだって」
ドア越しに声を掛ける。
いまいくー、と明るい声が返ってきて、詩織は笑った。
よほどお腹が空いているのだろう、勢いよくドアが開いて、妹はにこにこと笑んでいた。
「ごはん、ごーはん」
一階へと向かう短い間に、歩きながら妙な節をつけて歌っている。
「なにそれ」
「ごはんのうた!」
思わず笑いながら詩織が尋ねると、妹は元気な声で答える。
夕食の魅力的な香りに誘われ、さらに大きな声で歌う妹に母が笑った。
「楽しそうなのはいいけど、もう夜だから他の家の迷惑になるでしょ。声のボリュームは下げてね」
「はーい」
反省の色は全く見えないが、皿によそわれたシチューの前で目を輝かせながら黙っているので、結果的には良しとしよう。
今日は父が帰って来ないので食卓を囲むのは女三人だ。
深皿の中で湯気を立てているシチューは、肉も野菜も大き目に切られているが、長く煮込まれているのでしっかりと火も通って柔らかそうだ。
その隣の茶碗には白いお米が艶々と輝いている。
若干ミスマッチな光景だが、残念ながら此処はバケットやクロワッサンが普通に出てくるようなお洒落な家庭ではない。
パンじゃないのかと尋ねれば、六枚切りの食パンが一枚差し出されるということは目に見えている。
「いただきまーす」
銀色のスプーンがよく煮えた肉に突き刺さり、沈み込んだ。
食事を終えてから、詩織は妹と一緒に部屋に戻る。
ドアを閉め、フローリングの床に座り込むと、妹もその向かい側に座る。
向かい合わせの状況で詩織は笑みを浮かべながら口を開いた。
「今日は何かあったの?」
妹も笑いながら答える。
「たっちゃんがね、あそびにきてくれたんだよ!」
床にはクレヨンが散乱し、画用紙が舞っている。
中学生には似つかわしくない、幼い子供の部屋のようだ。
大きなベッドが一つと机、クローゼット以外に家具が見当たらない、
ひどくシンプルな部屋であるからこそ子供染みたそれらは異様な空気を醸し出していた。
二人部屋だというのに、机もクローゼットも一つずつしか存在しない。
まるで二人でいても一つで十分だというように。
実際、学校に通っているのは詩織だけで、妹は日中、ずっと一人で家に残されている。
だから机も必要ないと両親に言ったのは詩織だった。
「そっか、じゃあ予定通りに?」
こつんと額を合わせて詩織が問う。
姉とのスキンシップに嬉しそうな歓声を上げて妹は笑った。
「うん! あや、ちゃんといえたの!」
褒められるのを待つ子犬のような妹の頭を詩織の手が優しく撫でる。
滑らかな長い黒髪を白い指が通ってゆく。
「綾香はいい子だね」
妹を褒める詩織の声は砂糖菓子のように甘い。
妹の役割は詩織にとっても大変重要なものだったから、役目を果たせた彼女は褒めてしかるべきだった。
二人の穏やかな暮らしを守るためにつかれた小さな嘘が疑惑を呼び、真実を覆い隠してくれることだろう。
後は放っておいても構わない。
誰も真実には辿り着けない。
詩織は自分と、半身とも言える妹が一番大切だった。
「うふふふふ」
合わせた額から伝わる体温はとても穏やかだ。
額を合わせるために邪魔な眼鏡を外し、髪をほどいた詩織の姿は妹とよく似ている。
まるで鏡合わせのように。
「Who killed cock Robin?」
「だれがこまどりころしたの?」
詩織が歌えば妹も歌う、妹が歌うと詩織も歌う。
残酷な童謡を諳んじながらも、二人の少女は笑っていた。
「「それは」」
「私?」
「わたし?」
二人は笑う、嗤う、哂う。
向かい合って壊れた人形のように笑い続ける少女たちは、奇妙な部屋の中に相応しい、美しく歪んだ鏡像だった。
むかしむかしあるところに、なかのよいふたごのしまいがいました。
ふたりはとてもすがたがにていて、りょうしんでさえふたりをみわけることはできませんでした。
あるひ、ふたごのあねがいいました。
「みんなわたしたちがどっちだかわからないみたいね」
いもうとはいいました。
「そうね、パパとママでもわからないものね」
あねはとてもかんがえて、すてきなことをおもいつきました。
「そうだわ、わたしたち、いれかわってみましょう」
いもうとはあねのおもいつきがとてもおもしろそうだとおもいました。
すぐにいもうとはうなづきました。
それからふたりは、いっしょにいろいろときめました。
いっしゅうかんにいっかいこうかんすること、がっこうでべんきょうしたことはちゃんとノートにかいておくこと、あねといもうとでせいかくをかえること。
あねはまじめであたまがいい、いもうとはあかるくてげんき。
「これでいいかな?」
「これでいいよね?」
ふたりはとてもたのしそうにわらいました。
そのひからふたりのあそびは、だれもきづかないまま、ずっとつづきました。
なんねんもすぎて、ふたりはすきなひとができました。
いとこのおにいさんです。
やさしくてかっこいいおにいさんが、ふたりはだいすきでした。
けれどもひとつだけこまったことがありました。
ふたごはふたりいるのに、おにいさんはひとりしかいないのです。
ふたりはいっしょうけんめいかんがえました。
あねはいいました。
「おにいさんがほしいな」