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揺り籠の詩

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少女は難しそうな顔で首を傾げる。
腕を組んでうーんと唸る姿がやけに幼くて、達也は少しだけ泣きたくなった。
あっと言ってぱたぱたと部屋の隅に走って、何かを手に戻ってくる。
「おえかきしよ!」
差し出されたスケッチブックとクレヨンを受け取り達也は笑った。
少女が慕っていた兄のように、決して代わりにはなれないと知っていながら。
「ああ、いいよ」
彼は笑った。
ふんふんと機嫌良く鼻歌を歌いながら少女はクレヨンを握って線を描いてゆく。
箱の中に収まっていた十二本のクレヨンが画用紙に押し付けられその身を削られてゆく。
ぐりぐりと謎の物体が描かれていくのをしばらく達也は眺めていたのだが、気まぐれに思いつきで赤いクレヨンを手に取った。
円というよりは線、個体ではなく集合体。
いくつかが集まって鮮やかで優雅な一つの姿を作る。
とはいったものの、実際絵に関してずぶの素人が思い通りのものを描けるはずもなく、達也の画用紙には赤い糸クズのようなものが鎮座していた。
それを目にして少女は無邪気な声を上げた。
「たっちゃんの、おっきいけむし? あかくてきれーね!」
達也の描いた花もどきは、どうやら彼女の目には毛虫と映ったらしい。
よく眺めてみればそう見えなくもないので、達也は否定の言葉を飲み込んだ。
代わりとばかりに少女の描いた絵を覗き込むが、あまりにも抽象的すぎて彼には理解できなかった。
達也は思う、幼子の描く円と線の何の秩序も見られない集合体は、絵とは呼べない代物なのだと。
自分の画力を棚上げにして、心底思った。
「……これは何を描いたんだ?」
「えー、たっちゃんみてわかんないのぉ? しょーがないなぁ」
どこか得意げに細い指がクレヨンに塗れた紙を指す。
黒と肌色で描かれた何かの塊を示して楽しそうな少女が高らかに告げる。
「これはたっちゃんでしょー」
達也は衝撃を受けた。
確かに四肢と頭の区別は付くが到底自分には見えない物を自分と断言した少女におおいな衝撃を受けた。
だが彼女の精神年齢を鑑みて彼は賢明にも黙った。
子供相手にムキになってはいけないと自分に言い聞かせて。
「これがあやでー、これがママ」
画用紙に描かれた自分よりも背の低い黒と黄色のぐちゃぐちゃと、その隣の茶色いぐちゃぐちゃを順に指す。
何がどう違うのか色と大きさ以外全く区別がつかないのだが、言葉にしたら泣かれる可能性が高いので彼はやはり黙っていた。
そして彼女は最後に黒と赤の線の塊を指さして言った。
「それでね、これがゆうくんだよ」
彼女の言う『ゆうくん』とは勿論達也の兄である祐介のことである。
それが赤く塗られ、そしてあろうことか少女自身よりも小さく描かれていた。
達也は顔を顰める。
「……兄貴はもっとデカイだろ、なんでこんなにちっさいんだ? これじゃ彩香よりも小さいぞ」
まさかあの日の記憶が残っているとでもいうのだろうか。
この配色は偶然であるだろうと思いつつも尋ねたのは、あるいは何らかの予感があったからかもしれない。
彼女も同じようにこの時期になると思い出すことがあるのではないかと、そう考えたかったのかもしれない。
「だって」
少女は晴れやかに微笑んだ。
「ゆうくんはママにさされちゃったもん」



