せんにちこう
忘却
「高見、おかえり」
天国の入口をくぐった先で俺を待っていたのは、友達のカズキだ。彼の目の前についてやっと、それを思い出した。
「ただいま。また会ったな」
「うん、17年振り」
俺は17年振りに天国に『帰って』きた。ちなみに天の国というのは普通死んでから初めて来る場所である。
天の国には12人の悲しい天使と12人の幸せな天使がいる。あの世とこの世のためにそれぞれの役割を持って存在している。
「高見、神様のところへ行くんだろ」
「そうだそうだ、思い出した。ちょっと行ってくる」
俺は天使だ。
『輪廻』の役割をもつ天使。
17年生きて、火に焼かれて死ぬ、という運命をひたすら繰り返す役割を持っている。苦しいから嫌だとは言えない。だって役割だから。
生きている間は自分が天使だということも、どうせ17年したら死ぬということも忘れてしまうようになっている。天国の入口をくぐって初めて、すべての記憶を思い出す。そうなると、俺はあのときの事故も戦火も火事も思い出せる。忘れられない苦しみなのに、神様に遣わされてまたいつか17年生きることを拒めない。
「神様、高見のこと怒ってたよ」
「だろうな」
「どうしてすぐ成仏してこなかったんだよ」
「どうしてって……帰ってきたくなかったから」
帰ってきたら、またいつか生きなきゃならないんだ……。カズキはそれを察して俺の肩を撫ぜた。
「役割は役割だ」
「そうだよな。」
逃げられないのだ。
成仏せずに『この世』に漂っていた俺は、死にながらにして17年間を繰り返さなければならなかったくらい、どうしようもない。
「早く帰って来てほしかったよ」
「悪い悪い。ちょっと面白い奴を見つけちまって」
「面白い奴?」
「死んだ俺の姿を見れる奴がいたんだ」
「へえ。天使を見れるなんて相当純な奴なんだな」
「まあ、とにかく神様んとこ行ってくる」
「うん。庭園にいるから後できてよ」
「分かった」
神様は完璧すぎて、負の感情を忘れてしまった。秩序から見放された負の感情は『この世』を混沌とさせ、大きな醜い争いを何度も引き起こした。
負の感情を統制するためにつくられたのが12人の天使。それぞれの役割を全うするために『この世』に遣わされる天使は神様の手足も同然だ。苦しみや痛み、憎む気持ちさえも、神様は天使を通して得ることになったのだ。
「おまえは自分の役割を嫌になったかい」
神様は俺が天の国に帰って来るたび問い掛ける。
当たり前だ、はじめから嫌いにきまってる。そう言えないのは、神様自身も心を痛めているのを知っているから。他の11人の天使たちも過酷な役割をこなしているから。
それがとても、嫌だ。
カズキの待つ庭園は、神様のいる神殿のある場所から雲二段下にあって、俺たち天使しか入れない神聖な地域の中心にある。
カズキはそこの噴水を花壇越しに眺めるのが好きで、たいていはベンチに寝そべっていた。
「カズキ、待たせてごめん」
「神様怒ってた?」
「いや、辛い思いをさせてしまったみたい……」
「そう。でもあまり気にしない方がいいよ、高見……」
カズキは俺たち12人の天使の中でも一番優しくて気が利いて、神様のお気に入りでもある。
赤毛で茶色い瞳だというせいで幸せな天使たちからは妬まれているけれど、金髪碧眼よりもより絵に描いた天使らしく思えるのは、その笑顔のせいだ。
カズキの笑顔は、つい胸に手を当てても大袈裟じゃないくらいに光輝いているんだ。
負の役割をもつ天使なのにね。彼はまだ汚れていないのだ。
「高見はもう『この世』に降りてほしくないよ。いくら神様のためとはいえ」
「シッ」
神様を少しでも悪く言うことを、幸せな天使が聞いたら卒倒してしまう。俺がカズキの口にあてた人差し指を、カズキはゆっくりと外して笑った。
「高見は優しいね」
「優しい? ただ役割をこなしてるだけだ」
「僕も役割をこなしたいな。いつまでたってもお呼びがこない」
「お前はいーの!」
カズキの赤茶けた髪に失敬してきた花を挿したら、とろけるような笑顔を返して見せた。
カズキはこのままでいい。みんなに囲まれて、みんなを幸せな気持ちにさせて……カズキはそういうのが似合ってる。幸せをくれる、無垢な天使。
「高見?」
「……いや、なんでもない」
カズキは寂しそうに俺の手を握った。
「僕から目を逸らさないでね」
「うん」
「僕はみんなのために、高見のために、ずっと笑顔でいられるんだから」
「……うん」
カズキはそう言う。俺には笑顔の自分をいつでも思っていて欲しいと。
『その時』……カズキが『この世』に降りる時がきたらその笑顔は俺や誰かに、残るのだろうか。
カズキは『忘却』を司る天使だ。
『忘却』おわり