ブローディア夏
「ムーミン」
「ムーミンパパ」
「ミー」
「スナフキン」
「ニョロニョロ」
「バーバモジャ」
放課後、図書委員会から教室に戻ると石間が一人残っていた。
はっきりと言わなくても、二人の間が嫌な雰囲気になったら石間はこうして仲直りをしようと歩み寄って来る。でも、はっきり言わないんだ。
「ムーミン谷にはバーバパパの家族はいないだろ」
「じゃあこいつなんて言うんだ?」
「さあ」
「すっごく悪役っぽいし」
「それって間違えられたバーバモジャが可哀想じゃね」
「そうかも」
俺たちの弁当袋にはムーミンのイラストが描かれている。小学生だか幼稚園だか、はるか昔から使っているせいでかなり色褪せているけど、石間の袋は比較的鮮やかなままの色だった。
「あんまり洗濯に出してないからだな、これ」
「石間が大事にしてるからだろ」
水色のヒモをシュッと引いて袋の口を閉じると、石間は黙った。
そういえばバスの時間、いつなんだろう。ソワソワしている石間は自分の乗るバスなんか興味がないように思えた。
近付いて顔を覗きこんだら、俺を気にもしない石間と、その眉間に寄せられたしわにびっくりする。意地悪なことを言うときの石間だって、こんな顔はしないから。むしろそういう時はどこか楽しそうなくらいだろ。
「石間」
「なんだ」
「なにを怒ってるんだ」
「怒ってる?」
石間は目をぱちりと開けて俺を見上げた。
机に座っている石間の前髪がぱらりと脇にそれて、綺麗に整えられた眉毛が見えた。それも未だ真ん中に寄せられたまま。
「怒ってるだろ。俺のことで」
「怒って……ないよ」
「俺が貰ったサンドイッチを隠したから?」
「…ああ」
「なんだ……やっぱり怒ってるんじゃん」
「違うよ。自己嫌悪に陥ってるだけだ」
「じこけんお」
「そう、自己嫌悪……」
石間は「うん、うん」と自分一人で納得して、ぽかんと口を開けたあとにガクリとうなだれた。
「今のがその自己嫌悪ってやつの見本か」
「まあな」
くっとわらった石間は、少し指先を泳がせて俺の指の関節を撫でた。
「木野さ、サンドイッチもらってんじゃん」
「石間もだろ」
「そう。でも木野が貰ってるとか、想定外で」
遠回しに失礼なことを言われているが、なぜか石間が言うと嫌味に感じなかった。
つんつんと突かれた関節が揺れて、そのままガシリと掴まれる。窓にカーテンはかけられていない。
「木野」
「外から見えちゃうよ」
「木野もうろたえたりする?」
「多分」
「多分か」
「石間はかっこつけすぎなんだ」
かたくなだった石間の指がばらばらと俺の拳を開放する。窓辺に向かって行ってカーテンを引きたいんだけど、机の間を縫って移動する時間が重たかった。
窓に反射した石間がこっちを見ている。
石間は格好つけているわけじゃない。多分。
格好いい奴等は知らないのかもしれない。
「やきもちなら俺、しょっちゅうだけど」
「石間はやきもちとか焼いてくれたことあんの」
立ち上がった石間を見て、どうして腰パンしてるくせに足が長く見えるんだろうと思った。簡単なことだ。石間は足が長いってだけのことだから。