達也は走った。
何も考えずに足を動かして、玄関まで辿り着く。
靴は学校指定の白いスニーカーが一つ、自分の分しか出ていない。
少女の父親がこの時間は仕事に出ていることは知っていた、母親はどうやら買い物にでも出ているらしい。
スニーカーを足に引っ掛けて達也は玄関の外に出た。
自転車の鍵をポケットから出そうと動く手が酷く震えている。
「嘘だろ冗談だろまさか何でだよ、何でおばさんが兄貴を、嘘に決まってる、そうだあれは彩香の冗談だったんだ、そうじゃないとなんで……」
思い浮かぶ少女の無邪気な笑みが達也の胸を抉った。
嘘ではないことは達也が一番知っていた。
嘘の下手な少女があんなにも自然な笑顔であんなにも残酷な嘘を吐くはずがなかった。
つまりはそれが、全てだった。
達也は顔を上げた。
空はもう既に暗い。
母親は帰って来ているだろう。
遅くなるかもしれないと連絡は入れておいたが、早めに帰った方がいいに決まっている。
電話を貸してくれた人――少女の母親を思い出して達也は泣き出しそうに顔を歪めた。
だがまだ泣く訳にはいかない、事実の確認をしたわけではない。
少女の母親は達也にとっても馴染みの深い人だ。
優しく穏やかでとても人殺しなど出来そうにもない。
ましてや彼女の娘も被害者の一人である。
達也は少女の母親が娘を目に入れても痛くないほど溺愛していることを知っていた。
そんな娘に危害を加えられるはずもない。
しかし少女のことはあくまで偶然巻き込まれただけであると考えるとどうだろう。
殺害の現場に偶然娘が来てしまったとしたら、自分の娘の見ている前で人を殺すわけにもいかないだろう。
なにせ少女はそれ以前の殺害シーンも直接目にしたわけではないのだから。
だから達也は生かされた。
いや、もしかすると祐介だけが狙いで最初から達也は殺さずにいるつもりだったのかもしれない。
自分と少女を生かした犯人の心が達也には理解できない。
とにかく、まだ犯人が確定したわけではないのだ。
その思いだけが今の達也を突き動かしていた。
震える手を押さえて乗り込んだ自転車を漕ぐ足に力が入る。
真実を明らかにするのが恐ろしい。
達也は空を仰いだが、星はまだ、見えない。



夢は変わらず達也の睡眠を侵し続ける。
殺害者の顔や声がはっきりしない所も変わらなかったが、もしかしたら犯人は女性なのかもしれないと達也は思い始めていた。
一番の原因は犯人の言葉遣いだった。
達也の思い出せる限りでは、犯人は女性的な話し方をしていた。
そう考えてから、犯人が少女の母親であるという証拠にまた一つ近づいたようで嫌気が差す。
分厚い本のページを達也は捲った。
図鑑というものはどうしてこうも重く無駄に大きいだろうか。
これが凶器の犯罪が起こってもおかしくはない。
むしろ納得するだろうと達也は開いたページ一面に広がる花を見ながら嘆息した。
現在彼が見ているのは植物図鑑だった。
色と咲く時期しかわからないのでは探すのは酷く面倒だが、季節ごとに分かれている本なので幾分か探しやすいはず、とは隣の席の谷田談だ。
こうこうこういう花を知らないかと達也が相談したところ図書室で調べてこいと、至って真っ当な返答をされたのだ。
さらにどんな図鑑がいいかまでアドバイスされ、素直に図書室に足を運んだ次第である。
古い紙とインクの妙に甘ったるい匂いが鼻を突く。
あまり足を向けることのない図書室に来てまで何をしているのかと達也は考えたが、すぐに思考を放棄した。
手掛かりは多ければ多いほど望ましいし、本当に問題にすべきはまるで達也に犯人の顔を思い出せと言わんばかりに毎晩訪れる悪夢の方だ。
いい加減目的の物が見つからないことにイラついてきた達也の手が機械的にページを捲る。
やめようかと思っても、わざわざ図書室まで来て調べているというのに中途半端に帰るのは妙な意地が邪魔した。
だが、それもそろそろ限界だった。
「だー、もうめんどくせぇ!」
作品名:揺り籠の詩 作家名:真野司